Paradiphilia -come on, etarnity is here.- | ナノ




O.概要

──息を、のむ。
眼前に広がる世界、青すぎる青の空へ。
鮮やかな色をもつ大きな翼が広がり、まばゆい光の輪があらわれる。

蝶が飛びたつ、極彩の青と赤。
その蜜を吸われた食虫花のような植物に宿る果実は、金。
濃い緑の葉に包まれ、自らの存在を誇るように。
不気味なほど生命に満ちた光景。脳裏に浮かぶ言葉は──……、


星の籠庭と呼ばれる世界、かつて存在した"楽園"。神の獣がねむる巣、その場所。
ひとびとはあらゆる苦しみや病、死から逃れ、永遠を約束されていた。
かれらは左手で心臓を指し、右手のひらを捧げるようにひらき頭を下げる。
「この身を捧ぐ永遠を共に」……それは、"神の供物"としての幸福をしめす、此処に住まうかれらのならわしだ。
鮮やかな羽をはばたかせ、神の獣のしもべの子は歌っていた。
至上の恍惚を。永遠の約束を。

やがて、かれらは瞳に宿す。赤く落ちていくその空を。炎に燃えて朽ちていく、"楽園"のそのすがたを。
供物をすてた神の獣は飛び立つ。永遠をうしなったかれらは、身を焼くような病に、さけびながらくずれゆく。

……甘く熟れた呪いの林檎が、すべての過ちをむすんだあと。
外套をゆらし拾い上げたそれを齧り、ゆがめた蛇の目は高らかに笑っていた。


Paradiphilia》(パラディフィリア)は、千穂の創作世界観「星の籠庭」における『楽園』、
およびその後世に生まれた宗教『楽園教』に焦点を当てたうちよそパロディです。



T.舞台設定

神獣歴20xx年。──楽園教は「楽園の再来」を宣し、ひとびとに永遠の幸福を分け与えると謳っていた。

"我々は同じ罪を背負い、同じ傷を負う者。供物として身を捧げ、祝福の時を待てば、我々の罪は洗われる"……、
教典「Lada=Esta」(ラダ=エスタ)では、神獣が降りていた楽園は、
魔術師が与えた願いの林檎(=人々の自立の象徴)によって滅びたとつたえられている。
その説話から、"個であることは悪しきこと、我々は完璧で満ち足りた輪であること"を理想であると説く──それがこの「楽園教」の教えだ。

かれらは災害地への支援、孤児たちの保護、学費の少ない学校の運営などの慈善活動に積極的に取り組み、
また教典を元にした宗教画の展覧会、市民への演説会や懇談会などを開くなどして、組織の認知をひろめ、着実に信徒は増加している。
そして、その教えを救いとして心から信望する者もいれば、説話の引用を、戯れに語る程度の者もいる……、
この楽園教という宗教は、現代において、市民たちにとっての身近な文化として、すでに深く根を下ろしていると言えるのだろう。

楽園の再来。それはいつの日か、遂げられるものなのだろうか?
かれらは神へその身を捧ぐそのときを待ち焦がれ、
自己犠牲を善とし、ともに罪を洗い落とし、"完璧なひとつ"とならんと、来る明日も祈り続けている。
すべては、至上の恍惚と永遠の約束、その実現のために。

望まれた『楽園』のすがたを、その瞳にとらえるものは、……はたして。


U.用語集

記述中


V.人物設定

- みずゆき宅
 楽園教の幹部グループ「Winged」に所属する青年。若くしてその肩書きを得た理由に、
 彼が「イノセント」と呼ばれる、紫の瞳の中でも特に美しいと神聖視される、
 楽園の有翼人と同じ色味を持っていることが挙げられる。 彼の瞳を一目見た信徒の多くは、
 盲目なほどの信仰を寄せるが、おそらくそれは瞳の色だけではない、
 彼はひとを"昏迷させる"なにかがあるのだと言う者もいる。
 迷路の中に招き、入口を塞ぎ、たどり着くことの無い出口(そんな物は何処にもない、)を
 求めて彷徨う者に彼は手を差し伸べる。 ……信徒たちは、その彼の姿に救いを見るのかもしれない。

フェビアン(沢霧 章吾) - ソヨゴ宅
 楽園に宿る永遠の樹の苗床となる、妖精族の血を濃く継ぐ少年。
 両親が事故で他界し、残された双子の兄フェビアスとともに楽園教に保護施設にひきとられた。
 永遠の樹の種が芽吹くその初期段階には十分な養分が必要とされ、
 病弱であった兄ではなく、苗床には彼が選ばれた。
 左目に宿った永遠の樹の芽、その痛みに泣いて苦しんでいた時、
 兄はその瞼に「君と共に」と囁きながら口づけた。
 兄は芽をその身体に抱き入れ、穏やかな微笑みを最期に遺し朽ちていった。
 彼は幼い心に楽園教への恐怖と憎しみを募らせ、ついには見張り番を殺害し、施設から逃げ出した。
 それから20年ほどの月日が経つが、"楽園想起"──永遠の約束の幻像は、今も彼とともにあるのだろう……。

セドリック (鷺ノ宮 櫂) - シルフ宅
 地方の教会で「翼師」を務める青年。翼師とは、教徒たちへ教えを説き、儀式などを執り行う役職であり、
 古代楽園において有翼人が神獣の使いとされたことに由来している。
 両親ともに楽園教の教徒であり、徹底した教育を受けて育った。
 本人には退屈と感じるものもあるが、それらに抗う理由も特に見つからず今の役職に就いた。
 物腰が柔らかく見目が良いこともあり、本人の意欲とは裏腹に教徒たちからの信仰を集めている。
 彼のいる教会がある町は少々閉鎖的な環境にあり、この場所での自身の存在の影響力の強さに気づいた頃、彼の悪戯心は疼き出した。
 穏やかで退屈な日々のなか、まだ見ぬ破滅に思いを馳せては恍惚するようにため息を漏らす。
 さて、この積み上げられた期待と信頼で、何をしでかしてやろうか。幼い頃抱いた「悪」というものへの憧れは、
 未だ彼の中に眠り、そして目を覚まそうとしているのだろう。

柚井 瑞希 - もう宅
 幼少期、高熱により生死を彷徨ったとき、夢のように幻視した古代楽園の姿に焦がれ、
 その記憶をなぞり留めるように写真で表現するカメラマン。
 彼が経験したのは「楽園症候群」と呼ばれる症状だ。古代楽園の姿の幻視のほか、そこに"還りたい"という
 強烈な回帰欲求と年齢退行(彼の場合高熱を出した頃合いの年齢)を、大人になった今でも時折発症することがある。
 その美しく儚げな世界観、幼いころの憧れを遠く見つめるような彼の作品はサブカルチャーとして人気があり、
 近世の街並みを残した旧都市保護地区の小さな建物で、ひっそりと展示会などが行われている。
 本人が持つものはあくまで古代楽園そのものへの憧れであり、宗教的な感心はあまりない様子。だが、人々が何故あの楽園に救いを見るのか、
 ということについては興味を持っており、学術的観点でみた「楽園教」についての知識は、いくらか蓄えているようだ。

テオドールとドロシー(花表 はやて / 花表 さなえ) - たなか宅
 かれらを一言で表すならば、それは「狂気を呼び起こす"概念"」だ。
 かつて神獣の使いがそうであったことから、楽園教において神聖視される男女の双子であるが、
 その崩壊を連想させる縦長の瞳孔をもつ瞳。信仰を捧げるべき理想でありながら、忌まわしき仇でもあるかれらへ、
 信仰心の強い信徒ほど感情を揺さぶられ、心囚われてしまう。
 残されるものはかれらを描いたうつくしい肖像、一片の物語、狂気にゆれる歌声……、
 しかして、かれらの行方を知る者は誰もおらず、心狂わせてかれらの痕跡を負った末、自死に至る者も少なくない。
 その亡骸の表情にもはや安息は無く、錯乱と恍惚に歪むまま胸を掻きむしり苦しみ藻掻くようだと云う。
 手を繋ぎ、無邪気に声を転がしながら往く未だ見ぬ理想の楽園への逃避行。
 なによりも恐ろしいのは、……かれらはただの"人の子"に違いないということだろう。

スカーとハマー - LOA宅
 とある寒空の日、教会の前に捨てられていた双子の孤児。体には黒斑がみられ、
 この世界での黒色は「カース」と呼ばれる呪いの力、ひいては神獣の対極の存在である魔女を由来とする力であり、
 そんな赤子があろうことか楽園教の教会に捨てられたことを、信徒たちは冒涜であると騒ぎ立て、
 この双子を罪人と見なし火刑にしようとした。……しかし。賛同した者たちはみな首を締め上げられたように引き攣り、
 ばたばたと絶命する。物言わぬ死体だけとなった教会に、訪れる人影があった。赤子を抱いて歌うそれは、
 呼ぶならば正しく魔女であり……、その胸で甘く熟れた呪いの林檎の香りをはなつ赤子は正しく、"魔女の子"であったのだ。
 時は流れ、成長したかれらが運ぶのは災いだ。生まれながらの宿命のように、人々を破滅に誘い、死と絶望を分け与える。
 かれらが笑んだのを見たのならば、それがその者の最期ということだ。