今から死のうと思う。

 ここはどこかのマンションの屋上で、詳しくはわからない。どこだっていい。とにかく僕は死ぬ、それが大事だ。何で死ぬのかは今考えない。死ぬ理由やあれこれを考えるのは、死ぬ直前と相場が決まっている。
 17階立てのマンションの屋上で夜空を見上げれば、月は雲で霞んでいた。満月の夜を調べて決行日を決めたのに、まさかこんな事態になるとは。しかめ面で睨みつけてみるも、これはポーズであり、しかし大切なことだ。天気予報何てものはもともと曖昧で、確実ではない。そんなこと僕は知っているので、雰囲気がいまいちだろうと妥協はするつもりだ。多少の恨めしさはあるものの、僕の決心は、そんなことで揺らぎはしないのだ。
 ああ、余計なことを考えてしまった。考えるのは死ぬ直前。ここから飛び降りて地面に着くまでの間と決めていたのに。
 しっかりとした足取りで柵へと向かい、靴を置いて、隣に遺書を残す。これでいい。明日の朝、新聞で僕の死ぬ理由が明らかにされるだろう。
 ふと、笑いが込み上げた。未だかつて、こんなに満足感を感じたことがあっただろうか。

 柵を乗り越え、端に立つ。流石に恐怖を感じた。しかし、決心を曲げることは許されない。
考えることは沢山ある。やっと、考える時間が僕に与えられる。
 何を考えよう。どう考えよう。
 着地の瞬間までは、とても緩やかに時間が流れて行くのだろう。それはきっと、走馬灯の様にせわしく記憶が駆け巡る中、それでも緩やかに。

 わくわくして来た。高揚感だろうか。

 さあ行くぞ。

 足を踏み出そうとした瞬間、強い横風に煽られた。

「えっ」

 僕の体は呆気なく吹き飛ばされ、次の瞬間、地面に叩き付けられた。最期に視界の端を掠ったのは、白い封筒。僕の遺書だった。




 ────近所の公園。

「何だこれ」
「封筒?宛名も書いてないじゃないか」
「ゴミだろ」
「ゴミ箱に捨てとくか」

 ────翌朝のテレビ。

「次のニュースです。昨夜9時頃―のマンションから飛び降り自殺を図った──さん──歳。遺書はなく、周りの住民も理由はわからないとの─────」




 何も考えることなく、理由さえ伝わらずに、僕の一生はこうして呆気なく終わった。




初出_2007????

体験落下



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