先導者文 | ナノ


メロウボーイに首ったけ10



全てが嘘のように、僕の目の前は夢のように開けていた。


大きなマンションの下で傘を差し歩く二人と一匹(猫は相変わらず櫂くんに抱かれていたが)。
相合い傘で歩くのはアイチからしたら些か恥ずかしくもある。
思春期故多感な年頃ではあるが、しかしアイチの羞恥はそこからではなく、櫂トシキという憧れの人と並んで歩くという行為自体から、体をくすぐられ面映ゆく感じていた。
それは恋情というよりは、例えるなら有名人と会うような、どことなくそわそわしてしまう感覚だった。
そんな存在の彼と相合い傘…その上彼の家に入る寸前と思うと、目眩がする気がした。
猫の保護が目的だったが、その目的とその手段・過程が反転してしまいそうで少々怖い。
頭を振り、そんなくだらない考え脳内から拭う。そんな様子を見兼ねたのか、櫂くんが僕の髪を撫でた。

「わっ」

「濡れてるな、寒いか?」

「大丈夫だよ」

「部屋に入ったらまず風呂に入れ」

「うんわかった、ありがとう」

マンションのセキュリティを掻い潜り、櫂くんの自宅前へ辿り着いた。
ドキドキしていると、真っ白な壁にあるコーヒーミルクの色をしたドアを開けた櫂くんに入るよう促された。
先に入った櫂くんは猫を家に下ろしたのだが、猫は見知らぬ場所、光景に警戒しながらそろりと歩みを進めている。思わず笑ってしまった。

玄関で待つように言われ立っていると、戻ってきた櫂くんの腕にはタオル二枚とシャツとズボンが握られていた。

「わぷっ」

片方のタオルで頭を覆われ、ポタポタと水が垂れていた髪をわしゃわしゃと掻き回される。
そして髪からある程度の水気を抜いてから、僕の肩を柔らかく掴んで体をくまなく拭き始めた。


「だ、大丈夫だよ櫂くん、自分でやれるよ?」

それに、服はそのまんまでも…。そう言っても、何を言っているんだと櫂くんが行為を止める気配はない。
雨や泥にまみれた僕の服はよっぽど汚いものだったようで、タオルがどんどん茶色くくすんでいくのを痛々しく眺めた。
シミになると言われたけど、どうも納得がいかなくて思わず後退りしたら、逆にドアを汚すなと怒られた。


いつもそうだけど、他人に世話をやかせるのは子供っぽくて情けない。
しかも櫂くんに拭いてもらっているものだから、申し訳なさと恥ずかしさと、自身の成長の無さに虚しさやら憤りやら、不快な感情が全身を駆け巡った。
それでも大人しくしているのは、櫂くんがここまで近くに居てくれることなんて滅多になくて、彼の善意に甘えているからである。
不快な感情の中には己の欲求を満たされ悦に浸る自分もいて、アイチは悔しさと嬉しさで顔を赤くした。


優しく拭く櫂くんの手付きが一瞬止まった。
どうしたのかと彼の顔色を窺うと、彼は気難しい顔をしていた。
僕の情けなさに呆れたのかと血の気が引いたが、その間に彼は拭くのを再開した。それに安心したのも束の間、あることに気づく。
櫂くんはある一ヶ所を越えて、僕の太股付近を拭いている。


アイチは今一瞬間のためらいの意図を察し、蒼白の顔が嘘のように、先程の赤さよりさらに顔に赤みを増した。耳まで真っ赤なのが自分でもわかる。

「かか、櫂くん、本当に後は自分でやれるよ、大丈夫!タオル貸して!!」

櫂くんは躊躇った後、バツが悪そうに僕にタオルを手渡してくれた。
そして彼はバスルームへの案内をしてから、廊下の先の扉へと向かう。彼処は一般的なマンションの構造で正しければリビングに繋がっているはずだ。
ぼんやりとそれを眺めていると、櫂くんの足元に違和感を感じた。
じっと目を凝らして見ると、廊下が少し濡れている。
ハッとして櫂くんを見ると、そうだった、彼は何故か傘を差していたにも関わらず全身ずぶ濡れだったんだ。

「櫂くん!」

呼ぶと櫂くんは振り向いた。
ただ疑問だけを浮かべる彼の端整な顔をまじまじと見てしまい、少し気恥ずかしくなる。
口ごもる僕を櫂くんは目を細め見つめた。
髪から流れた水滴が、首筋を伝った。

「どうした」

「あ、その櫂くんもそのままじゃ風邪…引いちゃうよ」

そう言うと、櫂くんは呆れた顔をした。
その様子に今度は僕の心に疑問を浮かばせる。

「いいから早く入れ」

「でも…」

「…」

再び気難しい顔をした櫂くんは、今さっきまで進んでいた距離を逆走し、こちらへドシドシと踏み入った。
直前まで迫られ一瞬怯むと、なんと櫂くんは僕を抱え込んだのだ!

「え、ええ!?」

「面倒臭いからさっさと入れ」

下ろしてと足をバタバタ動かすが、彼はお構いなしに僕を風呂場へ繋がる洗面所へと運んだ。そして休む間もなく、ジャケットとタートルネック、ズボンと次々に剥ぎ取られ、羞恥心の爆発した僕などお構いなく下着をも剥ぎ取り靴下を脱がされると、風呂場へと投げ込まれた。

「だから、櫂くんは、」

「そう思うなら早く入って早くあがってこい」

僕の説得も虚しく彼はピシャリと扉を閉め、その場から去ったのだった。





メロウボーイとお風呂