メロウボーイに首ったけ8 櫂くんが、いわゆる仁王立ちというやつで、物凄い形相で僕の前に現れた。 辺りの暗い黒に近い灰色の背景に、櫂くんは同化して沈んでいる。 だけど沈んでいるはずなのに、完全に沈んでいるわけではない。 アイチは不思議な感覚がした。 瞬きして確かめるが、違和感は拭えない。 言葉に出来ないその違和感は、不気味というよりは神秘的である気がした。 とにかく、櫂くんがいつもと違うんだ。それだけははっきりとしていた。 そんな彼は肩で息をし、傘を片手にじっと僕を見つめる。僕も櫂くんを見つめた。 しばらく目を合わせていたが、一呼吸置いてから櫂くんは更に眉間に皺を寄せて、しゃがんでいる僕に近づいてくる。 彼が足を動かして草を踏みしめるたびに、草からよくわからぬ怒りが伝わってくる気がして、恐怖か寒さかわからない身震いが止まらなくなった。 そんな中、僕の胸で暴れていた猫が櫂くんがいることに気付く。そして、すぐさま彼の元へと駆け寄った。機嫌がよく一声鳴き、横暴な姿の影も形もみせない。 「どうしてここにいる、何をしていた」 猫などお構いなしに、櫂くんは僕を睨んだ。なんでかはわからないけど、やはり怒らせてしまったのだろうか。とても怖い。 彼の背中から、まるで暑い夏の日のアスファルトによく発生する陽炎のような殺気が見える気がしてきた。威圧感が半端ない。 この場から逃げ出したい衝動に襲われるが、仁王立ちする彼から逃げ切れる自信がどうしても湧いてこなかった。 アイチは萎縮しながら、ポソリと呟いた。 「ね、猫が突然走っちゃって…追いかけたら、川に近づいていくから危なっかしくて…」 「馬鹿か」 「ご、ごめんなさい」 とうとう僕との距離が30cmも無いだろう場所に来る。身構えると(というより体を固めただけだが)、櫂くんはしゃがんだ。片手で猫に触れる。その時、ふわりとほのかにシャンプーの香りがした。 一瞬、何が起ころうとしているのかわからなかったが櫂くんが猫を抱き寄せるのを見てハッして、雨水が付いてるから服が濡れちゃうよって言おうと思った。ら、櫂くんの服は傘を差しているにも関わらず既にびしょ濡れだった。 「風邪を引く」 櫂くんが傘を僕の上へかざした。雨が遮られる。 その瞬間、異様に寒気がした。全身が冷えてるのだろうか足の指は感覚すらない。 「あ」 「どうした」 「いや、足の指の感覚が無いなぁって…」 「!」 寒いからかな、そう言ってから足を摩る手から視線を櫂くんに移すと、珍しく衝撃を受けたかのような顔をしている彼を見た。 だけどどうしてそういう顔をするのかわからない、冷え感覚が無くなることはよく…ではないけど、たまにあることではないか。 しかし彼の表情を前にその発言は軽率かと、アイチは言葉を飲み込んだ。 「立てるか、怪我をしてないか?」 「大丈夫だよ、ほら。ちょっと冷えただけかも」 立ってみせると、櫂くんはホッとした顔をみせた。 よくわからないけど、とりあえず櫂くんって案外表情が出るんだな。 小さく笑うと、怪訝そうにこちらを見る。再びじりじりと嫌な眼差しを浴び、冷や汗が出てきた。 「とにかく帰ろう」 「…うん」 猫を抱きしめたまま、櫂は歩き出した。 アイチはたどたどしい足取りで必死についていくのだった。 帰ろう、メロウボーイ |