※SS集
やわらかな肌に爪を立てれば皮膚が痛む。そこに力を籠めれば裂けて血の赤が浮き出る、当然の道理だ。
「天才なんて嫌いだよ」
そう嘯くあの人の、憎らしげな、恨めしげな、視線の先に。
立っているのは、黒とか橙とか紫とか。
それをあの人の背中越しに見るたびに、少しだけ、この涼やかな青が嫌いになりそうな気がした。
強い、強い、嫌悪と羨望。憎悪と憧憬。
後ろから僅かに見えるその目の、決して美しくはないその光に、背筋が確かに粟立つ。
もし、もし、俺が天才だったのなら。あなたに正対できるほどの強さを持ち得たなら。
あなたはその人を殺せるような、ぞっとする視線で俺を睨んでくれますか。
ねえ、及川さん。
***
「……っ!」
飛び起きればそこは真っ暗な自分の部屋で、俺は夢を見ていたのだと整わない息のまま思う。
寝巻きが湿るほどの冷や汗が気持ち悪い。
ゆめ、か。
呟いた言葉は暗闇の中に掻き消える。
影山が凡人だった夢。
王様なんかじゃなくて、天才的なセンスなんか持ってなくて、けれども圧倒的な努力と実力をもって俺に同じことを言うのだ、どうして手を抜くのかと。俺は言い返す言葉を持たない。何故なら今度こそは影山と俺は同じだから。同じだからこそ、俺のプレイスタイルはただの怠慢に映る。
そして、そしてあの人は。
『国見ちゃん、』
失望したようなその顔を、夢だとしても見たくなかった。
もしも影山が天才じゃなかったら、あなたはきっと俺を見ることもなかったんだろう、なんて、そんな、考えたくもないのに。
***
「岩ちゃん!」
あの人はとてもたくさんのものを背負っている。
周りからの期待だとか羨望だとか、仲間からの信頼だとか、主将の責任だとか重圧だとか、いろんなもの。
きっとそれは俺みたいな人間には背負えないものだ。
そういうのは金田一とか影山とか、ああいうやつらが背負ったほうがいいのだ。俺のためにも、あいつらのためにも。
けれどそんな俺にもひとつだけ背負いたいものはあって、けれどきっとそれだけは俺のものにならないのだろう。
あの人が唯一寄りかかる背中に、もうそれは背負われているから。
***
「国見ちゃ、」
「何ですか。これ以上何を話すことがあるって言うんですか」
東京へでもどこへでも、行ってしまえばいいじゃないですか。
こんなところで満足する人じゃないでしょう。さっさとどこへなりと行ってしまってください。
震える声は、それでもいともたやすく目の前の優しい人を傷つける言葉をぽんぽん紡いでいく。
いかないでください、つれてってください、なんて子供じみた我侭言える訳もなくて、それでも行き場のない思いが棘になる。
そう、俺は子供なのだ。引き止めることもできなければ、ついていくこともできない、ただの子供。
「俺を置いて、どこへでも行けばいいでしょう」
そうやって夢見た舞台へと行けばいい。あなたはもう、大人になってしまうのだから。
あいをいだいてしにゆく
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150406