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伸びやかな指を持った土方の右手がこちらへ伸びてきた。沖田が把握したのはそこまでである。まるで少女漫画の世界に入り込んだようであった。
その、寄越された土方の手が、躊躇うことなく真っ直ぐに沖田の顎先を人差し指と親指を掴むと強制的に斜め上に引く。平素より優しい灰色の瞳に視線を絡め捕られ、沖田の身体と思考はすっかり固まってしまう。その代わり、心臓がとくとくと早鐘を打つ。土方の気配が色濃くなると共に、沖田の全身をぞわりとむず痒い感覚が支配した。それを振り払う術も、また、土方から逃れる術も沖田は知らない。どうにもならなくて、悔しいと沖田は思った。睨み付ける余裕も悪態も拒否権も全部持って行かれるのが。だって、こういう時ものを言うのは経験である。
(くっそ…!)
逆らうことが出来ないならいっそ、潔く受け止めてしまえ。沖田はぎゅうときつく目を瞑る。


昼休みが残り十分になった頃の屋上である。沖田は事故防止の高いフェンスの金網に手をかけ、柔らかく親和な風を受けて、その先へどこまでも広がる青空に気をとられていた。すると、風よりもっと温かい温度に右の手首を捕らえられ、そこに意識を注ぐ間なくもうひとつの手の指で顎先を挟まれる。無論、そういう風に触れたのは沖田の隣に立っていた土方である。沖田はぱちりと瞬きをする。
近頃の昼休みで、このように沖田の心臓が予期せぬ動きをすることはしばしばあった。土方は三年で沖田は一年。学年は違えば校舎も違う。接点はほとんど皆無に近いのだが、ある日ふたりは鍵の壊れた西校舎の屋上で偶然に出会ったのだ。土方はこっそり煙草を吸いに、沖田は授業を抜け出して昼寝をしに。ひだまりの下で偶然に遭遇し、それからなんとなく土方と沖田は午後のひとときを共にしている。並んで昼食をとることもあれば、日陰を使って午睡に勤しむこともあった。そしてまた同じように、土方と沖田が不思議な距離を生み出す事態が現れたのだ。


不意に手同士を重ねることがあった。土方の手は、何かを求めるように、強請る仕草をするのだ。その何かというものが自分自身であると沖田が気付いた頃。その頃からである。土方が一心に沖田の瞳を覗き込んで、沖田がその深い海のようなふたつの光から逃れられなくなったのは。
どうしてこうなったのかなと沖田は記憶を揺り起こすのだけれど、思い出すのは生意気な後輩でしかない自分の姿ばかりだ。一階の自動販売機へ飲み物を買いに行かせたり、忙しいところ無理を言って課題を手伝ってもらったり。さぞわがままなことだろう。
その、わがままな後輩へ好意を寄せているらしい土方は大変好ましい顔立ちをしているため、沖田の学年からも人気がある。きっと他学年でもそうなのだろう。土方は多少短気なところとマヨネーズを大量に用いる食事の仕方を除けば、ほかには望むものがないほどに恵まれた姿形、また頭脳や社交性を持っていた。だから余計に沖田は土方の思考が不可解だと首をコトンと傾げる。


しかし土方は確かに、世話焼きな先輩ではなく男として沖田に関心を注ぎ、沖田は場の流れに任せてそれを受け止めてきた。土方は揶揄するように、時には真面目に、先輩ではなくなってしまうから沖田には土方がよくわからない。今も、ピンと一直線に繋がった視線の糸を断ち切ることが行えず、整理のつかないもやもやをはねのける手立てとして強く目を閉じることしか出来ないのだ。事故防止のフェンスがそびえていたって事故は起こる。


(ん?)
沖田は目と唇をきつく結んでじっと待った。しかし何も起こらないではないか。既にたっぷり五秒は経過しているはずである。相変わらず土方の右手は沖田の顎先に添えられたままであった。
疑問に思いそろそろと沖田は瞳を開く、と同時に短く奇声をあげて飛び退いた。土方がほぼゼロ距離で無防備な自分の顔をまじまじと観察していたからだ。


「うおっ、ってなぁ…もうちょっと可愛い声あげろよ。きゃーとかさ」
「気色悪い。っつーかさっさと自分の教室帰れ。」
「一緒に居るっつーのに相変わらずだなお前」
「先輩と居たいとか言った覚えないんですけど」
「んだよ。お前だって毎日ここに来てんだろ」


横目で最早蔑むような色をして沖田が睨むので土方は少し困ったような顔をしたが、一瞬である。沖田が下がった数歩を詰めて懲りることなく沖田をじっと真っ直ぐ見つめる。その両目からはなかなか感情が読み取れない。なので沖田は見下ろされている気分にしかならず、気に食わない。程なく、渋面で辟易していた沖田が口を開く。


「何ですかさっきから」
「やっぱお前猫みてぇだよな」


土方はの沖田の問い掛けを丸で無視すると再び右手を持ち上げ、今度は沖田のロングヘアーに手をかけた。耳元から掬って、毛先までつうっと滑らす。ツンツンしたとことあとこの柔らかい髪の毛、と言いながら。
「ねぇ、」
沖田は強く呆れを込めて言うけれど、土方は興味深そうに透明な目をしているから手に負えない。
「綺麗な髪なんだからちゃんと手入れすりゃいいのに」
土方が沖田のほつれた毛先を指先でうまくほぐしながら言う。
「だって面倒くさいし」
しかし沖田はひとつも迷わずきっぱり結論付ける。髪の手入れなど沖田にとっては果てしなく無意味なことであった。ちなみに、ロングヘアーであるのは、美容院に赴くのが面倒だという何ともシンプルな理由である。ただ、髪質が恵まれており、寝起きでも綺麗なストレートなのだから、手入れを怠惰にしても容姿に支障は出ないのだ。そして、大好きな姉にロングヘアーが似合うと言われたから、という理由を沖田は美容室になかなか行かない理由にもしている。一目を引く鮮やかな栗色の髪にうねりとは無縁の直毛。それは細く透き通るように綺麗なので土方は大層もったいないと思うのだ。


「肌だって綺麗だしスタイルもいいのにもったいねー」
「そんなとこ見んな」
「事実だから言ってるわけだろ」


惜しいと土方は本心から言うが沖田には心底どうでもいいことなのだからしょうがない。化粧品より昼寝、髪を整える時間があればテレビを見ている方が楽しいし有意義だと考える。


「今のままでも十分可愛いんだけど」


土方の指先が沖田の顔の輪郭を辿る。その肌は本当に綺麗で白く滑らかだ。沖田はぎょっとして目を真ん丸くしたあとに眉をひそめる。土方はそれを見逃さない。そして沖田が驚いた対象が指先ではなく、言葉だと言うこともちゃんとわかっているのだ。


「可愛いからこうやって会いにきてんだろ」


そしてわかっているから繰り返す。じわじわと追い詰めるのが土方の常套手段だ。土方が上機嫌になるぶん沖田からは余裕が減ってゆく。ゆらゆら定まらない目線と何か言いたげな薄く開いた口元。おまけに思いの外簡単に頬が色付くから感情が希薄なくせにわかりやすい。土方はこっそりそれを楽しむのだ。土方の指先が沖田の顎先を捕らえる。


「さっき期待した?」
「してない」
「じゃ、何で目閉じた?」


間髪なく返され、言葉に詰まった沖田は一度上げた目を伏せる。その目の、日光で透けた睫毛と土方とは触れ合いそうな距離であった。やはり走り出す心臓がうるさくって沖田は浅く呼吸をした。息継ぎは気休めにもなってくれない。土方は問答無用で顎先を形のよい指で持ち上げる。そうして、奥の奥まで見透かすようなまなざしを土方がするので沖田はほとほと困る。だって、こういうときどうしていいのかまったくもって知らない。もどかしさが心底までいっぱいに満ちる。沖田は悔し紛れに眉根を寄せて舌打ちをした。


「お前なぁ…。こんなときに舌打ちってやっぱり可愛くねーかも」
「うっさい黙れ」
「じゃあそうする」


言われたとおりに土方は黙ってやった。ただし、沖田を道連れにして、だ。
くい、と不意に強く顔を引かれたときやはり沖田に為す術はなかった。瞬きをした間にくちびる同士が柔らかく触れ合う。


「!」


ちゃっかり土方は左手を沖田の後ろ頭を支えていたので、沖田が逃げ出すことは叶わない。土方は沖田のくちびるを半ば強引に開き、舌を差し入れる。ここまでくると沖田には最早何がどうなって今何をしているのかあらゆることがもうさっぱりだった。出来ることはせいぜい、甘ったるい音が漏れそうになるのを必死で抑え、懸命に息継ぎに努めるのみである。


「ん……、」
最後にあやすような小さい口付けを土方が行ってふたりはゆっくり離れた。熱を帯びた息を段々に沈める。熱い。熱を逃すよう、沖田は大きく息を吐いた。チラリと見た土方は慣れたもので、平気な顔をしているから憎たらしい。


「お前キスしたことないだろ」
「……ありますけど」
「……いつ。」
「……幼稚園のとき」
「いつの話だよ」


沖田の思考は未だ停止のまま。動いたところで顔は自身が把握出来るほど赤いので、浴びせたい罵声は呑みこむしかない。涙の滲んだ目をコンクリートの亀裂へ走らせ、たいへんなものに捕まったのかもしれないとようやく思う。
やっぱり可愛いと土方が言う。可愛くない可愛くないと沖田は胸中で叫びしかめっ面をする。突き抜ける青空も今は憎らしい。そんな沖田の唇にもう一度くちびるを寄せて


「本気だから」


と土方がとても真摯な双眸で告げるので沖田の世界はぐるりと一回転。回避は不可能である。どうにも土方のまなざしは沖田の手に余るのだ。
瞬きの間に世界は変わる。沖田はやはり悔しい。睨み付ける余裕も悪態も拒否権も全部持って行かれるので。







後輩人気が高い土方先輩ください!イケ方さんを目指して華麗に失敗。

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