さあ、溺死体をつくってみせよ | ナノ

さあ、溺死体をつくってみせよ



しとしとと心音のように優しい雨が降っていた。それ以外特筆することはない。今はいわゆる梅雨であるから、このところ毎日のように雨が降る。つまりいつも通りであった。ここは学校で、時は放課後で、ふたりで閑散とした図書室にいることも。参考書を捲る私の指先も、窓枠の外を見つめる彼女の瞳も。
分厚い参考書を開く。羅列する細かな文字たちに目を走らせ、その意味を脳へ叩き込む。この一連の動作、いわゆる受験勉強をするために近頃の放課後は図書室直行コース一択だった。呆れたことに予習復習すら見事に手を着けない問題児の沖田も一緒。このまま放っておいたら、電話も通じない場所にふらりと消えていなくなりそうでどうにも危うい。ゆらゆら、ゆらゆら。まっすぐに見上げてくる、そのビー玉に似た双眸のように。


「つまんない。」
やだ、と幼稚園児のように口を尖らせる沖田を今日も引きずって来たはいいものの、やらないという宣言通り三問も解いたらコイツはペンをほっぽってしまう。沖田曰わく、頭がぐちゃあごちゃあなって大変なんでさァ、らしい。ボキャブラリーも幼稚園児並、もうあと二年で成人だっていうのに。いい加減将来が心配である。
いつも通り。つまり沖田の脳みそは問題みっつでキャパオーバーを訴え、沖田の怠惰な心はそれに素直に従う。ここが家なら確実に私へちょっかいをかけてくるのだが、さすがにこの馬鹿も図書館で騒ぐなんて真似はしない。三問目以降へ進む私の向かいの席で、沖田は黙って頬杖をついて外の世界へ視線を注ぐのだ。
それは透明なまなざしだ。水のようで、読み解くことが難しい。掴んだところで、指の隙間からすり抜けていくから難儀なことだ。必死になっても、留めておくのは不可能である。


前面に垂れた毛束を耳にかけ、向かいの沖田をちらりと覗く。沖田は、しばしば儚いと評される無表情で、まん丸のビー玉に降る雨を映している。英文読解へ向ける意識を絶ち、ふと沖田の無茶苦茶な思考について思いを巡らす。きっと、今晩のごはんやツタヤに行きたいとか、そんな他愛もないことだろうなと思った(ある程度沖田と関われば嫌と言うほど思い知る、儚いのは顔だけだ)。
そうだ、きっと。考えているのはどうでもいい些細なことだ。やれやれ、と思った。しかし瞬間、それよりはるかに大きな焦燥が心底から沸き上がったのだ。
(本当に?)
記憶ががんがんと訴えかける。眉をひそめ、再び沖田の整った顔立ちに視線を継ぐ。青い瞳に捕まって息苦しさを感じた。この衝動を私は確かに知っている。


昨夏のとある記憶が過ぎった。沖田のわがままに付き合って夜の海へ行った、真夏の出来事だ。その日、私は夜中に連絡無しにふらりと現れた沖田の我が儘に負けて、意味が分からないとぼやきながらふたりで夜の海へ出向いたのだ。何も語らず、何もおもてに映さず、ただ、「一緒に海に行こう」と強請る沖田と並んで。断ることは出来なかった。だってあの日、私は、このまま目を離すと沖田は死んでしまうかと本気で思ったのだ。例えば海のあぶくのようなものになって、消えてしまったらもう元には還らない。
ぽつりと沖田は突然に言うことがあるのだ。命あるものの生き死にについてを。あの日もこのような、なんてことない顔をして、瞳いっぱいに大海を映していた。たった一夜の出来事だが、思い出は恐ろしいほどに鮮明であった。五感は瞬間を覚えている。澄んだ声で沖田はきっぱりと言ったのだ。


「溺れてみたい。息がなくなるまで。死んだっていいや。」


記憶の沖田がよく通る、透明な声で告げる。ちょうど、ちょうどその時であった。向かいの沖田が告げた。
雨が降っていた。しかし、すべてを塗り潰すように降る雨へ変わっていたことに私は少しも気がつかなかったのだ。雫のようにぽたり落とされた言葉が、すべての音声を掻き消す。


「溺れてみたい。」


ねぇ、ひじかた。
綺麗な丸のような、優しい声色が紡がれる。まるで真摯なお願い事だ。


「ねぇ土方、溺れてみたい。何かに。……って思うんだけど、きっと、土方じゃないと私は死ねない。」


息が詰まり、強く眉根を寄せる。浸食、といった単語が頭の隅へ過ぎった。土方がいい。つまりはそういうことだ。逃げ道はない。もはやそれはおねだりではないのだから。絶対の、王様の命令に等しい。
沖田は打ち抜いたのだ。その瞳で、寸分狂わず。まなざしに呑まれたことははっきりとわかった。きっと私は、深く深く、沖田の望んだ場所へたどり着くのだ。ふたり一緒ならこわくないよ。と、目の前の沖田が柔らかく笑う。


「ねぇ土方。溺れるような恋をさせてよ。」







情緒不安定で危うさを秘めたにょきたが好き。にょひじさんはダントツ書けません、誰これ状態。

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