箱庭情交 | ナノ

箱庭情交
※リストカット描写あり



午後八時を回った時刻であった。鈍い足音を薄暗いマンションの廊下に響かせ、簡単な食事と風呂を済ませたらすぐに眠りにつこうと決める。なにしろ、この時刻に帰宅するのはおよそ一週間ぶりのことであった。激務の余韻が身体のあちらこちらに響いており、早く泥のようにベッドに沈みたいと考える。ああ、疲れた。緩慢な仕草で鞄から部屋の鍵を取り出しながら安寧と解放を求める意識の隅に、どうしようもない子供のことが過ぎった。


どうしようもない子供の名は総悟という。一生かかっても理解が出来ないであろう不思議なものの名前だ。そんな奇怪な生き物に合い鍵を渡してしまった自分もどうしようもないなとしばしば自身に呆れてしまう。成り行きというものはほんとうに恐ろしい。宇宙人のような子供の、真ん丸で、中にはきらきらした煌めいたものを住まわせている青い瞳を思い出した。そして眉をひそめる。同時に総悟の行いを思い出したからだ。

総悟はふらりと部屋を訪れては、台風のような爪痕を残していくのだ。総悟は猫に似ているがマーキングなんて可愛らしいものじゃない。昨日も現れたようで、何故だかベランダで皿が数枚粉々に割ってあった。そして、ようやく就寝だととうに日付が変わった時刻にふらふら向かったベッドの毛布の下には、何故か総悟用の赤いマグカップが寝そべっていたのだ。添い寝をしろということだろうか。
このように、ひとつずつ拾って数えていけば総悟の奇行は山のようにある。引き出しの中身を全て出してみたり、新聞をぐちゃぐちゃにしてみたり。意味はまったくわからない、意味があるかもわからない。けれどひとつひとつの行動に、沖田は膨大な情熱を継いでいることだけは理解している。

また、総悟はおはようと同じくらい澄んだ声で死んでくださいと物騒なことを紡ぐのだ。例の、透明な双眸そのままで。ハイハイと感情のない返事をすると、気に入らないと少しくちびるを尖らせる。しかし、ひとたびぱちりと瞬いたらもとの真顔に帰り、息をするようにおかしなことをしでかすのであった。
思うに、これらは呪いなのだ。そして沖田は呪いを基礎代謝として生きていけない人間だ。とんとんと心臓が鳴るように、白い紙いっぱいに死ねだとか消えろだとかそういう類をかりかり刻む。人々のする留守番電話の代わりに、その呪いがたんと詰まった紙切れを残して帰る。


「殺してみてもいいですか。」
以前、空色の瞳と目をじっと合わせてみると喉元へ両手をかけられた。滑らかな指先に柔く力を込め、絞殺の真似事をするのだ。真摯な、強いまなざしを注がれたので、同じように俺も「殺してみてもいいか?」と総悟の真似事をしてみるとなんと解けるように微笑まれた。あと、調理の際包丁を握ったところ、至極全うに「刺されてみたい」と強請られたこともある。まったく、とんだ死にたがりだ。これじゃあ誰が誰に呪いをかけているのかわからない。


「…………。」
子供は今日もせっせと呪いに努める。殺そうとして、殺されようとする並々ならぬ情熱を糧にして。もしかしたら、今、この部屋で儀式は行われているかもしれない、と思ったのだ。まだ八時である。ガチャリ、鍵を回し扉を開くと、予想は事実であった。総悟の履き古したスニーカーが並んでいたのだった。


「……ただいま。」


居間に入ると、ソファーの端っこに体躯を丸めてちょこんと座っていた総悟がゆるやかに顔を向ける。そうして少し驚いた顔をしたのち、おかえりなさいと言った。


「今日は早かったですね。」
「ああ、やっと仕事が一段落ついたんだよ。」


今日は、ということはやはり毎日足繁く通っているのだろう。学校には行っているのだろうか、クラスに馴染んでいるとはとても思えないのだが。ぼんやり考えながらかけられた妻のような言葉に返事をし、ネクタイを緩めながら部屋をゆるりと見渡す。何も変わらない、朝出たときのままだ。
大人しく待っていたのか、と頭でも撫でてやろうと思い総悟に近づくと、クリーム色のソファーに不思議な斑点模様を見つける。ぽたぽたと涙のように垂れた赤黒い丸。何かに触れて薄く延びたものもいくつかある。すぐに正体と出所を同時に見つけ、目を細める。血だ。膝を抱える総悟の左手首が泣いているのだ。


自傷。それは、数ある中で最も理解に苦しむ総悟の行いであった。きっと総悟は、俺が頭を捻ることを知ってそれを行うのだ。ここぞというこきに、決して逃がさないように。あなたがいないとだめなの、流れる血液はそんな縋る言葉と等しい。この生き物は果たして何がしたいのだろう。盛大に顔をしかめると、総悟は何てことないという風に穏やかな声でこんな風に言う。


「あぁ、これですか?切りました。えぇと、この剃刀で。」
「見りゃわかる。……なんでお前はこういうことするかな。」
「え?えーっと、アンタが早く帰ってきてくれるかなーと思いまして。」
「もういい。とりあえず血拭いて。」


額を押さえ、はぁ、と深く吐いたため息は紛れもなく諦めだ。総悟が語るのはいつだって知らない国の常識なのだ。
ティッシュ箱を手渡すと総悟は素直に止血を始める。ズタズタに交錯した切り口をぽんぽんと判子を捺すように叩く。優しく口角を持ち上げ、赤が苛んだティッシュを眺めるのだ。柔らかい表情を眇めて、もう一度嘆息する。大方、呪いが効いたのだと上機嫌なのであろう。ふらりと目眩がするように頭が痛い。どこをどう辿って考えればその行動に結びつくのか、考えるだけ無駄だ。もっとも、総悟にとっては常識であるのだが。


「はい。これ貼っとけ。」


確かここに入れておいたと引き出しを漁り、見つけた大きな絆創膏を総悟へ手渡すと、信じられないと不思議なものを見る目で見つめられた。ぱちぱち。透明な瞳が瞬くたびに俺の予定は崩れゆく。そうして、くちびるから現れるのはやはり異国の常識だ。


「アンタのためにここまでしたんですよ?」


ことんと首を傾けて、当たり前じゃない当たり前を零す。突き刺さるのは限りなく透き通ったまなざしだ。ねぇ、と総悟は上目で念を押す。
あーあーと眉根を寄せた。この子は、かわいそうな子供だ。うん、そうだな、と頬に流れた髪を耳にかけてやった。自傷しろなど頼んでないんだけどとはもちろん言わない。


「だからアンタが手当てしてくれなきゃやだ。」
「おう、そうだな。悪い。」
「そーですそーです。」
「でももうこんなことしなくていいからな。お前が痛いのは嫌だし。」
「うーんどうしよっかなァ。」


ご機嫌とりに跪いてやると、総悟は目当てのおもちゃを得た子のように心底満足そうな顔をする。かわいそうで、権力だけを得た王様のようで、口を詰んだ。
はい、と自慢げに差し出された手首は痛々しい。生々しい、情熱の塊だ。生きたがりで、死にたがりで、どうしようもない。総悟はカラカラ歌うように提案する。


「じゃあアンタが、痛くないように切ってくだせェ。好きなように。右っ側あげる。」


腕捲りして準備万端の綺麗な手首を差し出され、どうしようかなぁと悩む素振りをしてやった。「しないの?」などと頬を膨らまされたので有耶無耶にするためのキスを与える。隠すように真っ赤な手首をひっ掴み、いくつかくちびるを重ねた。


「ン、あ、ふぁ…ッ…土方さんもっかい、ちゅー。」
「おー。」


だらしない口調でべたべた唇を寄せながら、厄介だと真逆のことを考えた。子供は貪欲である。くちづけに気が済んだら性交をねだることは容易く予想がついた。


「土方さん土方さん。」
「ん?」
「ねぇ、覚えてやした?俺、明日誕生日なんです。だからいっぱい愛して。」
「……うん、知ってたよ。」


誕生日だなんて、教わったことは一度もない。嘘つきの愛を与えることがひどく億劫な作業に思え、すぅと目を細める。
ぎゅるりと腹が鳴る。空腹であった。早く、床につきたいとも思うのだ。仕事は減らないし時間は止まらない。子供は想像もつかないほどの情熱を込めたまなざしを注ぐ。明日が誕生日だって、世界が終わる日だって。
差し出された赤いくちびるに歯をたててやる。そんなに愛してほしいなら、ひとつになりたいのなら、いっそ、殺して食べてやろうかとどうしようもないことを考えながら。







メンヘラかヤンデレかとふらふら考えながら書いた結果、かわいそうな子供に落ち着いた。土方が史上最高に冷たい。
これがそご誕2012だなんて。


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