怒ってはないです、と正臣は言った。こちらは真っ直ぐ臨也しか目に入っていないのに目の前の男は窓の外ばかり眺めている。ずるいな、と思いながら口からこぼれた文字をはっきりと自分の中で掴んだ。臨也の言葉を聞いているうちに忘れていってしまいそうになる現在の感情を刻み込むように何度も繰り返す。臨也が自分を利用していることに関して怒ってはいないしもう半分くらいは諦めていた。生きていくためにはしょうがないかな、なんて思ったりもして。沙樹に言われた通りひねくれていることなんて正臣自身が一番わかっている。けれど今、この気持ちは違う。嫌なのだ。臨也がこの部屋にいる自分ではなく、窓の外を見ていることが。

 使い走りとして池袋での買い物を頼まれたのち、正臣は静かに臨也の家を出ようとした。スニーカーの音を立てぬように慎重に。これほど深く関わってしまったあとだから触らぬ神に祟りなし、というのはすでに遅いことだとは思うが、できる限り関わらない方がいいというのは今でも変わらない。しかも神という名称より悪魔と呼ぶ方が合っているというのが臨也だ。姿を目撃されたら最後。それが地獄の始まりだろう。

 スニーカーを履いていると肩に少し重みのあるやわらかいものが乗った。臨也がいつも着ているコートだった。ハンガーから直接持ってきた様で服の上からでも冷たいのがわかる。なんですか、これ。少しだけぶっきらぼうになる口調。顔にも出てしまったようだ。臨也が自ら行動するなんて、下心がなかった例がない。よってよからぬことを企んでいるとしか思えないのだ。寒いから着て行きな。確かに今年の春は例年よりも気温が低い。今日も曇り空はひんやりどんやりとした空気を含んでいた。風が強いから、とフードも被せた臨也は満足そうな表情で尋ねる。君、背伸びた? はい、まだ伸びますよ、きっと。

 買い物を終えた正臣は目的の物を届けるべく臨也の家へ向かう。平日ということもあり学生が少なくさほど人の多くない帰路をたどる。授業を行っている時間帯だというのに街を歩いている生徒を見ると退学をした正臣には関係のないことだけれど少し惹かれてしまう。しかしかつての学友に出会う心配なんてこれっぽっちもないだろうと安心していた。突如、鈍い金属音が響いた。かん高い悲鳴は店の前でチラシを配っていた女のものだ。様々な音に空気が振動する。正臣の進んでいた先にはポストが寝転がり地面に接した部分が歪んでへこんでいた。当たったらひとたまりもなかっただろう。ひやり、とした。刃物や銃を首に突きつけられたらきっと感じるような寒さ。こんな人間離れしたことができるのは正臣が知っている中で一人しかいない。確かめようと後ろを向いた瞬間、フードが音もなく脱げた。金髪のバーテンダーの服装をした男。平和島静雄、その人だった。

「あ、悪い」

 フードからこぼれた明るい茶髪は多少距離があっても目立つようだ。正臣と静雄の距離はさほど近くはなかった。それでもポストを投げとばせるとは末恐ろしい。同時に正臣は、今、この瞬間に臨也は池袋で自分の仕事を円滑に済ませようとしていると確信した。自分にコートを着せたのはカモフラージュだったということを。正臣は悪いで済むなら警察はいらないのにな、と思いつつ無事だったことを安堵するしかなかった。怒るつもりなんて全くない。この人も被害者なのだ。ある男と間違えたんだ、と頭に置かれたのは自分と比べて大きな手で。

「わかっていて俺を使いに出したんすね」

 部屋に帰り、なんのこと、ととぼける臨也に正臣は、静雄さんに会うこと、と返す。そう、お疲れ、大変だったね。くしゃりと頭をなでられ、ごまかさないでください、と言う声は小さく弱々しい。本当にずるい人だ。指が髪を梳いていく感触。臨也は正臣を通して違う誰かに触れているようだった。誰か。臨也はやはり初めからわかっていたのだろうか。正臣は静雄が頭に触れたことを臨也に言わなかった。手の温もりを渡したくはなかったし、今もそんなつもりはさらさらないのだ。もし渡してしまったらこの部屋にいる自分になんて目もくれなくなる。外の世界のあの人が余計恋しくなってしまうだろう。けれど指の動きを止めてほしいなんて口にはできない。ハンガーにかかったコートが視界の端にうつった。この部屋は、コートは、誰の姿を隠しているのか。


あのとき誰を隠したの


20100421

ライターさまに提出させていただきました。



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