あの人とは委員会やなにかで繋がりがあるわけじゃあなかった。生物委員の友人のように小屋を壊したから修繕をよく頼むことはないし(元々うちの委員会で物を壊すことは滅多にない)、某体育委員長や某作法委員の彼らのように学園に迷惑な穴を掘って怒られるような真似もしない。
 そう、たしかに、これといった関わりのある人では決してないけれど。たとえば下級生に向ける優しい笑顔だとか、合同実習で何度か見たことのある力強い瞳に、どうしようもなく胸が苦しくなった。保健委員長とあの人が仲よさげに話している姿を見かけると、違う意味で胸が苦しくなる。しかしどうしてそんな症状があらわれるのか、全くわからなかった。

 もしかしたらなにか病気なのかと、図書委員の友人の協力の元、病気に関する書物を全て読んでみる。
うんうんと唸りながら友人と二人で本を読み漁るも、やはり、どこにもそんな症状は書いていなかった。力に慣れなくてごめんねと眉を下げる友人に、大丈夫だと首を振って図書室を後にする。

ここは病気の専門の人に聞いたほうがいいかもしれないと、次は医務室に向かった。あの場所で流れる柔らかくなまあたたかい雰囲気はどうにも苦手で、本当は立ち寄りたくはなかったのだが、あまりにも胸が痛むのだ。四の五の言ってはいられまい。
遠まわしな言い方は好きではないので単刀直入に聞いてみる。すると新野先生は最初は目を丸くしたが、すぐにそうですねえとにこにこ意味ありげに笑うだけで他にはなにも言ってはくれず、医務室ではそれだけで終わった。

そんなことをしている間にも胸の痛みは増すばかりで、最近ではなにやら泣き出してしまいそうにまでなる始末だ。
ああますます俺は病気なのではないか。もしかして誰もかかったことのない病魔で俺は死んでしまうのでは。それは嫌だ。まだ豆腐料理を極めていないし、心優しい友人たちを悲しませたくない。






「……それでで、なぜ私に聞く?」

「三郎ならわかると思って」


 いろいろと目をつむればお前は頭がいいだろう。俺の言葉に三郎は唇を尖らせて、私は目を瞑らずとも頭が良いのだと文句を垂れる。友人の顔を使って悪戯三昧している男が言う台詞ではない。
勘右衛門には聞いたのかと問われ、とっくの昔にと頷く。勘右衛門はぱあっと目を見開いて頬を染め、よかったねえへいすけ!と言うだけだった。なにが良かったんだと聞いても、自分で気付かなきゃあ、と教えてはくれなかった。勘右衛門はたまに意地悪だ。


「なあ、俺は死ぬのだろうか」

「死にはしないだろうさ」

「そうなのか?」

「そうだとも、優等生くん」


 あの、久々知兵助ともあろうものがねえ。三郎は喉をならして笑う。嫌な笑い方だ。人をからかう笑い方である。
そして三郎は大袈裟に両手を広げて、演技がかった口調でこう言った。


ああならば教えてやろうとも、この天才鉢屋三郎が。


それはねきっと、








「こいのやまいさ」





ツァーリズムの崩壊









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食満←無自覚久々知
sssから修正して再録

透徹/110706