(成長)





久しぶりの休日に空を見上げれば、雲は陰りしとしとと雨が降っていた。
こんな天気じゃなければ洗濯のバイトが出来たのにと舌打ちをする。休日は街に出て仕事を探すことが多いのだが、天気によって選択肢の一つが潰されて朝から憂鬱だ。洗濯は他の仕事と重複しやすい仕事なのに。
だからといって不貞腐れて部屋に篭るなんて勿体無いことはしない。時は金なりだ。
身支度を整え、校門を出ようとしたら小松田さんに間延びした声で外出届を出さなきゃ駄目だよぉと言われる。見逃してくださいよと笑うが、小松田さんは規則だからだめだよと、にへらと笑って言い返した。見逃すつもりはないらしい。流石である。
仕方なく身を翻して、職員部屋の並ぶ小屋へ足を進めた。後ろではまたねぇとまたもや間延びした声で小松田さんが手を振る。多少カチンときたものの、雨の中、校門前を箒で掃く姿を見たら何も言えなくなってしまった。ご苦労様です。
ん?いや、むしろ雨なら校門前は掃き掃除しなくていいのでは?
……もう一度校門に来た時に伝えてあげよう。

職員室の戸の表札に土井・山田と書かれた部屋の前に立ち、失礼しまーすと戸を開ける。
何年も同居している人がそこにいるとなると、どうも遠慮やらなんやらが抜けてしまう。お前は土井先生に対して以外でも遠慮なんか持ち合わせちゃいないよと言っていたのは庄左ヱ門だったか団蔵だったか。
いつもなら戸を開けた瞬間、失礼しますだけではなく名前をちゃんと言えだとか、まず戸を叩いて返事を確認してからあけるべきだっろうとかお説教が飛んでくるのに今日はそれがなかった。
あれ。首を傾げると、部屋には土井先生しかいなかった。
土井先生は机に肘を突いて、こくりこくりと頭を揺らしている。右手はしっかりと筆を持っていて、見てみるとテストの採点の最中であった。

あらら、寝てらぁ。


「先生、外出届、ほしいんすけどー……」


ためしに言ってみるが返事はない。こりゃあ本格的に寝ているようだ。外出届貰えないじゃん。
まあぶっちゃけ外出届が何処に仕舞ってあるかなんて知っているし、勝手に拝借して自分で書いて判子を押す事だってできる。かなりの確立で先生にバレてげんこつを食らう羽目になるけれど。
消せるだけの気配を消して、寝ている先生の前でしゃがみ込む。前髪が鼻まで掛かり、目元をほとんど覆っていた。
そろそろ髪を切らなくてはいけませんね。斉藤さんとこで切ってもらうのもありだけど、きっと先生は殺されかけちゃうし、俺はまたタカ丸さんに髪をいじられて面倒なことになっちゃうから今回もまた俺が切らなきゃ。

ずっとずっと。
先生の髪を切るのは、俺であればいいなあ。


「……せんせえ、」


学年が上がるにつれて、色を使うことは自然と増えた。
そりゃあそうだ、小さな体の時には使えなかった知識や相手を惑わす色気は上級生になるにつれて増えていく。そしてそれを武器に使わないはずもなく。
くのいちなんてきっと一年のうちから色を使うことを教えられてきたんだろうなと思わず苦い笑いが浮かんだ。
そしてそれは例えば授業であったり、いけない事だといわれていたが銭を稼ぐことに使った事だってある。女を抱いたことなどもう数え切れない。男にだって体を売ったこともある。
銭にさえなれば俺は俺の体がどうなろうと構わない。銭さえあれば、ここに居られるのだから。

あの優しくて温かいは組の皆と。先生と。
そのためなら体を売ることなんて辛くはなかった。

それでも、俺は一つだけ頑なに守っているものがあった。

眠っている先生の薄く開いた唇にそっと触れる。起きるかな。起きないな。
こんだけ人間が近くに居てあまつさえ触られて起きないとか、忍者としては失格っすよ先生。
それでも起きないのは、俺だからかなとか自惚れたりしてもいいのだろうか。


「ここと、ここをね。くっつけるの。それだけは、まだ誰ともしてないんですよ」


くちびると、くちびるを触れて確かめ合う愛を。
俺はまだ誰ともしていない。
そしてきっとこの先もすることはないだろう。

儀式みたいな愛の誓いは、俺にとっては何よりも神聖なものだった。体はもう男にも女にも許している不純なものであるというのに、それだけは、なんて笑ってしまうが。

それでもこの場所だけはね、


「俺は先生にしか、あげないんですからね」


ドケチな俺が唯一先生にあげるって言ってるんですから、貴重ですよ。

こんなこと、団蔵や金吾や虎若が聞いたら目を見開いて驚くだろうな。庄左ヱ門も固まりそうだな。
伊助は熱でもあるの?とか聞いてくるだろうし、喜三太は元気ないのとか言ってナメクジ渡してきそう。
兵太夫と三冶郎はどうだろう、逆に先生に何かしちゃうかもね。カラクリしかけたり。

そんでもって、乱太郎としんべヱは……きっと、ふにゃって眉を下げて、でも笑って俺の頭を撫でてくれるだろう。
ドケチのくせにすごい奮発したね、とか言って。頭を撫でて抱き締めてくれる。あいつらはそういうやつだ。

当たり前だが何も答えず眠り続ける先生にどうにも目が熱くなり、堪えてふにゃりと顔を歪めて笑った。
笑うことでしか目から溢れそうになるそれを抑えることが、きっとできなかった。





愛を知らない子ども





あんたがそれを、教えてくれたのに。

(先生からの愛がもらえることはきっとない)








透徹/110513