いっそ首を絞めてくれよ




 オーラを呪力に変えることはそれほど難しくはない、少しだけ呪力を混ぜれば念能力が呪術に相当し呪霊を祓えることに気付いたのは確か九十九由基に会った後だった。この世界では念能力など必要ないと思っていたが、どの世界でもエネルギーやオーラに似たようなものがあるのか。正があれば負があるように。新しい場所で一から生活を築き上げていくのは非常に面倒だった。だから私の存在を知った呪術界の“お偉い方々”の言う通りにしてきた、そうしていれば生活は保証されるしこの世界に馴染みやすかったからだ。

『高専に行ってみればいいよ。私はあそこ嫌いだけど、君の欲しいものが見つかるかもしれないよ』

 由基が私の欲しいものを何故知っているのか問わなかった。欲しいものなんて自分でも分からなかったからきっと聞きたくなかったんだ。

 私は兄さんがここにいないだけで幸せだ、それ以上に求めることも、意欲も、欲望も、あまりない気がして。でも思ったより、世界に色がない。昔の白黒映画を見せられているように無機質な感じが少しだけしている。私は満足している、幸せなはずなのに。

(ただ一つだけ、問題がある)

 呪霊や呪いの類は厄介だけど、死後残る念に似ている気がする。しかし、私はこういった類が非常に苦手だった。『検証したいから』と弟に一週間監禁されていた事がある。広くてテレビ以外には何もない薄暗い部屋でホラー映画を弟に延々と見せられてトラウマになったあの日から鞭を打たれて拷問されるよりも呪霊を祓う方がよっぽど恐ろしい。

(あれ、私呪術師向いてないんじゃないか)

「心ここに在らずって感じだ。ナマエってなんで高専にいるの?」

 1年3人で向かった任務先で雄くんに言われた言葉に飛んでいた意識が一瞬で引き戻された。この子、笑顔で結構キツいこと言うんだな。本人はきっと無自覚だろう、素直すぎるのか。それでも私にとってはどうってことのない言葉のはずだった。けれど思ったよりも突き刺さった言葉の針が太くて、針の先には釣り針のように返しがついていて、胸の奥に引っかかってしまった。

 別に何か失敗したわけでもないしいつものように淡々と任務をこなしていただけだ。もしかして人質の人間をすぐに助けなかったのを見られていたのかもしれない。でもあそこで人質を優先したら雄くんと健人くんは間違いなく死んでいたと思うけど。

「……二人ともそろそろ戻らないと」

 閉口したままの私の横で健人くんがさりげなく助け舟を出した。

「そうだね。あっ、ナマエさっきは助けてくれてありがとう!」
「さっき?」
「人質のあの子、僕じゃ助けてあげられなかったのは確かだったよ。だからありがとう!」

 そんなこと律儀に感謝するのか。自分の命を救われたわけでもないのに。もしかして、これって当たり前?いや、彼がそういう人間なんじゃないか?必死に頭を回転させたけど、同じ歳の子と群れるのは初めててまるで正解がわからない。ルールブックとか、説明書が欲しいぐらいだ。でも、悪い気はしない。頭の中で沈澱して塊になってしまった物が剥がれていくような感覚だった。

「雄くん、私たちって、友達?」

 その問いには雄くんどころか、健人くんもギョッと目を見開いていたが、次第に雄くんは大きく口を開けて笑った。歯が見える、豪快な笑い方だ。

「当たり前だよ!ナマエと七海と僕、絆は永遠だからね!」
「それは言い過ぎでしょう。永遠なんてありません」

 健人くんは冷めた視線を送っていたが、その口元には微かな微笑の皺が見えている。普段見せない一面を見た気がして自然と頬が緩んでしまった。しかし、気づけば二人の視線が私に集まっていた。何か変なことをしただろうか、顔を傾けていれば「すごくいい!」とよくわからないことを言って親指を立てられる。やっぱり友達同士の会話とか、意思疎通とか、気持ちってまだよくわからないけど、理由とか、定義とか要らないのかもしれない。「戻ろうか」と歩き出した二人の背中を追うように一歩踏み出した刹那、

『殺し屋に友達なんていらない』

 浮ついていた頭の中で稲妻が落ちるように兄の言葉が通り過ぎていく。頭の中に張り巡らされていた蜘蛛の糸のようなものが緊張を帯びて、不意に一本がクイッと引っ張られたような気がした。

『邪魔なだけだ』

 右手に心臓があるんじゃないかと思うぐらいに脈拍がそこへ集中する、今にも張り裂けそうな血管がぐにぐにと血液を送り出し、指の先で鋭さを際立たせた爪が恍惚と光る。前を歩いている二人の肉を引き裂いたらどんな感触がするだろうか、引き裂いた肉の合間から生々しい赤が溢れてこの手を染め上げるだろう、堪らない、堪らなく待ち遠しい。口の中で唾液が溢れて、喉の奥が疼いた。

(コロシ、タイ…コロシタイ、コロシタイ、コロシタイ!)

 視界が一瞬途切れて、目の前にいた二人がいなくなっていた。感じた違和感に両手を眺めてみればそれは既に生々しい赤で彩られている。血ってこんな色をしていただろうか。爪先から流れるようにべっとりとこびり付いているのはあまりにも鮮烈な色のようで。しかし心はやけに穏やかだった。

(でも、一体誰の血?)

 顔を上げた先に見えた肉の塊にドクリと心臓が蠢いた。まだ瑞々しく、さっきまで生きていたかのように鮮やかな血が地面に広がっていく。もう人間の形をしていない、二人を肉の塊にしたのは私だ。呆然として、体のどこからも声が出ない。絶望という感情に心臓を握られて、真っ赤に染まっている両手が小刻みに震え出す。『友達』は死んだ。私が、殺した。その事実だけが残って、息もうまくできない。

「何してんの」

 低く静かな怒りを含んでいるような声が頭上から降ってきて硬直していた体の頭だけを上げる。そこにはあの五条悟がいた。サングラス越しでもわかる、冷ややかな視線に全身の血の気が引いていく。

「ナマエ、手、血出てる!怪我してたのか?!」
「えっ、なんで」

 詰め寄ってきた雄くんと健人くんの姿にだらしなく口が開いてしまった。なんで、生きているのかと口に出てしまう手前であれは幻覚だったのかとようやく気づく。

「いっ、」

 引き戻された思考がまず初めに感じたのは右手首から鋭く感じる痛みだった。抉られているような傷口から噴水のように血が溢れ出して、地面を濡らしている。患部を左手で押さえつけても血は止まりそうにない。不意に腕を引っ張られて体がよろめいたが、引っ張った張本人である五条さんはどんどん前を進んでいった。

「俺ならすぐ高専まで飛べるから先行くぞ」

 振り返った先の雄くんと健人くんは落ち着かなそうにこちらを眺めていた。「ごめん、本当にごめんね」と謝罪の言葉が喉元まで込み上がっているのにどうしてか声が出せない。気づけば高専の敷地内を歩いていて、私の腕を引いたままの五条さんの背中からはやはり怒りが滲み出ているような気がした。「なんで五条さんがあそこにいたんですか」と聞けば「たまたま近くにいたから」と抑揚のない声が返ってきた。

「お前それ自分でやったんだろ」
「…はい、多分」
「多分って、やっぱお前イカれて………」

 振り返った五条さんの動きが止まって、腕から手が離れる。その場に立ち尽くした私を静かに見下ろしているけど、彼が今どんな顔してるのかは知らない。きっと呆れているだろう、それとも頭のおかしい女だと軽蔑しているのか。

「自分でやったくせになんで泣くの」

 不安と、後悔と、恐怖が入り混じった感情が一気に込み上げてきて頬を濡らす。わからない、自分が信じられなくて許せない。同時に二人が生きていたことを心の底から安堵している。もう心の中がグチャグチャで正直立っているのが精一杯だった。

「そんなに痛いなら早く硝子んとこ行くぞ」
「…もう血も止まってるので、平気です。ここまで連れてきてくれてありがとうございます」
「おい、まっ」

 引き止める声もすぐに聞こえなくなるぐらい必死に重たい足を動かして走った。角を曲がって校舎の裏に体を寄せたが、後から追ってくる足音が聞こえて咄嗟に絶で気配を絶った。今は誰とも顔を合わせたくないし、話したくもない。その場で蹲って現実から逃れるようにぎゅっと目を閉じた。手足が鉛のように重くて、このまま地の底に沈んでいきそうだ。

『どうせ殺しちゃうよ。お前はそう育てられたんだから』

 ここに兄はいないのに、兄の言葉が鮮烈に蘇ってくるようで惨めだった。

 生きているのが、嫌になるくらいに。




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