People who kill



 それなのに、どうして僕は心地よい地方の家から離れた都会の夜に身を置いているのだろう。
早く帰って梨花に、そうだ梨花に渡したいプレゼントを買ったはずだ。慌ててポケットを探ると、チクリと指先に痛みがあり、取り出してみると果物ナイフが入っていた。
赤黒いものがべったりと付着している。渇いているので、顔を近づけてみないと刀身が赤いデザインのように見える。
 なんだろう、これは?
朝、出かけるときにはこんなものは持っていなかったはず……。
 記憶が混乱していく。自分の名前すら確かではなくなり、僕はしゃがみこんだ。
 梨花。白い肌に茶色い髪をした、優しくて芯の強い僕の大切な幼馴染。僕の初恋の人。
 ふらつきながら僕は歩き出す。
そうだ、僕は引っ越しをすることになって、梨花と離れ離れになるのが怖くて。
 ノイズが走ったみたいに脳内がぐちゃぐちゃと乱れて、記憶がバラバラになって僕を惑わす。
 梨花。
 人通りの多い交差点に出ると、どちらへ進んでいいのか分からず、僕はさ迷った。どこへ行けば自宅へ帰れるのか分からない。完全に迷子になってしまった。
 彼女が待っていてくれる家へ帰りたい。ただ、それだけを思っているのに。
 耳鳴りがして歩いていられなくなり、道路の端によって小さな路地に体を潜ませる。
梨花、梨花、梨花。帰りたい、僕は家に、君がいる家に帰りたい。
『――です。私は梨花じゃな――――』
 雑音が耳の中でよみがえる。誰の声だろう?梨花に似ているような……。
『私は夏見――。――いです。人違いです』
 誰の声だ?梨花じゃない?
 僕は路地に座り込んだ。皺くちゃの服がさらに皺だらけになる。
『出て行ってくださ――主人が帰ってき――警察を――――――』
 膝を抱えて頭を押し付けていると、傍らに人が立つ気配がした。
 栗色の髪を横に束ねて、花柄のエプロンをした美しい梨花。
いつものように帰宅して、ただいまと声をかけると仰天した顔になって僕を不審な瞳で見つめる。
そして、梨花は不思議なことを口走り始めた。
『――さん?どうなさったのですか?』
 まるで他人に話しかけるような、よそよそしい梨花の態度に僕はひどく驚いた。何を言っているのだ、僕らはもう夫婦になって三年以上も経ったではないか。
夫婦なる前は幼馴染として随分長い時間を過ごした。その僕を忘れるはずがない。
『私は夏見です。私は梨花じゃないです。人違いです』
 梨花じゃない?それじゃあ梨花は何処に行ったんだ?
『出て行ってください。主人がもうすぐ帰ってくるんです。早く出て行かないと警察を呼びますよ!』
 梨花は電話機の前で、僕を威嚇するように受話器を上げてみせた。
いや、違う、梨花ではない。梨花はもう。
 またノイズがひどくなる。



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