私の愛は不変



私は母子家庭で育った。物心ついた頃から父はいなかった。学校行事でクラスメイトが楽しそうに父親と話しているのを見て、少し羨ましい気持ちもあったけれど、母が私を愛しているという実感があったから、父がいなくても平気だった。思えば、母は父のことを待っていなかったように見えた。

18歳になった頃、母が倒れた。大学も決まり、春の訪れが楽しみだと話したすぐ後のことだった。キャリアウーマンとしてずっと一生懸命働いていたツケが回ってきたのだ。そして治療の甲斐なく、私が大学生になる前に死んだ。病室から見た桜の蕾を今でもよく覚えている。

幸いにも母は私に多くの財と家を残してくれた。そのおかげで母の葬式も出せたし、私の大学進学も問題なかった。しかしいつか顔も名も知らぬ父が現れるのではないかと思って、家の整理だけは出来なかった。

そしてそのまま就職をして、結婚をして、母との思い出が詰まったこの家を出ることになった。私の夫となる人は、家を処分すると決めた私に、まだそのままでもいいんだよ、と言った。私は、ピリオドを打ちたい、と返したと思う。父を待つ幼い私との決別を私は望んだのだ。

一人で家の整理をした。私が必要な荷物は全て新居に送ってしまった。あとは全て母の物だけだ。母が来ていた服を全て綺麗に畳んで、ビニール袋に詰める。処分する家財道具を運び出してもらう。そして家が空っぽになり、私は掃除を行った。

全ての床を拭き終わった時、私は母の部屋のベットがあった場所にに小さな床下収納があることに気がついた。開けるとそこには小さなボックスが入っていた。私は躊躇なく箱を開けた。メモが一枚と弾丸が一つ入っていた。

母よこれは銃刀法違反ではないか、ぼやきながら私はメモを開いた。そこには電話番号が一つ。もしかしてこれは父の荷物なのか?父の電話につながるのか?一抹の不安を抱えながら、その電話番号を携帯電話に打ち込んだ。無機質な機械音が私の胸を締め付けた。呼び出し音は止まらなかった。携帯をしまい、私は箱を抱えて何もない家を出た。不思議と涙は出なかった。










あれからまた幾年か立ち、私も母となった。生まれたばかりの赤ん坊を抱えて笑う夫を見て、ふと自分の父を考える。きっと父は私という存在すら知らないのだろう。あれから一度もかけていない電話番号は、あの箱の中に閉まったままだ。すると不安そうに夫が言った、僕はいい父親になれるだろうか、と。私は笑って、2人でならきっと大丈夫よ、と言った。

夜、夫も子もいない病室で携帯電話が鳴った。光る画面には、あの電話番号が表示されていた。私は恐る恐る電話に出た。もしもしどなたでしょうか、返事はなかった。何十秒経っただろうか、私には1時間にも2時間にも感じた長い沈黙の後、小さくしかし腹に響くような低い声で、おめでとう、の言葉。そして、幸せにな、と。あぁこれは私の父なのだ。問わなかったが、何故だか確信はある。あの日、あの時かけた電話から父は私のことを私の知らない場所で見守っていたのだ。私は涙で染まった声で、頑張るね、とだけ返した。そして電話が切れた。あの時冷たく感じた機械音が今度は優しい音に聞こえた。













初めて子どもを連れて母の墓参りに行った。幼稚園に入った息子は墓地が珍しいのか、あっちへこっちへと走る。赤ん坊である娘を抱えながら追いかけるのが大変だ。ようやく母の墓に到着すると、私しか弔うはずのない墓石の前に鮮やかなピンクの花が置かれていた。息子が、なんのおはななの、と聞く。私も知らない花だった。なんだろうね、と答え、墓参りを済ます。母よ、あなたの孫たちは元気に育っていますよ、心の中で思った。あの短い電話から今まで、父からの電話はもうかかってこなかった。
娘を産んだ時に一度だけこちらから電話をかけてみたけれど、やはり父が出ることはなかった。

帰宅後、あの花がなんだか気になった私はすぐに図鑑を取り出し、息子と花の名前を探す。苦労して見つけたあの花の名は、スイレンノウという花だそうだ。花にも言葉があるよ、という夫の声に図鑑に載ってなかった花言葉をインターネットで調べる。こちらはすぐに見つかった。ページを開き、私は息を呑んだ。スイレンノウの花言葉。それは、








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