みじかいおはなし



「結婚してください」

きょとんとした顔が大きく瞬きを二回。そうして、自分の後ろを振り返って確認して、再びこちらに向き直る。

「………、俺!?」
「他に誰がいるのよ」

何というか、想像していた通りのわたわたしたリアクションに笑ってしまった。
私の部屋、週末、普段通りのんびりゴロゴロと過ごした休日の夜。六畳間の端っこに設置された小さな白いテレビの中には毎週見ているバラエティ番組の笑い声。ムードもへったくれもないと、我ながら思う。

「お、おま、何でこんな」
「動揺しすぎでしょ」
「だっていきなり過ぎるだろ!?」
「こういうのは勢いが大事なんじゃない?」

顔を真っ赤にして目を白黒させる彼は、だって、とかそんな、とかそういう意味のない言葉ばかりを繰り返す。
私は苦笑しながら息をついて、ぐるりと部屋を見回した。最低限の家具の合間合間に置かれている彼の荷物は、毎週末この部屋へ来るごとに置いて行かれてそのままになっているものだ。今ではそれすらも当たり前の風景になってしまった。
壁際に置かれたベッドと背の間にクッションを挟んで二人並んで寄りかかっている。アイボリーのラグの上の卓袱台と、その上に缶ビールと缶チューハイ。夕食は済ませてしまったけれど、まだ後片付けはしていないから食器は全て流し台にある。そんな、いつも通りの風景。

「これからもずっとこんな週末を過ごしたいって思ったから、結婚するのが良いんじゃないかと思って」

な、と言葉を呑んで動きを止めた彼は、わなわな震えて私を睨んだ。そういえばこんなリアクションばかりで返事を貰っていないわけだけども、即答じゃないというところで私は残念がるべきなんだろうか。付き合って5年近く経ったとはいえ、既にときめきよりも安定感の方が勝っていて、私にとっては居心地の良い空間でも彼的には倦怠期というやつなのかもしれない。うーん、と首を傾けて、私は彼に詰め寄った。途端に固まっていた彼が慌てて後退る。

「啓吾」
「………!」
「…どうする?」

彼は真っ赤な顔で再びぷるぷると震えてから、くるっと体を反転させて私に背を向けた。背後に置いてあった荷物をごそごそと漁っている。…何してるんだろう。このタイミングで。
流石に怪訝に思って眉を寄せると、彼は背を向けた時と同じくらいの勢いでくるっとこっちを向いて何かを投げた。それがすこーんと私のおでこに直撃して、今度は私の方が仰け反った。何これ、痛い。

「名前の、バカ!!」

溜めに溜めた思いっきりの「バカ」に痛みも相まって顔を歪めると、正面から私の表情を見た彼がヒィと更に後退る。痛む額を摩りながら体を起こして、私は座り込んだ膝元に転がるそれに視線を落とした。

謎の、小さな箱。

ああ、ぶつけられた時に軽い音がしたと思ったらこれか。私はそれを指先でひょいと摘み上げる。このタイミング、この大きさで、それが何だか察せないほど鈍いつもりはなかった。
視線を上げると、涙目で私に人差し指を突きつける彼の姿が。

「だっ大体お前なぁ!デリカシーなさすぎだろ!!」
「啓吾が女々しいだけでしょ」
「俺がどんだけ準備して色々考えてたと…!」
「もうちょっと早ければねえ」
「こういうもんは普通男から言うもんだろ!一生に一度なのにッ!!」

一生に一度。
その言葉に、今度は私がきょとんとする番だった。突然口を噤んだ私に、彼はおろおろしながら「な…っ何だよ…!!」と睨んでくる。

そうだ。これから先ずっと一緒に居たいと望むなら、それが一生に一度であることは当然のことだった。二度も三度もあるはずない。二度目があるならばその前に必ず別れが伴うのだから。

―――彼がそれを当然と思ってくれるのが、嬉しかった。

私は摘み上げた小さな箱を、開けずにそのまま彼に放る。彼は一瞬両腕をばたつかせてから慌ててそれをキャッチした。文句を言おうと開いた口を、私は左手を差し出すことで黙らせる。

「つけて」
「………」
「ちゃんと、啓吾の口で言って」

彼は一度口を尖らせて、再び何か言おうと口を開きかけて、それをやめて手元の小箱に触れた。
綺麗に包装された箱を悪戦苦闘しながら開けているのを、私は黙って眺める。こんな時までスマートじゃない彼が好きなのだから、私だってどうしようもないと思う。

漸くドラマで見るような濃い青の小箱が出てきて、彼はそれを前に一度深呼吸をした。そうして小箱の蓋に手をかける。そっと開けると、パカッと漫画みたいな音がして二人で顔を見合わせて笑ってしまった。

「名前」
「はい」
「…俺と結婚してください」
「喜んで」

笑いながら、彼は私の薬指にそれをはめた。きらきらと光る、私達の永遠の約束だった。



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