泣き虫と青い鳥 | ナノ
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08 泣き虫と一夜の宿



「名前さん」

ぽかぽかと叩く私の拳を笑いながら全て手のひらで受け止める七松くんに、そろそろ泣きそうになっていた頃だった。木戸がカラカラと軽い音を立てて、顔を上げると山本先生が立っていた。私が叩くのをやめたので、笑っていた七松くんも振り返って彼女を見上げる。

「お。山本シナ先生」
「七松くん、中在家くんも御苦労様」

山本先生はさっきお会いした時と同じようににっこり笑って彼らを労ってから、私の方に視線を向けた。

「学園長と、他の先生方とも話してきたの」

私は反射的に背筋を伸ばした。文脈から察するに、話してきたのは私のことなのだろう。
ここが本当に忍者の学校なら、先程から彼らが一様に言うようにスパイじゃないかと疑われて当然の話だ。しかも困ったことに、私にはそれについて「スパイでない」と証明する手段がない。あったことをあったままに話せば自分でも頭がおかしいと思う脈絡の無さだし、信じてもらえなければそれまでだ。拷問、とかになったらどうしよう。ああいうものは基本的に嘘でも自白をさせる為のものだと言うし。
自然眉に力が入った私を見て、山本先生はふっと笑った。

「そんなに緊張しなくてもいいわ。とりあえず今日はもう山を抜けるのは無理だし、ここに泊っていくようにって」
「あ…ありがとうございます」

私は慌てて頭を下げた。女の子を暗い山に放り出すわけにはいかないものね、と彼女は笑って、それから少し眉を下げた。

「西町という町について先生方にも話を聞いてみたのだけど、この辺りにはやっぱりそういう町はないようね」

申し訳なさそうな声音に、私は視線を下げる。そうですか、と呟いた声が自分でも驚くほど暗かった。
山本先生はその少し低めのトーンのまま、私の処遇について改めて明日話し合うのだという内容を口にした。

「実は、学園は明日から夏休みでね。殆どの生徒が帰省してしまうし、食堂も閉まってしまうの。だから、これからどうするかについては明日の話し合いで決めることになるわ」

夏休み、と反芻すると、彼女は小さく頷いた。そういえば、私も明日から夏休みという立場だったのだ。すっかり忘れていたけれど。今日参加したばかりの終業式の様子を思い出して口を噤んだ。まだ数時間しか経っていない筈なのに、遠い昔のような感じだった。

「あの、…よろしくお願いします」

ややあって、私は改めて山本先生に頭を下げた。山本先生の表情は申し訳なさそうな、困ったような表情で、本来ならば問題なく始まるはずだった夏休み前日に降って湧いた私という存在へ、本当に戸惑っているように見える。迷惑をかけているという感覚があって、心底申し訳なかった。同時に、心の中に彼らに対する猜疑心がまだ残っていて、それにも罪悪感を覚える。

ここがどこなのか、本当に室町時代なのか、まだ何も分かっていない。けれど少なくとも、もうじき夜になろうかという今、森の中に放り出されれば間違いなく私は死ぬ。サバイバル知識も道具も何一つないし、地図は疎か明りすら持ってないのだ。せめて携帯電話くらい肌身離さず身に着けておくのだった。持ってきたものがタオルケットと乾麺のそうめんだけだなんて笑えない。
だから今はとにかく一夜の宿が必要だった。仮にも学校だというから、制服を着た女子高生を叩き出すことはないだろうと思っていたけれど、室町時代であるという設定がずっと気になっていたのだ。もしも彼らが『忍者である』ということを貫き通して怪しい人間である私を放り出すなら困る、というのがついさっき七松くんがおにぎりを持ってきてくれるまで私の頭を占めていた悩みだった。

―――とりあえず今日は、何とかなるとして。

明日実際に学園の外がどうなっているのか、自分の足で歩いて回ることは出来るだろうか。今日は何だかよくわからないまま七松くんに抱っこされて見てきたけれど、中に入ったらもしかしたら意外とそんなに広くない森なのかもしれない。彼らが言うことがもし嘘なら、少し歩いたらすぐ町の見知ったところに出る可能性もある。私が押入れに閉じこもったのはお昼過ぎだから、時間的にはそんなに遠くまで来られないはずなのだ。

それでもし何の手掛かりも得られなければ、私が思いつく限りの手段はほぼ尽きたに等しい。それが一番怖かった。

「…さん、名前さん」
「…!はい」
「大丈夫?顔色が悪いようだけれど」

山本先生は膝に手を当てて私を覗き込んだ。至近距離に美人の顔が近づいて私は慌てて首を振る。

「すみません。あの、…ちょっと不安で」

咄嗟に出た言葉は本心だった。細かい説明は省いているというよりは、声に出してしまうことが怖かった。それが本当になってしまったら、私は路頭に迷う以外ない。
山本先生は綺麗な眉を下げて、困ったように笑った。

「私も出来る限り手助けするわ。他の先生方にも力になってもらえるよう、きちんとお話ししましょう」
「ありがとうございます」
「明日の朝迎えに来るから、とりあえず今日はこのままこの部屋を使ってくれる?」

断る理由もなく、私はこくんと頷く。
山本先生は満足げに頷いて、どこからか白い布を取り出した。

「じゃあとりあえずお風呂に案内しましょうか」
「お風呂までお借りできるんですか」
「勿論。夏だもの、そのままじゃ気持ち悪いでしょう」

差し出された布を受け取ると、どうやら着物のようだった。浴衣?風呂上りに着ろという意味だろうか。手ぬぐいも乗せられていて、お風呂セットとして貸し出してくれるらしい。

「さて、なら私たちは帰るか」

ずっと黙って話を聞いていた七松くんが不意に立ち上がる。中在家くんも続いて、伸びをする七松くんの横についた。見上げると、七松くんは振り返って笑った。

「名前。また明日な」

もそもそと中在家くんも何か言っていた。おそらくタイミング的に同じような別れの言葉だったのだろう。私は反射的に「はい!」と返事をしてから、慌てて彼らの背に向かい声を上げる。

「あの!おにぎりとお茶、どうもありがとう!」

部屋を出ようと木戸を開けたところだった七松くんは、もう一度私を振り返った。真ん丸の瞳が細められて、彼は笑いながら「おう」と言った。中在家くんも軽く手を上げて答えてくれ、彼らはそのまま木戸の向こう側に姿を消した。




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