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▼ 色も形も声も匂いもあなた以外はわからない

その日は、いつもと同じ一日だった。
朝起きて伝令神器を確認し、身支度をして出勤する。途中で会った檜佐木副隊長に挨拶をして、一緒に隊舎まで歩く。隊務室には六車隊長が既に居て、不機嫌そうに伝令神器で話していた。多分相手は久南元副隊長だと思う。今は長い名前の役職についていて、カタカナに弱い私はそれを覚えきれていない。それで、普段は彼女をそう呼ばせてもらっていた。失礼なことだとは思ったけれど、彼女も六車隊長も二つ返事で許可してくれた。
そうして、始業の挨拶をして仕事が始まった。九番隊の空気は東仙隊長のいた頃よりも引き締まったけれど、久南元副隊長と檜佐木副隊長のお陰で穏やかだった。私も以前に比べ様々な人と関わるようになって、知り合いが増えた。仕事の関係でない話を振ってくれる人もいて、談笑することも増えた。六車隊長の就任から一年以上が経過していて、ようやくこれが日常なのだと言えるようになった頃だった。

「お願いします!」

目の前で頭を下げる彼を見ながら、私はどうしてこうなったのかを考えていた。
そう、今日はいつもと同じ一日だったはずだ。いつもと同じように仕事をして、いつもと同じように他隊へ書類を届けに行った帰りだった。たまたま出会った隊士に声をかけられ、話があると人目につかない場所へ連れてこられた。その時点でその話題について予想もしなかった私は愚かだったと今では思うけれど、本当に思いつきもしなかったのだから仕方がない。

「あの、顔を上げてください」
「お答えいただけるまではできません…!」

おろおろと声をかけてもにべもなく断られる。なぜこんなにも頑ななのか理解できないけれど、言葉で説得出来ないからと言って力に訴えることもできない。彼は同じ九番隊の隊士だ。事を荒立てることはしたくなかった。

―――とはいえ…。

私は彼に聞こえないように小さく息をついて眉を下げる。今は直立で頭を下げている彼が土下座に移行することは遠くない未来のように思えた。こんなことならば話があると言われた時に適当に理由をつけて断ってしまえば良かったけれど、こんなことになるだなんて思ってもみなかったのだから仕方がない。

―――まさか自分が誰かに愛の告白というものをされる日が来ようとは。

「あのですね、…私は他にその、お慕いしている方がおりまして」

しどろもどろに答えながら、私は自分の死覇装をぐっと握った。こんな風に第三者に話すのは初めてだ。顔が熱い。恥ずかしくて火が出そうな思いというのをするのは久々だった。

「そっそれは誰ですか…!」

彼がぱっと顔を上げた。背こそ私よりも高いけれど、縋るような目はまるで子どものようで罪悪感に胸が痛む。けれども同情で玉虫色の答えを返すわけにはいかない。申し訳なく思うからこそ、彼にはできるだけ早く私への気持ちなんて忘れてもらった方が良い。それは絶対に答えられない気持ちだと、身をもって知っている。

「檜佐木副隊長ですか、班目三席ですか、まさか平子隊長なんてことは…!」
「いえ、どなたも違いますが…」

何故その名前が出てくるのかと内心首を傾げるも、よくよく考えてみれば私が普段関わる異性は主にその三名だった。最近になって漸く話すようになった他の人に比べ、檜佐木副隊長や班目さんと親しく見えることは否定できない。そんなことを言ったら頭の眩しい彼は額に青筋を立てそうだけれど、そうか、あまり話をしない人から見ても仲良く見えるのか。それは何だか少し嬉しかった。

―――いや、今はそんなことを言っている場合じゃない。

「それ以外の方なんですか!?浮竹隊長とか!?三席とか!?」

詰め寄られて、私は思わず一歩退いた。散弾銃のようによく喋る彼の言葉の合間合間に「いや、」とか「あの、」とか否定の言葉を入れようとするのだけれど、彼は私のようなのんびり屋に弁解する余地を与えてくれなかった。何とか理解してもらってこの場を一刻も早く去りたい。けれども、私の記憶が間違っていなければ彼はまだ護廷十三隊に入ってそんなに長くないはずだった。空座町の決戦の際も当然隊舎居残り組だった為、彼は浦原隊長のことなど知らない。どういう風に説明したら良いのかわからなかった。

その内、がしっと両肩を掴まれて喉の奥で引きつったような声が出た。苗字四席、と呼ばれた声は切羽詰まっていて、彼自身も焦燥感に駆られているのだろうことは想像に難くなかった。それが私のそれとは正反対の矢印に進んでいるだろうことも。

「俺は、本当に貴方を…!」

落ち着いて、と言おうとする前に彼が私を引き寄せる。ぞわりと背筋に悪寒が走って、咄嗟に正面に手が出た。突き放そうと押し出した両腕をものともせず、彼の悩ましい表情がどんどん近づいてくる。頭が真っ白になった。反射的に霊圧が手のひらに集まっていく。もうこうなったら鬼道しかない。如何に同じ隊の隊士とはいえ、耐えられることと耐えられないことはある。白雷くらいなら火傷をする程度で済むはず。

破道の六、と叫ぼうとした口を、後ろから誰かが塞いだ。そのままぐんと肩を引かれて、私は大きく瞬く。こんなことが前にもあった。ふわりと香った煙草の匂いと、触れた手のひらの熱さに目を見開くことしかできない。

「すみませんねえ」

少しも申し訳なさそうな声で、背後の彼は言った。とても明るい声なのに、含まれた刺々しい霊圧を受けて目の前の彼が後退る。先程までの勢いはどこへ行ったのか、少し泣きそうな顔なのが申し訳なかった。けれどもその申し訳ない気持ちは、背後から回された腕に抱きすくめられてあっという間にかき消された。再び顔に火が付く。

「この娘はボクのものなので」

目の前の彼は先程の私以上におろおろとしてから、私と私の背後に向かって「すみませんでした!」と大きく頭を下げた。そうして、這う這うの体で駆けて行ってしまった。その背を呆然と見送りながら、私は立ち竦んでいた。

「…まったく、」

背後の彼が息を吐く。それが丁度耳にかかって、びくりと体が飛び上がった。彼はややあって「すみません、」と呟いてから漸く私を解放した。
ぱっと振り向くと漆黒の衣装に身を包んだ彼の姿があって、私は再度固まった。

彼は少し不満そうな表情で立っていた。いつも帽子の奥にある目と、何の障害もなく視線が合う。色素の薄い髪が光を反射してふわふわ揺れていた。草色の甚平から見える胸元も、今日はきちんとしまわれている。その姿は、百年前のそれに酷似していた。羽織を着ていないことだけが、現在の彼との違いだった。

「まさか名前サン何度もこういう目に遭ってたりします?」

彼はむくれた表情で私を見下ろしていた。答えられずその目を見上げながら、私は呆然と瞬きする。何度目かのそれで、勝手に何かが零れた。
彼は驚いたように目を開いて、私の名前を呼んだ。返事をしたかったけれど、胸に何かがつかえたようになって声が出なかった。それでも無理に答えようとして口を開けると嗚咽が漏れた。反射的に口元を押さえると、彼は少しして優しく笑った。名前、と呼ばれて、漸く私は自分が泣いていることに気が付いた。

「やだなぁ、泣くほど似合わなかったッスか?」

彼は笑いながら私を抱きしめてくれた。先程の力強いそれと違って、ゆっくりと頭を撫でてくれる手のひらが優しい。甘やかしてくれる暖かい声に、私は目を瞑った。ぽろぽろと零れる涙は、私のものであって私のものでないのだと思う。

「ちょっと所用でこちらに来たので、驚かそうと思ったんスけど」

しがみつく私を宥めるように小さな声で話しながら、彼は私の頬に触れた。こうして彼に会うのは久々で、だからもっといろいろな話をしたいのに、ちゃんと顔を見たいのに、視界が涙で歪んでいる。私の意志に反して溢れるそれを指先で拭って、彼はしょうがないなぁとでも言うように息を吐いた。名前、と呼ばれて目を開けると、至近距離で彼が微笑んだ。その唇が、私の目元に触れる。くすぐったい感触と同時に心臓が跳ねた。その動きに合わせて跳ねた肩を引き寄せながら、彼が反対の目元もその唇で拭う。真っ赤になった私の涙が止まると、彼は林檎みたいだと言って笑った。私は少し悔しくなって、大きく目元を拭ってからそっぽを向く。

「…喜助さんは、なぜここに?」
「黒崎サンの力を取り戻す準備をしに」
「黒崎くんの?」
「ええ、あのまま放っておいたらそろそろ彼泣いちゃう頃ですし」

冗談のように言いながら、彼は腰に差した刀を持ち上げた。それは斬魄刀のように見えるけれど、色々な霊圧が混ざり合っていて誰か一人のものというわけではなさそうだった。首を傾けた私に困ったように笑って、彼は「それに、」と言葉を続ける。

「こちらから出向かないと、名前サン全然会いに来てくれないんスもん」

拗ねたような声で言われて、私は眉を下げた。それは確かにその通りだった。

「来てもすぐに帰っちゃいますし」
「…喜助さんだってそうでしょう」
「まぁ、お互い長居できない身分ッスからねえ」

彼は笑って、再び私の頬に触れた。涙に触れた後の湿った頬を撫でられて、私は目を伏せる。ああ、そうだ。この手だ。彼に触れた後、いつもふわりと香る残り香の在処。少し苦い煙の匂いがして、私は何となく頬に触れる彼の手に自分の手を重ねる。彼はきょとんとしてから首を傾けた。その表情が本当に百年前と変わらなくて、再び湧き上がってきた何かを押さえ込むように私は笑った。

「いつも、喜助さんと会った後に思ってたんです」

何かの拍子に手のひらが鼻先に触れて気が付いたのだ。自分の左手から、彼と同じ匂いがすること。彼がよく燻らせている煙草の香り。

「何でかなって思ってたんですけど、…手を繋いでいただいた時に移ってたんですね」

手のひらで包んだ彼の指先がぴくりと震えた。彼は少しの間無言で私を見つめてから、困ったように眉を下げた破顔した。もう片方の手のひらが頬に触れて、両手で包み込まれるように上向けられた私の額にこつんと彼の額がぶつかる。ぐりぐりと押し付けられて、ふわふわした前髪が鼻先に触れくすぐったい。身を捩ると、彼は頬に触れていた手を離して私を引き寄せた。ぎゅーっといつになく力を込めて抱きしめられ、私はわたわたと両腕を振る。息ができない。彼はすみませんと笑ったけれど、その力は弱まらなかった。

「…今日はこのままずーっとこうしてます」
「え!?」
「ずっとこうしていれば、香波サンの全身にボクの香りが移るでしょ?」
「でっでもでも私まだ勤務中で…っ」
「大丈夫ッスよォ」

つむじに顎を乗せられたまま、私は暫くわたわたしていたけれど、解放してくれる様子のない彼にその内諦めてされるがままになった。後で六車隊長に怒られるときは、彼にも一緒に怒られてもらおう。もうそれでいいや。

「名前サン」
「…っはい」
「もう易々と他の男に着いて行っちゃダメッスよ」
「……ハイ」

肩を竦めて頷いた私に、彼は満足そうに笑った。



「コォラ喜助ェ。お前こない往来で何しとんねん」
「やだなァ平子サン、空気読んでくださいよ」
「空気読むも何も、お前が拐したソイツ探して拳西がキレとんで」
「えー」
「ホレ、とっとと行きィ。俺は助けたらんで」
「(やっぱりダメだった)」


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