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時折小さく痛むどこかが、私の両目を塞ぐのだ。

「おやァ、香波ちゃんじゃないの」

書類を抱えて歩く私の背を追いかけてきた声に足を止める。振り返ればいつもの調子で手を振る京楽隊長。隊長羽織の上に羽織った艶やかな着物がはためいて、そのぱたぱたという小さな音が耳に心地良い。

「こんにちは、京楽隊長」
「何だか久しぶりだねぇ」
「それ先週も聞きましたよ」

そうだっけ、と適当に笑う彼が、私は嫌いではなかった。他隊の、しかも隊長となれば本当は雲の上にも等しいのかもしれないけれど、彼に相対していてそう思えたのは最初の一回のみだった。それ以降そんな思いを微塵も感じさせない京楽隊長は、ある意味うちの隊長とも通ずるところがあるように思う。そして、私は総じてそういう人に弱いのだ。
のんびりとした足取りの彼が、歩みを止めた私に追いつくのにはそんなに時間がかからなかった。ふわり微かに香の匂いがして、私は目を細める。仄かに甘い香り。

「書類かい?」
「ええ、これから八番隊に届けにいくところでした」
「そっかそっか、相変わらず真面目だねえ」
「普通ですよ」

京楽隊長と違って、と付け足すと彼は「ははは」と少し困ったように頭を掻いた。まいったなぁと笑いながらも、それとは反対の手に土産のような包をぶら下げている。多分また業務を抜け出してどこかへ行っていたのかもしれない。私も内情に詳しいわけではないけれど、矢胴丸副隊長がそんなようなことを言っていた。

隊舎としては、十二番隊と八番隊はそんなに遠くもないが近くもない。こうして偶然京楽隊長に出会うのはあまり多い機会ではなかった。けれども矢胴丸副隊長は猿柿副隊長と仲が良く、隊務中にもちょこちょこ十二番隊を覗いてくれる。多少偏っている気もするが、私の京楽隊長についての知識は大抵そこで培われるのだ。

「今日はどちらに行かれていたんですか?」
「んー、それ聞いちゃう?」
「内緒なんですか?」
「そうだねぇ」

何の気もない風を装って軽く聞いてみると、京楽隊長はいつも通りのよく響く低い声で笑ってみせた。すんなり教えてくれない時は大抵女のところだ、と矢胴丸副隊長が言っていた気がする。ううむ。それが真実なのか虚偽なのかはともかく、私の技量ではその真偽を見極めることは難しそうだ。
軽く眉を顰めると、同時に強めの風が廊下を吹き抜けた。咄嗟に靡く髪を押さえつける。ああ、もう本格的に春だ。咲き誇る花を見るよりも、私にとってはこの強い風の方が春を思い出させる。轟と音がしそうなほど吹き付けるそれが、中庭の桜を揺らすのが見えた。まだ咲き始めたばかりの花が、ゆさゆさと揺らされて今にも散りそうだった。

「随分強い風だったねぇ」
「……春ですね」
「強風についての感想がそれっていうのも中々珍しいね」

被っている笠を軽く抑えただけの京楽隊長は、髪も羽織も乱れてすらいない。対する私はぼさぼさの髪で意味もなく袴の裾を直した。この辺の差も霊圧なのだろうか。隊長格は霊圧で何か防御壁のようなものを作れるのかもしれない。
ぷるぷると首を振って纏わりつく髪の毛を散らしてから、私は乱れた髪の毛をとりあえず右耳にかける。瞬間、目の前に立った京楽隊長が小さく吹き出した。そんなに笑われる程私の髪は面白いことになっているのだろうか。驚いて顔を上げると、口元を手で軽く押さえた京楽隊長が、「あ、いや。ごめんね」なんて歯切れの悪い言葉を漏らした。それで尚の事焦った私が両手でバタバタと髪を押さえ始めると、彼は笑いながらその手を伸ばしてきた。

「ほら、これ」

私の手をすり抜けて髪に触れたその指先が、小さな花びらをつまんで見せる。目の前に差し出されたそれを見て、私は髪を撫で付ける手を止めた。今飛んできたんだろうね、と優しい声で呟いた京楽隊長は、それを手のひらに乗せてふっと息を吹きかける。薄く小さなそのかけらは、すぐに宙に浮かんで流れていった。見送る彼の視線が穏やかで艶やかで、私はほんの少しの間見蕩れてしまった。けれども彼が思い出したようにまた吹き出して笑い始めたので、すぐに口を尖らせた。

「そんなに笑わないでください」
「…っごめんね、だって」
「そんなに面白かったんですか」
「ちがうよ。だってあんまり可愛かったから」

さらりと笑いながら言われた言葉に、私は思わず動きを止めた。そういう言葉には慣れていなくて、咄嗟にどう返したら良いか分からなかった。けれど、彼は相変わらずくすくす笑っているから、これはそういう照れるべき言葉ではなくてはぐらかすための言葉なのだろう。一拍置いてそう結論付けたわたしは、先程よりも眉に力を入れて彼を睨み上げた。嘘じゃないよ、そんなに怒らないでよ、なんて付け足す彼は、ひとしきり笑ってからふと思い出したように袂を持ち上げた。ごそごそと漁るそこからすぐに取り出されたのは、満開の桜の枝だった。

「……どうしたんですか、それ」
「さっき拾ってきたんだよ。見事だろう」
「この辺はまだ殆ど蕾なのに…」
「あ、どこで手に入れたかは内緒だからね」
「…………」

僕の秘密の場所だからね、と笑った彼の目は少年のようだった。その一言で何となく、彼が出かけていた先は女の人のところでは無かったのだと思えた。勿論、その真偽をはかることは私には出来ないけれど。

「ほら、香波ちゃん。そのまま動かないでね」

そう言った彼が、一歩私に近づいて腰を屈める。突然近くなった距離に、私は目を開いたまま固まった。触れるか触れないかの位置でその手が髪をくすぐる。香の匂いが一段と濃くなって目眩を覚えた。
そうしていたのはきっと何秒かの間だったのだと思う。けれどもその時間が十分にも二十分にも感じられた。無意味に大きく音を立てる私の心臓を余所に、その香りはすぐ離れていってしまった。

「うん、やっぱり。よく似合うよ」

やがて、京楽隊長は満足げにそう零した。そこでやっと我に返った私が恐る恐る手を伸ばすと、側頭部でひんやりとした薄い花びらに触れた。どうやら、それは先程見せてもらったばかりの桜の花のようだった。
鏡もないから自分からはどんなふうになっているのか見当もつかない。けれども彼が何度も何度も満足げに頷くので、照れくさくなって俯いた。

「それ、そのまま貰ってくれるかい」
「いいんですか、」
「やっぱり花は可愛い女の子の方が似合うからねぇ」
「………」
「僕はお礼に書類でも貰っとくよ」
「(皮肉だろうか)」

上目遣いに京楽隊長を見上げると、彼はそっと目を細めて私の頭に手のひらを乗せた。2、3回ぐりぐりと撫でて、その手のひらはそっと離れていった。そうして、彼はいつの間にか私が抱えていた書類を手にして踵を返した。
じゃあね、とひらひら手を振りながら去っていく背中を見送って、私はふと自分の頭に手を触れた。先程まで触れていた温もりがまだ残っているような気がして、目を閉じた。