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逆さまに空を泳ぐ夢を見ていた。見下ろした青はどこまでも遠くて、溶けていく自分を思った。


膝に伏せた頭が憚りもしない足音を拾う。誰か、なんて尋ねるまでもなかった。だから私は顔すら上げずに俯いていた。立ち止まったその人はたっぷり十秒は沈黙した後、大きく息をつく。

「……何しとんねん」

呆れたように降ってきた言葉は浮かぶ私の元にも静かに沈んでくるのだ。その声に触れると暖かさに泣きたくなるから、「いえ」と短く呟くに止める。彼がもう一度息をつく音と、衣擦れの音がした。額は膝に当てたまま、動かした目玉がさらさらと揺れる金色の糸を捉えた。ああ、おひさまの光みたい。

「どっか痛いんか」
「……痛いと言えば痛いです」
「何やねんそのハンパな解答。あれか?生理痛か?」
「何てこと言うんですか……」
「ちゃうんか?」
「ちゃうです。ちょっと休めば何とかなるんでほっといてください」

顔も上げずに突き放すと、降りた沈黙が痛かった。放った言葉は本当だ。嘘じゃない。大体心配されるようなことじゃないし、原因も解決方法もはっきりとしている。しかも、正直に全てを話せばどういう反応が返ってくるかまで分かりきっていた。だから人目につかない場所で霊圧を消してまで一休みしていたのに、間の悪い人だ、と内心悪態をつく。こんなところ通る人なんていないのに。

「熱…はないか」
「……っ勝手に触らないでください」
「何やねんその言い草。心配しててんぞ」
「いりません本当に大丈夫なんです」
「真っ青な顔して何言うてんねん」
「原因も解決法も知ってます。だから早く行ってください」
「ほぉ。原因て何や」
「………」

不意に触れた額の温もりに反射的に顔を上げてから「しまった」と思った。至近距離で薄い色の瞳と目が合って心臓が跳ねる。さらさらと肩から滑り落ちる金糸が光を弾いていた。こんな時なのに綺麗だ、と目を逸らしてしまうのはそれがきらきらと眩しいからだ。三白眼を更に細めて見つめてくる目の前の表情は関係ない。

「原因、わかっとるんやろ?言うてみぃ」
「……企業秘密です」
「企業秘密かー、なら仕方ないわー。ってなるか阿呆」
「…………」
「言わんと延々ここで文句言うたるで」
「…仕事してくださいよ」
「桜木谷サンが具合悪そうやったんでー言うて全部罪被せたるわ」
「……性悪」
「どっちがや」

外は太陽が輝いているけれど日陰のここまでその強い光は届かない。それでもこの場所がこんなに明るいのは、きっと彼がいるせいだ。空はどこまでも広くて青いのに、その色を薄くする白い光。眩しいから直視できない。遠いから見上げるしかない。

そっぽを向いた私は口を尖らせて視線を更に下げる。悔しいけれどいつだってこの人には敵わないのだ。それでも無駄な抵抗をするのは、届かないと分かっている太陽に向かって手を伸ばすのに似ている。

「……ごはん、」
「は?」
「朝ごはん食べ損ねたんです!……お腹空きすぎて、痛い」

最後の方はもう尻すぼみなんてものじゃなかった。もごもごと口を動かす私自身ですら音になったか怪しむくらい小さくて、目の前の太陽星人に聞こえたかなんて分からない。だから彼が三度目の溜息をついたのは、私の言葉を拾ったからじゃなくて前半部分から総合して話の内容を推察した結果なのかもしれない。微妙な空気が流れて、私は再びおでこを膝に当てた。ああ、もう。だから言いたくなかったのに。

「阿呆かお前」
「…………」
「いや、聞くまでもないわ。阿呆」
「……言えって言ったのは平子隊長でしょう」
「せやけどまさかそんな理由とは思わんかったわ」
「……っもうやだー!お腹すいたよー!」
「ガキか。そない泣きそうな声で言うたかてどうにもならんわ」
「ちょっと休めば何とかなりそうだったのに……平子隊長のせいでもっとお腹すいた……」
「…………」

八つ当たりだと理解している。そもそも怒りを向けるべきは朝が弱い自分を把握しながら目覚まし時計の確認を怠った昨夜の私だ。はっと目を覚まして反射的に時計を掴むと、もう家を出なければならない時間だった。記憶のないほど大急ぎで仕度をして予定時刻より五分遅れ程度に被害を抑えた今朝の私は褒められて然るべきだと思う。その弊害を現在の私が被っているのだとしても。

「しゃァないなぁ」
「……何ですか、これ」
「見て分からんのかい、金平糖や金平糖」
「常に持ち歩くほど金平糖お好きだったんですか……?」
「誰が常に持ち歩いとるて言うたんや。たまたまや」
「……お土産?」
「誰にとは言わんが十二番隊のちっこい娘サンにのぉ」
「…っ猿柿副隊長に差し上げるものなんて貰えません!」
「阿呆、あれが俺の手土産大人しゅう食うと思うか」
「……じゃあ、」
「浮竹隊長サンに貰たけど俺は食べんし、御裾分けや、御裾分け」

摘み上げた白く薄い布越しに桃色や水色が見える。少し迷って見上げた彼がニィと口端を上げていつものように笑ったので、私は恐る恐る手を差し出した。あっさりと手のひらに乗せられた小さな包の中で、からん、と軽い音がした。

「もうじき昼んなるし食べ過ぎはあかんで。金平糖なんて砂糖の塊やし二、三粒程度で十分や。あんま食うと逆に昼飯食われんようになんで」
「……、何か平子隊長お母さんみたい」
「阿呆、こない不摂生する娘に育てた覚えないわ」

憤るようにフンと息を吐いた彼がおかしくて笑ってしまった。けたけたと笑う私に軽く四度目の溜息をつく平子隊長は、呆れたように私を見下ろしてから口端を上げる。その表情がいつもより優しく見えた。口に入れた小さな塊は甘かった。

「ほれ、食うたら戻れや。ちゃんと昼飯もとるんやで」
「……有難うございます」
「またおんなしことあったら今度は五番隊に来ぃや。オニギリくらい作ったるわ」
「平子隊長が?」
「母ちゃんやしな」


逆さまに空を泳ぐ夢を見ていた。透明な青の中にふわふわと浮かぶくらいならこのまま溶けていってしまいたかった。それでも太陽に向かって伸ばした指先を、貴方が掴んでくれたなら。