確かに恋だった
様よりお題をお借りしました。
◆
私は、あの日のことが忘れられない。
そう、あれは桜吹雪の舞う春の日のこと。鮮麗な茜色の空の下、私達は人気の少ない公園の木のかげに隠れ、お互いの熱が伝わるような至近距離で見つめあっていた。
「……実蘭」
「な、なんですか……珈織先輩、」
彼女の艶やかな黒髪が風に靡く。ブラックスピネルのような瞳が、私を動けなくさせた。
「実蘭、私のこと好きでしょ」
「っ……!?」
そう、私は彼女に想いを寄せていた。悪戯っぽくて、でも不意に見せる儚げな表情や真面目さが私の心を鷲掴みにしたのだ。
「すぐに気づいたよ、だって実蘭わかりやすいもん」
「そんなにわかりやすいですか……?」
「うん」
即答だった。私は必死に隠していたつもりなのに。嫌われたらどうしよう、関係が終わってしまったらどうしよう、という考えが回転木馬のように無限にぐるぐる回る。
そんな私を彼女は抱き寄せた。頭と腰に手を回し、甘い体温が伝わってくる。
「大丈夫だよ、嫌ったりなんてしない。私のことが好きなのを隠しきれてない実蘭も可愛いよ」
吐息たっぷりの優しく温かい声でそう囁かれると、私の耳はどろどろのチョコレートのように溶けそうになった。ぞわり、とした感覚が耳を包み込む。
「囁かれて感じてる?耳、弱いの?」
「ぅ、あ……っ」
「ふふ、かあいい」
春とはいえ夕方は冷える。それなのに、私の身体は熱い。彼女の吐息が、私の体温を上げる。
「珈織先輩……、」
「ん、なぁに?」
仕返しになるかはわからないけれど、私は彼女にしか聞こえない声でこう囁いた。
「すき、です」
「よく言えました。いいこいいこ」
「うぅ……」
全く仕返しにはならなかった。でも頭は撫でてもらえたので、喜んでしまう単純な私がいる。
「ほーら、私のことどれぐらい好きか耳元で囁いてみて?」
悪戯っ子な彼女が顔を出す。その声はひどく蠱惑的だった。私の息は荒くなる。
「……珈織先輩なしじゃ、生きていけないくらいすきです」
「そんなに好きなの?ふぅん、もう抜け出せないね?」
甘ったるくて、でもそれがあまりにも心地よくて。そんな声で誘惑されると、私の思考はとろけて余裕がなくなる。
「そういうところも可愛いよ、実蘭」
「っ、」
でも、彼女は最後まで私の欲しい言葉をくれなかった。どんなに甘い言葉を交わしても、私に対する『好き』の言葉は一切なかった。それに関して彼女を問いただすことはできなかった。私は、自分が望む関係になるための一歩は踏み出せなかった。
そのまま彼女はこの高校から卒業して、ラインのアカウントも変えていて関わりは途切れてしまった。
でも私は、あの日のことが脳裏に鮮明に焼きついている。あの甘い吐息、体温、それに対して頬を撫でる風のつめたさ、この上なく鮮やかな黄昏時の春茜。そして――あの悪戯っぽく私を誘惑する言葉。私はその一場の夢を忘れられない。
あれから何年か経った今日、雨催いな空の下で私は繁華街を闊歩する。ふと、湿度のある匂いに混じって香る薔薇の香水の匂い。――あのひとと、同じ匂い。
すぐに後ろを振り向くと、黒檀のように黒く長い髪。間違いなくあのひとで。
でもその隣には、可愛らしい女の子。
そう、その女の子との会話で聞こえてくる声は確実にあのひと。しかも、手は恋人繋ぎ。私はその現実を直視したくなかった。
(忘れたい、あのひとのことを)
(でもきっと、一生忘れられない)
そのとき、淀んだ空が涙を流した。私のこの涙と混じって、排水溝へと流れていった。
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