自分が決して素直といえる性格ではないことはよくわかっている。けれどそれが自分だし、そういう性格の人間だと受け入れて生きている。けれども時々、本当に時々。旭や真琴のように、楽しいことや嬉しいことを素直に言葉に出せればな。と思ってしまうこともある。

「郁弥ぁ〜〜〜構って」

 二の腕にぐりぐりと頭を押し付けてくるなまえに、「暑苦しい」と言葉が口をついた。久しぶりに互いの部活や講義やバイトが休みで、一緒に過ごせるのに。本当は楽しみにしていたし、なんだか元気のない彼女のことを心配していたから最近何があったかとか、聞きたいことだってある。どかなくていいよ。髪も僕のカーディガンに押し付けたせいで静電気でぐしゃぐしゃになってる。

「うう…ごめんね」

 彼女が僕のことを大好きだと言うことはよく知っている。これは自惚れではなく。現にもし彼女が犬なら、きっと耳が垂れて尻尾も大人しく床に横たわっているだろう。目に見えてしょんぼりするなまえがそっと僕から離れてキッチンへと向かった。何か飲みものでも取りに行ったんだろう。自分をぶん殴りたい気持ちになった。暑苦しいわけないだろ、暑かったらカーディガンなんかそもそも着てない。邪魔だったら隣になまえが座るスペースを空けて待ってない。さっきから特に理由もなく眺めているインスタの内容を何一つ覚えていない。 ちらりとキッチンに視線をやるとケトルのお湯が沸くのを壁に凭れて待っている姿が目に入った。手櫛でくしゃくしゃになった髪を直して、ぼんやり冷蔵庫を眺めている。僕に邪険にされたことが原因ではなく、そもそも元気がないようだ。疲れてるなら休ませてあげたい。誘ったのは失敗だったのかな。僕にできることなら何だってしてあげたいし、笑ってほしいのに、上手くいかない。

「郁弥、コーヒー飲むよね?」
「ああ…うん、ありがとう」

 声をかけられてはっとする。コーヒーくらい僕が用意したらよかったのに。ああすればよかった、こうすればよかったと後悔ばかりだ。
 マグを2つ持ったなまえが「お待たせ」と戻ってきた。「ありがとう」マグを受け取る。けれどそのままなまえは僕の隣じゃなくて床に座る。

「なんで床?」
「邪魔かなって」
「…隣、来てよ」
「いいの?」

 マグをテーブルに置いて横をぽんぽんと叩く。おずおずと座るなまえに向けて「ほら、」と両手を広げると「えっ」と目に見えて動揺している。今こそ、素直になる時だ。少しの勇気を出して、腕を引いて抱きしめた。なんだか少し痩せた気がする。細い身体に腕をまわして背中をゆっくりとさすると遠慮がちに抱き返された。

「…会えるの、楽しみにしてたんだ」
「私もすっごく会いたかった」
「疲れてるのにごめん。痩せたでしょ」
「疲れなんてどっか行ったよ、今」
「暑苦しいとか思ってないから、その…ごめん」
「……郁弥、さっきから謝ってばっかり」

 少しだけ身体を離して、眉を下げて笑う。僕はいつものように、楽しかったり嬉しかったりする時の光が弾けるような笑顔が好きなのに。「郁弥」ゆっくりと手が伸びてきて僕の髪を撫でる。

「私はいつもの郁弥が大好きだよ。少し素直じゃないことだってそれも込みで郁弥が好き。それにこうして優しいじゃない、それがとっても嬉しいよ」

 僕より小さな手のひらが、僕のこころの尖ったところを掬ってくれるのだ。あんまりにも優しく笑うから、鼻の奥がつんとして喉が張り付いたようになる。かっこ悪いな、もう。

「ありがとう、僕も……その、なまえが大好きだよ。今日は僕にできることならなんでもする、から…笑って欲しい、かな」

 ふと幼いころの自分の言葉がリフレインした。兄貴に対して、ちゃんと言わなきゃわかんないよ、と。自分に帰って来ているのではないか。ハルや日和とだって、言葉が足らなかったことも要因のひとつに思える。成長しろ、僕。先ほどのものとは変わって、春の花が綻ぶような、穏やかな笑顔のなまえが猫のように首元に擦り寄ってきて楽しそうに声を上げた。

「何からお願いしようかなあ」

 僅かになまえの目尻に薄い水が溜まっているのに気が付いて、瞼にキスをした。まばたきの拍子に涙が零れないように。でも僕は知っている。これは悲しいんじゃなくて、嬉しくて零しかけたものなのだと。そう思うとどこか砂糖のように甘い気がして、こんな表情を見られないようにときつく抱き締めた。


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