「明日世界が終わるって本当なのかな」

 街は大混乱、楽しそうに渋谷の街を歩いていた人々の面影は今やどこにも見当たらない。誰もが不安げな顔で、涙を流しながら。観光目的で写真撮影に勤しむ外国人すらいない。スクランブル交差点は文字通りスクランブルで溢れかえっている。連日空は曇っていて、ここしばらく青空を見ていない。混乱に陥った渋谷には、乱数が掛けたカラフルな極彩色の魔法も勝てなかったらしい。

 渋谷駅から少し離れたところにある、時間を切り取ったような日本家屋の居間に私と幻太郎はいた。
ここ数日続く曇り空を見るのももう飽きた。夜と夕方と昼間の境界線は曖昧で天候も狂っていて、8月だというのに気温は12度。私も幻太郎も冬服を着込んでいるのに、廊下には風鈴が美しい音を奏でている。まさに世紀末と呼ぶにふさわしい、すべてがちぐはぐなおかしな空間で、昨夜セックスをした後のままふたりで布団の中にいた。敷布団から出ないままにテレビのリモコンを適当にザッピングしても放送されていないチャンネルと無人のスタジオが映されているばかり。アナウンサーも、タレントも、もういない。各々の大切な人や家族とでもいるのかもしれない。「しばらくお待ちください」の表示もなく、かつてそこで仕事をしていた人の形跡を映し続けるだけ。
なんでも偉い人が言うには、地球のふたまわりほどもある巨大な隕石が落ちてきて、地球は終わるそうなのだ。
 人類が気軽に宇宙へいける時代ではないし、人々は諦めて行く末を受け入れるか、無駄とわかっていても足掻くか。私たち人類に残された時間の中でどうするか。そんなことを考えながら友人たちからのメッセージを読んでいく。「今までありがとう」「今どうしてるの?どこにいるの?」「言えなかったけど、本当はね」返信しようかどうかと指を彷徨わせたところで、後ろから腕が伸びてきて私のスマホを投げ捨てた。「もうきっと会うこともない人たちですか?」「……きっと、っていうかもう会えないよ。絶対にね。だって世界が終わる、んでしょう?」「……そんな題材、小生ですら選びませんでしたよ」眉間に皺を寄せた彼がひたすらい無音を発するだけのテレビを消した。「ねえ夢野先生。世界が終わったらどうなるの?」「そうですねえ…人間は皆海の中の微生物からやり直すのです。もう一度、地球を作り直さなければなりませんから」海なら、残るのかな?そんなくだらない質問をしようとしてやめた。ため息をついた彼は「嘘ですけど」と言わなかった。ねえ、と声を掛けたところで窓の外が一瞬で夜になる。近い、のかもしれない。「また幻太郎に会いたいな」「会えますよ。きっとね」「嘘?」「いいえ」開け放たれた窓から凍えそうな冷気と、地獄の権化のような悲鳴が聞こえる。巨大な隕石?まるでB級映画みたいだね。笑えないや。

 手を繋いで唇同士が触れるだけの、まるで子供のような柔く甘いキスをした。初めて互いの気持ちが通じて唇を重ねた時のことをふと思い出した。恥ずかしくて照れくさくて嬉しくて、とてもではないけれど顔を見せられなくて抱き付いたら優しく抱きしめて、少し切羽詰まった声と艶のある表情で「もう一度、したい」と告げられたっけ。愛おしい記憶が蘇る。せめて幸福なまま、最期を迎えられたら。

「あのね。恥ずかしくてあんまり言えなかったんだけど。大好きだよ、幻太郎」
「……なまえの前だと嘘を上手く吐けなくなるんですよ。知ってましたか?」
「知ってるよ、そんな事」
「一つだけ、これから嘘を吐きます。……………ああ、…あなたのことは愛してなどいませんので、ゆめゆめ勘違いしないように」
「へったくそ」

 ふ、と同時に笑って、絡めた指に力が籠る。啄むようなかわいらしいキスが顔中に降り注ぐ。さいごまで優しい人ね、ありがとう。薄く瞳を開くと彼はこちらを見ていた。目も閉じずにキスだなんて風情がないこと。その後だった。大きな地震のような、けたたましい音を立てて地面が揺れる。辛うじて夕方と呼べなくもなかった空は一瞬で迫り来る夜に飲み込まれてしまった。空を、地球を覆う巨大な隕石を見る。

「…実は今日こうなるように、この世界の終わりのシナリオを書いたのは小生なんですよ。少しばかり神様に頼まれてしまいまして」
「すごいね。黒幕だ」
「嘘ですけど」

 胸元に擦り寄ると強く抱き締められる。冬の日に二人でまどろんで、笑って、キスをしてセックスして、美味しいものを食べて眠りに就いた日々のような。狂った8月の日に、愛しい人と共に。笑ってさよなら、いつかまた会う日まで。
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