「釣り、好きだったっけ?冨岡君。」

私が言えば冨岡君は、ぼうっと海面深くに消えてゆく釣り糸を凝視するのをやめて、こちらに、じと、と深い視線をくれた。睨んでいるようにも見えたが、それが彼の常なのを私は知っているので、特に突っかかる事は無い。私達が釣り竿の糸を海に垂らしながら腰掛ける防波堤は、下の方で波が当たって、ざぱ、ざぱ、と音を立てている。冨岡君は先程の私の問いに、十分すぎる時間を要してから、また視線を海面の方に向けてぽつりと呟いた。

「なまえが、言うから。」

ざぱ。ざぱ。音が鳴る。本当はリールを少しずつ巻き上げたり、竿を上下に動かしてみたりと、面倒を見てやらないといけないのだけれど、もう、獲物を待って1時間弱もこうして竿を持ちっぱなしであるので、さすがに疲れてきた私は、それらを怠っている。それよりも、冨岡君の言葉はいつも飛び過ぎていて、理解に時間がかかる。

「私が海の話、したから、連れてきてくれたの?」

訊けばまた間を空けて、「ああ。」と短い返事が返ってきた。結局最初の問いにはきちんとした答えを貰えなかった。この間二人で行ったカフェに、貼ってあったポスターを見た私が何気なく言った言葉を、冨岡君は覚えていてくれたのだろう。砂浜が真っ白で美しかったそれを見て、久しぶりに行きたいなあなんて、独り言のように呟いたものだった。その時正面でホットコーヒーのソーサーに添えられた、ミルクを私の方に寄こそうとしていた冨岡君は相槌を打たなかったし、聞いていないのだと思っていたけれど、きちんと拾いあげてくれていたのだ。私は少し嬉しくなって、糸の先についたヘンな魚を模した仕掛けを、動かすことを再開した。



「ありがとう。」

なまえが言ったが俺は、またしても咄嗟に返事をかえさないで、水面の奥の、青みが深くなっているあたりを眺めた。彼女は有難うなんて言っているが、本当はこういう海の楽しみ方をしたくてあの言葉を言った訳では無いことくらい分かってる。釣りに誘ったのは俺だが、今の少し暖かい位の優しい気温に、何が釣れるのかすらも知っていないし、竿に付けたヘンな魚を模した仕掛けだって、適当に選んだものをつけただけなのだ。つまり、釣りに来たが実際に竿に魚が掛かる事は望んでいない。俺は、なまえと出来るだけ二人の間の邪魔を省いた空間で(この間のカフェは、音楽の音量が煩かったし、正面からなまえと向き合ってしまうと緊張した。)他愛の無い会話を楽しみたいと思っていたのだ。だが、実際は全く上手く行っていない。前髪を少し切ったんだなとか、あまり浅く腰掛けると落ちてしまいそうで怖いから気を付けろだとか、なんならもう少しこちらに寄って座ってほしいだとか、言いたい事や思っている事はぐるぐるときちんとした言葉になって脳内を巡っているくせに、一つも声になって出てきてはくれないし、彼女の言葉にも、考えすぎて意味の分からない返答になってしまっている。どうもなまえの前ではどきどきと頭ばかりが火照ってしまって、緊張が解けてはくれない。

「釣れないねえ。ふふ。」
「......。」

何も釣れるわけ、無いんだ。だって。

そう、言ってしまおうかと横目で笑っている彼女の顔を伺うと、水面に反射した光が、仄かに彼女を顔をきらきらと照らしていて、美しい。
それでまた俺は、結局口を、噤んでしまう。




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