「うわーー!死ぬっ!」

自転車の荷台に跨って騒いでいるなまえの声が、真後ろから聞こえて、千寿郎は思わず笑ってしまう。ブレーキなど一切かけずに二人分の体重がのった自転車は、ものすごいスピードで坂を下ってゆく。それどころではない、自転車のカゴには、沢山の教材だって詰まっていて、なまえが騒いで自分が笑っている間にも、それらのせいでどんどん下る速度が増していって、アスファルトの小さなでこぼこが自転車のタイヤに伝う。もう暫く、こんな調子で自転車を漕いでいる。

「手!緩めないで下さい!」
「え!?聞こえない!」
「ちゃんと掴まっていて下さい!!」

言えば反対に、なまえの手が自身の腰から離れてゆくので千寿郎は怖くなる。後ろの様子を確かめたくて、ちらりと一瞬だけ視線を後方に向けようとすれば、軽く首を捻っただけでなまえの伸ばした手が見えた。なんと彼女は両手を上げてスリルを満喫しているのだ。急いで前方に顔を戻した。

「死ぬー!」

先程からなまえは、死ぬ!としか叫ばない。

学校の帰り道にて、唐突だったなまえの「海、見たいな。」発言の後、自身らは電車賃すら持ち合わせていない事が判明した。校門を出たすぐの自販機で、炭酸の強いジュースを買ったせいでもある。ぎらぎらと太陽からの熱がアスファルトに照って、お互いじっとりとした汗をかいていたけれど、なまえのそれはなんだか、爽やかなものに見えた。お互いの財布の中身を確認し終えるまで彼女は、とても海を待ちきれない、といった様子で目をきらきらと輝かせていたくせに、電車賃が足りないと分かると、授業の時、先生に名指しであてられた時みたいな顔をした。(つまり、絶望した真顔。)また今度だね、と少し先をつまらなさそうに歩くなまえの背中を見ていたら、なんだか千寿郎の方が悔しくなってしまって、気付いたら自転車に跨り、彼女を後ろに乗せていた。

斜面の無い道も、二人と沢山の荷物をのせた自転車のペダルは重かった。加えて太陽と地から反射した熱は千寿郎の体力を着々と奪っていったけれど、後ろでけらけらと楽しそうに笑う声と、腰に巻かれた細い腕を感じるとどこまでも漕いでゆけそうな気がした。それに額に流れるような汗が噴き出たところで、今のような長い下り坂で、風を正面から受け止めれば、うそみたいにさらりと乾いてしまうのだ。

「千寿郎の髪擽ったい!」

なまえが、千寿郎の結われた髪の先をぱしぱしと叩いている。そうしているうちに、下り坂が終わって、急なカーブに差し掛かるから、千寿郎は思いきりハンドルを曲げる。体のバランスを崩したなまえが、がっしりと千寿郎の首元に腕を回して掴まった。曲がり切った途端、車道に綺麗な間隔で生えていた木々が途絶え、視界ががらりと変わる。

「!」
「ひぇっ。」

海が見えた。位置の低くなってきている太陽の光を、帯状に反射させた波が、きらきらと揺れている。なまえが後ろで、なにか怖いものを見たかのような悲鳴を上げたが、まあ確かに、恐ろしいくらいにその景色は綺麗だ。長く続く車道が海沿いにずうっと続いている。どこまでも続いている。少しの磯の香りが、柔らかく鼻腔を擽って、なんにも悩みなどないくせに、胸の中の重みを全て攫われてしまうような感覚に襲われた。後ろのなまえはいつの間にか荷台に足をかけて立ち上がっている。肌を通り過ぎてゆく風が心地良い。「綺麗だね。」感動からなのか、それとも自転車の僅かな振動のせいなのか、分からないけれど、声が震えているなまえに、千寿郎は大きく頷いて返事をした。




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