千寿郎君の部屋で迫られる

「おい、此処では流石に、」

戸にかけようとしていた手を止め、千寿郎はだらりとそのまま腕を下ろした。え。なんだろう。そして数秒間考えて、そっと音を立てないように首をひねり後ろを振り返ってみる。兄、杏寿郎の部屋は、勿論千寿郎の振り返った先にあった。向き直る。では、目前の戸の先は誰の部屋か。千寿郎は思案する。

「千寿郎の、部屋だぞ」

そうですよね。千寿郎は部屋の中から聞こえてくる声に内心相槌を打つ。そう、そこは、千寿郎の部屋なのだ。なのに何故なのか。兄の余裕の無いような、焦った声が聞こえてくるのは何故なのか。そして、喋っているのだから部屋の中にはもう一人いる。父が酒を買いに家を空けた今、考えられる人物は一人に絞られるのだが。

「ええー…だって煉獄の部屋の隣、槇寿郎さんの部屋じゃん。声聞こえちゃいそうで」

そう。なまえである。兄と反して彼女は落ち着いたふうで、とんでもない事を言っている。千寿郎は青ざめた。人の部屋で何を始めようというのか。どきどきと煩く焦りだした心臓を手で押さえつつ、耳を澄ませる。

「お願い煉獄!報告書とか稽古とか、やること多くて忙しいのは分かるけど。ちょっとだけで、良いから!」
「お、おい!!ボタンに手を掛け始めるな!」
「煉獄のが気持ちいいんだもん!お願い!」

もうだめだ…と千寿郎は胸にあてた片手の上に、もう片方の手を乗せ、今にも飛び出してしまいそうな心臓をぎゅう、と抑えた。顔に熱が集まってゆく。煉獄のが気持ちいい。嫌でもなまえの声が脳内を支配した。兄の言葉のせいで、ブラウスのボタンをゆっくりと外しにかかるなまえを、想像してしまう。駄目だ。自身の部屋でそんな事を始められてしまっては、死ぬ。色んな意味で。

千寿郎は今ならまだ間に合う、いや間に合って欲しい、と願うように目を瞑り、勢い良く戸に手をかけ、引いた。ぴしゃん!と煩いくらいそれは響いた。

「失礼します!!!」

自身の部屋なのに失礼しますとは、一体どういうことなのか。千寿郎は内心で突っ込みつつ、うっすらと目を開けて様子を伺う。見えた光景に、ひとまず安心して目を開いた。なまえは、きちんと全身黒の、いつもの鬼殺隊の服を身に纏っていたのである。隊服のボタンに手をかけていたらしい。

「え?驚いた。どうしたの千寿郎君、そんなに慌てて」

あっけらかんとしているのは、なまえだけである。兄でさえ千寿郎の登場に、自身程では無いものの頬を染め、たじたじといった様子で千寿郎を見ている。

「すまない千寿郎」
「え?煉獄、千寿郎君。顔赤くない?何?」

兄も千寿郎自身の突撃に大層焦って、謝っている。そんな二人の様子をなまえはんん?と交互に見やって、眉間に皺を寄せた。

「なんで?」

聞きたいのは、此方の方である。千寿郎が内心で二度目の突っ込みを入れれば、それに続くようにして杏寿郎が腕を組み、顔を更に赤くさせた。

「き、君が誘ってくるからだろう!」
「なに、そんなに嫌だったの?」
「俺が千寿郎の部屋でその気になると思うか」
「えー。体解す位でそんな。いつもは二つ返事でやってくれるのに…」

そこまで聞いた千寿郎は、少し固まって、そのあと兄と目を合わせた。多分、同じ事を思っている。目端のなまえが肩を持って、軽く腕を回した事で確信に変わる。彼女が迫っていた理由。『肩たたき』だ!!どうして兄までもがそんな勘違いをしているのかと、心配になってくる。勘違いするような事、言わないでください!と声を張り上げて言いたい気分だが、口から洩れるのは力の抜けてゆくような溜息だった。






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