「傷、深いね。それ、跡になるかも」
「......」
「応援間に合わなくて御免ね」

あまり抑揚の無いなまえの声が背後から聞こえる。謝意を感じられないひんやりとした、文字列だけの彼女の言葉。いつもの事だ。不死川は頬から裂けた傷から滴る鮮血を、自身の手の甲で乱暴に拭った。なまえの方へ顔が見えるように向いた訳では無いのに、傷の程度を背後から診てくるものだから、気に障って舌を鳴らす。背に感じるなまえが今どんな表情で、どんな体制でどんな格好でそこに居るのかを、不死川は振り返らなければ、彼女を視界にきちんと捉えてからでなければ分からない。口内に、鉄の様な重い味がどろどろ伝って、流れ込んでくる。その血液を地に吐き捨てるのをなまえに見られたく無いだけに、ごくりと飲み込んだ。気色の悪い口中、鼻から抜ける生臭さ。そうしている合間にも、なまえはそこに佇むだけで、例えば不死川の傍に寄って行き心配して顔を覗き込んだり、手巾を懐から取り出して、頬傷に優しく当て血を拭ってやる、なんて健気な事はしない女であった。不死川は最初こそ、なまえの持つ他人と一線置いた距離感を確かに好いていた筈なのに、今はどうだろう。彼女が一歩此方へ寄ってきてくれはしないかと、頑固に振り返らず、内心、待っている。頬から流れ出る血液が伝って首筋に流れてゆくので、肩を上げて、衣服に顔を擦り付ける様にして再び拭った。ふと、香りが漂う。赤子の肌の様な、温く、生命に溢れた優しい香り。彼女の、なまえの香りだった。彼女の屋敷で肌を重ねたのは三日前の事なのに、その優しい香りは紛れもなく不死川自身の羽織に染み付いていた。事が終わり先に寝てしまった彼女の身体に自身の羽織を、起こさぬように慎重に掛けてやった事を思い出す。その際にさらりと揺れて肩から流れ落ちた、なまえの黒髪。何事にも無関心の様に見える彼女が珍しく念入りに手入れをするその腰まで伸びた黒髪は、飴の様に艶々と輝いて綺麗だった。彼女が手をかけるものだからと、不死川はなまえの美しい長髪を、内心こっそりと、想っていた。

不死川がどんなになまえに干渉しても、彼女は最初からの冷たい態度を突き通し、素っ気無く、無関心。不死川が誘わなければ共に過ごす時間はやっては来ないし、美味しい御萩と茶を共有したって、なまえはきっともう、その味を覚えてはいないだろう。肌を重ねたって、丁寧に抱いた彼女の身体に何か跡が残っているわけでも無いだろうし、やはり影響を受けるのはいつも不死川の方で、今こうして羽織になまえの香りが血の匂いに負け劣らず記憶と共に染み着いて、心を揺さぶられてしまうというあんばい。そしてやはり、なまえは不死川がいくら頑なに振り返らなくたって、此方に寄って来てはくれないのだ。きっと、なまえは不死川の背後で、あの長い、唯一なまえの愛情を受け取っている黒髪を、闇夜だというのに流麗に艶を靡かせながら、整った顔の表情一つ変えずにそこに居るんだろう。彼女が目視せずに傷の程度を把握するというならばこちらだっていつもと全く変わらないなまえの無愛想な基本型を思い浮かべている。いつまでもやってこない理想に苛々と不満が募る不死川は、眉一つ動かさない間抜けた顔を睨みつけてやろうと、やっと間をずいぶん開けて、振り返った。

「…お前、それどうした」

が、睨みつけるまでもなく、はっと目を丸くしてしまったのは不死川だ。先程想像したなまえの恰好では、無かったのである。彼女は自慢の長い黒髪を、ばっさりと切り落としてしまっていた。小さな輪郭の周りを、毛先が無造作にはねていて、首筋にはぴったりと、襟足から伸びた毛が寄り添っていた。

言われてなまえは顔色一つ変えない。それはやはり変える気のない、彼女の基本型。

「稽古中に」

彼女の短髪は元からその形だったようにしっくり馴染んでいるのに、不死川が知っているなまえでは無くて、まるで双子の、なまえではない方と会話をしている気になってゆく。なまえには姉妹は居ないし、違和感ばかりなのに納得するのは、どんな髪型だって受け入れてしまえる整った顔のせいだろう。

稽古中に。省略しすぎた短い一言だが、理解できない程ではない。不死川はその言葉を吸収すると、体の内が鈍く燃えていくような感覚に襲われる。なまえはもっぱら、最近の稽古では人を相手にしていた。

「誰だァそいつ」
「ん?」
「お前の髪切った奴」
「故意じゃない」
「男か」
「そうだけど。私の不注意」
「分かったから早く言いやがれ」

故意になまえの髪を切った訳では無いにしろ。
嫉妬心が膨れ上がってゆく。それを加速させているのは間違い無く、なまえが相手の名を出す事を渋っているせいである。なんだ。その、髪切り男に、何か思い入れでもあるのかと、勘繰りたくなってくる。そうするともうなまえの短髪は不死川から見れば髪切り男の色に染まって見えて、それを当たり前のように馴染ませた風でいるなまえに、大層腹が立った。今不死川の前に堂々と佇むなまえは、短くなった髪を除いては出会った当初から何も変わっていない。重ねた二人の時間を愛おしむような表情だって、数日前に触れあった夜を思い起こして頬を染めたりする様子だって無い。そうじゃなくても、なまえは不死川の事を当初と変わらずに風柱と呼ぶ。そんな中変わった唯一の彼女の髪が、他の男に切られたものなのが、許せなかった。

「前の髪型の方が良かった?」

と言いつつなまえは不死川の質問をするりとかわし、口角をほんの少しだけ上げて、頬に流れた毛先を指先で弄びながら目を細めている様子から、短髪を気に入っている様だ。珍しく柔らかい彼女の表情に、不死川の心の内ではち切れそうになっていた嫉妬心が、もう限界だ、と告げる。なまえを大切にしたいのに、なまえを分かりたいのに、何もうまくいかない。髪を大事そうにしていた様に見えていたのは不死川だけで、なまえ自身は、もしかしたら、そろそろ暑くなるし切ってしまいたい、くらいに思っていたのかもしれない。何も噛み合ってないのかもしれない。苛々する。

「全然、似合ってねェ」

乱暴な言葉。こちらを真直ぐ見据えてそお。と大して残念そうでもないなまえに、近付き乱暴に胸倉を掴んだ。もう優しく扱うつもりはなかった。ぐいっとなまえを引き寄せれば、驚きからか軽く開けた彼女の口内に、白の球体がころりと転がるのを見た。

「…任務中に飴玉かィ」

不死川が放った言葉を聞いたなまえがガリっと奥歯で飴玉を噛み潰す。不死川がどんなに頭をなまえの事で埋め尽くして焦ったところで、こうやってなまえは。関係ないという風にして、血液でまみれた生臭い口内と相反して、乳白色の飴玉の甘ったるさを優雅に堪能していた。とことん、むかつく奴。どうにかこの変わらずに余裕そうな、無表情を崩してやりたくなり、不死川は掴んだままの胸倉を更に引き寄せて、なまえの唇に噛みつくように口をつけ、自身の血液でまみれた舌を強引にねじ込み、なまえの砂糖漬けにしたような舌に、擦り付けた。不死川の血液となまえの糖と、二人の唾液が、混ざり合う。甘く幸せな口内に、鉄臭い他人の血が流れ込んでくる、その味は実に不快だろう、流石になまえも、眉を嫌悪感に潜めて抵抗するかと、不死川は目を薄く開けて彼女の様子を窺えば、なまえは無表情のまま、ゆっくりと目を閉じてゆき、ごくりと喉を上下させて、二人の口内を支配する赤と白の、混ざったそれを飲み込んだ。真似て不死川も、口端からあふれてしまいそうなそれを飲み込んでみれば、自身の鉄臭い血液の味はほとんど、なまえの舐めていた飴玉の、砂糖の味にかき消されてなくなってしまっているのだった。


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