話がある、というので、任務帰りに煉獄家屋敷へ寄ることになっていた。といっても杏寿郎と幼馴染である私の家は隣だから、そんな風に約束を取り付けられなくても、大体、任務帰りには杏寿郎のところへ、報告がてら、遊びに行くのだが。


「なあなまえ。そろそろ籍を入れようと思う」
「誰と」
「ん?…君と」

約束通り煉獄家にやってくれば、杏寿郎は開口一番に「今日は誰も居ない」なんて言うから、なにか企んでいるなとは思った。縁側に座らされ、若干だけれど、落ち着きの無い杏寿郎を、私は見逃さなかった。彼は落ち着かない時、腕を組みながら人差し指で腕をとんとん、と叩くのだ。柱就任前も、屋敷内をうろうろしながら永遠とそうやって、随分と緊張していた様子だった事を覚えている。…今回立ち歩き回るまではしないものの、そう考えると、杏寿郎は、何かとんでもない事を話すのではないかと不安を抱え始めていたのだが(だってわざわざ、話があると呼び出すくらいだ)(それに、『誰も居ない』という前置き付きだ)いよいよ出てきた杏寿郎の、夕飯はおでんにしようと思う。くらいの軽い口調に乗った言葉に、私は数回瞬きを繰り返して、それから徐々に眉間に皺を寄せた。夕飯はおでんにしようと思う。誰と食べる?ん?君と。違う違う。籍を入れようと思う。君と。

「まず付き合ってないし」

私だって内心、焦っているがここで最もな事を聞く。急に馬鹿な事言ってる、とふざけないあたり自身も杏寿郎の放った言葉の持つ重みに、緊張していた。隣に座る杏寿郎に視線をやれば、彼は正面の庭の、どこか遠くを見ていた。だから杏寿郎と同じものを見ようと庭に視線を戻すが、別に気を引いて面白いものは何もなかった。目の端に入った槇寿郎さんの盆栽の梅が、ぽつりと一輪だけ咲いている。情緒があって素敵だ。次いで横目で、杏寿郎を盗み見る。横顔が整っていることに今更気が付いてどきりとした。幼馴染なのだ。しかもお隣さん。同じ鬼殺隊所属でもあるし(彼は自分よりもうんと強い、柱であるが)何かと縁がある私達の付き合いは相当長い。そんな関係なので自然と男と女という概念は存在しないものと思ってきたが、いつから杏寿郎は、私を女として見ていたのだろう。同じ部屋で寝泊まりだって何度か、

「別に、交際期間など必要ないだろう。君とは」

え。なんだその流れ。眉間の皺がぱっと戻り、きっと間の抜けた顔だろう。簡単に言えば裏切られたような気持ちだ。籍は入れたいが、別に恋人にしたいわけでは無いらしい。でも安心したのも確かだ。杏寿郎が自分に、恋をしているようには一切見えない。

「それって、別に私の事好きではないよね」

言えば杏寿郎はやっとこちらを向く。

「好きだぞ」

真剣な顔だったから驚いた。大きい、綺麗な杏寿郎の眼の中に自分しか映っていないから恥ずかしくなる。この人、私に好きと言っている。

「ど、どこらへんが」

視線を杏寿郎の目から逃げるように外して、そう言うのが精いっぱいだ。どきどきと、耳が熱くなるのを感じながら、どうかその赤みを杏寿郎が気づいていませんようにと願いながら、あの梅の花を見る。小さく、ちょぼっと咲いているそれは、今この、杏寿郎の返答待ちの、不安と恐怖と幸せと擽ったさを要り交ぜた複雑な心境で見ると、なんだかとても頼りないものに見えた。

「いくつもいくつも浮かんで。長くなるが」
「うん、イイ、ヨ」

杏寿郎が、私を好きな理由。声を上擦らせながら、返事をする。もう顔が赤いことが、ばれているだろう。だって熱すぎる。梅、もっと咲いていれば私の心ももう少し落ち着いて、穏やかでいられたかもしれない。杏寿郎は、顎に手をやり、むう、と小さく声を漏らしながら考え込んだ。

「うーん、例えば、な」
「…うん」
「焼き魚定食を、なまえと俺で頼んだとする。」
「え?何の話?」
「まあ、聞いていてくれ」
「……」
「定食だからな。小鉢が付いてくる。」
「まあね、定食だからね」
「それが薩摩芋の甘煮だったら」
「だったら?」
「なまえはそれを、くれる」
「……」
「それも、無言で自然に、小鉢をこちらに寄こす、というやり方でな」

「……はあ?」

聞いているうちに顔に集まった熱は冷めていき、思わず喧嘩を売るような態度になって杏寿郎を見た。いやだって、訳が分からない。それは好きな薩摩芋の話であって、私の話ではない。私が半分怒り始めているのにも関わらず、杏寿郎は続けていく。なんせ、いくつもあるらしいから。いや、そうじゃないだろ。言いたいが、杏寿郎が何かに焦がれているような表情で語りだすから、口を噤んだ。

杏寿郎が親子丼の事を子持ち丼と誤って覚えている事を知っているのはただ一人、私だけだという事。目玉焼きは両者とも醤油派だという事。幼馴染なだけあって、一番良く稽古を共にするから、柱の誰よりも私との連携が取りやすいという事。千寿郎や槇寿郎さんと私が煉獄家で団欒している空気感が好きだという事。その中に杏寿郎自身が入ると、幸せを感じる事。毎朝私が瑠火さんの墓参りを欠かした事が無い事。他の隊士と話している内容が例え任務についてであっても密かに嫉妬する事。任務中だというのに私の事を考えてしまう浮かれた時間がある事。私が任務に出る夜は、なによりも怖い事。

そこまで聞けば、杏寿郎の焦がれているなにかは、私であると理解する。私は今日も変わらず隣にいるのに、杏寿郎は、記憶の私を追憶し、柔らかく目を細める。

「あとは、…そうだな。なまえを途方もなく、愛しく思う瞬間がある。なにか、ふとした瞬間面白く感じたり、思ったりする事があるだろう。そういう時、大体君に目配せするんだが、やはりなまえも同じことを考えていて、お互いの視線が合った時、俺に密かに笑いかけてくれるなまえの顔。あれを見るのが、好きだ」

いつの間にかまた腕を組んでいる杏寿郎。もう人差し指は落ち着いていた。さっきから、回りくどすぎるのだ杏寿郎は。籍とか焼き魚定食とか、先走って飛躍しすぎた話をぶちまけるのではなく、最初からそうやって、順を追ってゆっくりと、説明していけばいいのに。だけれどそんな彼の「誰も居ない」煉獄家で話したかった内容に、心をぎゅっと掴まれてしまった私がいる。心臓はさっきみたいに焦った風でなく、ゆっくりと温かく脈を打つ。そののんびりと幸せな音を感じながら隣の杏寿郎を見やれば、彼も幸いなことに隣に座る私を見て、顔を綻ばせているのだ。幾分か細く閉じられた、大きな目と視線が絡み合った。縁側についていた手の上に、彼の大きな掌が重なる。幼い頃はいつも彼に手を引かれて遊んでいたものだが、繋がなくなったのは、いつからだったろうか。いつの間にか私達の手中には、杏寿郎の手ではなく、私の手ではなく、刀があった。それを代わりに握りしめるようになって、だから私は、杏寿郎の大きく、男らしい骨ばった、体温が子供の様に熱い掌を知らなかった。随分と長い間、そこにあったのに。

「君は俺が守りたい」

そして一番大事な所を、最後に持ってくるのだから。わざとやっているのだったら質が悪い。自身の手の上に覆いかぶさっている杏寿郎の手の指を、自身の親指と人差し指を使って、抓る風にして握り返した。私なりの、杏寿郎の言葉に答えた返事のつもりだ。だって、甘えなれるのには、どうも時間がかかりそうなのだ。




BACK TO TOP



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -