夢心地

薄汚い小さな小屋の中はしんと静まり返り、外の木々や、虫や鳥の気配くらいしか感じ取ることは出来ない。柚季は頭の片隅で煉獄の安否を想いながら、それよりも自身の頬が、特に右側のこめかみから口端までにかけてが不自然にそこだけ温まる感覚をただ感じていた。まるでその温かみやぬるさや柔らかさは柚季が忘れかけているであろう、人の体温に似たそれだった。

誰かに頬を、撫でられているようだ。まるで。

柚季は絵画の中で静かに、その温もりをくれる手の主に重ねるみたいにして自身の手を頬に持っていき、沿わせた。触れた温かさはやはり柚季の手にもゆっくり、そこだけ日向に当たっているかの様に伝染し温まっていく。思わず目を瞑った。気持ちが、意識がふわふわと揺らいだ。疲れているのだろうか。此処に閉じ込められてから、あんな風に外に聞こえる位の大声で誰かに助けを請うたり(鴉に、だが)目の前に居るのに手を差し伸べる事が出来ない、どうしようもなくもどかしい気持ちになった事が今までの8年間、全くなかったものだからきっと疲れてしまったに違いなかった。肉体的にではない。精神的に。そう自身で解釈すれば頬から手の平に広がった温かさに、今は縋っていたかった。杏寿郎君が、無事ならいいと思う。そんな風に思う事しかできないが。本当に想っていた。頬の温かさは彼の太陽の様な髪色や、湿気を一切持たないようなからっとした晴天の日の様な笑い方を自然に想起させた。

叶うなら触れられたかった。こんな風に、彼の体温を知れたらよかったのに。
目を閉じたままそうやって瞼の裏に煉獄を想う。先程まであんなにも心臓が飛び出しそうな思いをして居たくせに、今は嫌なくらい穏やかで、落ち着いている。瞼をいつまでも開きたくない。

柚季はそのままゆっくりと背に体重を預け、ずるずると滑るようにして絵画の中で腰を下ろした。やっぱり疲れているようだ、瞼が重いのだ。眠い、という感覚。いつぶりなのだろう。それは鬼狩りをして居た頃の、任務明けなどに良く柚季を襲った感覚に似ているし、幼少期に母の膝枕で感じた気持ちの良さに似ていた。
少し眠ろう。柚季はいよいよ絵画の中で、横向きにゆっくりと倒れ込んだ。そして頬にじんじんと温かい体温を思う存分楽しみながら意識をのんびりと手放した。





―さん。夏目さん。


誰の声だろう。少女の声、透き通る春の川のような声。でも川辺に咲くのはふわっと花弁を広げ誰にでも媚を売るたんぽぽじゃなくて、傍に金平糖の様な実をつけた小さくつややかな五弁花の、小さい自分を守るためちょっぴり毒をはらんだ黄色の、狐の牡丹。そんな風な、声。

―夏目さん。大丈夫ですから。きっと今度こそ。ね。夏目さん。

私の名を知っている。呼んでる。誰なんだろうこの優しい声は。そうやって柔和に励ます様な少女の声色に柚季は意識を全て乗せ、預けていた。途端に手の平がまた、温かくなった。次はきちんと誰かが、いや、狐の牡丹を川辺に咲かせるこの声の主が柚季の手を握ってくれたがための温度だとすぐに分かった。さっき眠りにつく前に感じた熱とはまた違ったそれ。

―私。アオイです。夏目さんが子供の日の、祭りが催されていた付近の山で助けて下さった。アオイですよ。夏目さん。

アオイ?あの子供の声なのだろうか。あの時の。小さな?まさにあの日の小さな女の子を、思い出してみる。綺麗なつやつやと柔らかすぎる位の髪の、女の子。私が守った、最後の子。アオイちゃん。アオイちゃんと言う名の子だったのだろうか。彼女の名を知らないくせにこんな夢を見るなんて、おかしな話だ。握られた手が他人の血の熱を感じている。そこは確かに幸せなのに、悲しみのような、不安のような、ちょっぴり毒をはらんでいる。

―私、きちんと貴方にお礼を…、いや、いいえ。言います。大丈夫です。煉獄さんが、付いていますから貴方には。きっと大丈夫です。

ああ、煉獄って、杏寿郎君の事かな。そうだ。私は杏寿郎君がとっても好きで、それで心配で、それでたまらない気持ちになる。アオイちゃん、私には杏寿郎君が居てくれるって、大丈夫って、そう思う?私も彼がいると、大丈夫って。具体的になにがなのかは分からないけど、そんな気持ちになる。ああ。杏寿郎君の事が頭でいっぱいで、もどかしい。
そろそろ、起きよう。きっとまた。綺麗な狐牡丹のアオイちゃん。





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