転がされて水無月






「久しぶり、炭治郎」

六月。玄関にてにこりと笑むなまえの顔をじいっと見つめては、やっぱりとても綺麗な人だなあとか、また雰囲気が大人びたんじゃないかとか、3か月振りに会えた彼女を目の前にしてぼんやりと、炭治郎は考えていた。勿論、なまえの顔を見た瞬間今すぐにでも抱き着きたい、純粋に再開を喜びたい気持ちだってあった。だがそれよりも炭治郎の胸の内を大きく支配した感情は安堵感だった。なまえと再会出来たという安堵感。

三か月前の一幕を思い出す。炎柱の継子になるから忙しくなる、当分は会えないだろうと言ったなまえに思い切って、手に汗を握りながら気持ちを打ち明けた炭治郎になまえはいつもの優しい笑顔を崩さないで私もだよ。と言ってくれた。その晩に手を繋ぎ、口付けをして一緒に寝た事を、炭治郎は昨日の事のように思い出せる。その翌日、朝の事だ。なんとなまえは寝ている炭治郎に置手紙と布団の温もりだけを残し、颯爽と隣から居なくなってしまったのだ。手紙の内容は穴が開くほど読み返した、というか眺めたから今でも字体まで思い出せる。仕事で使う様なしっかりとした歪みない字体で。行ってきます。と。それだけだった。後からなまえから文でも届くだろうと何日、何週間待っても音沙汰は無かった。炭治郎は寂しかった。長年心に秘めていた想いを打ち明け良い返事を貰え触れる事が出来たのに、その後は冷えた字体の一言のみだったから。もしかしたらなまえは自分程本気じゃなかったのかもしれないとも思い始めていて、それでも毎日彼女の事を、彼女の匂いを、思い出さない日は無かった。仕事に対して真剣に取り組むなまえの事だからきっと煉獄さんの所では真面目に稽古に励んでいるんだろうと思うと、自身の女々しい感情でなまえに手紙を出して邪魔をするのは炭治郎の性格上出来なかった。

そうしてたった今日、なまえが、三か月前と一切変わらない笑顔で炭治郎の家を訪れた。急だったからそりゃあもう驚いた。でもそんな風に驚くよりもなまえが炭治郎の事をちゃんと覚えていてくれて、こうして訪ねてきてくれた事にとても安堵していた。なまえと普通に再会が出来るのを、最近は叶える事が出来ない夢か何かのように思えてきていたせいだ。にしても、しかし、遅すぎるのではないだろうか。だから炭治郎なりに嫌味を込めて言ってやった。


「…もう少しでなまえの顔、忘れるところだった」
「ふふ、どうだかねえ。その不貞腐れた様子だと、毎日でも私の事思い出してくれてたり?」
「……」
「ゴメンって。そんなに寂しかったなら杏寿郎さんの所顔出しに来ればよかったのに」
「俺は寂しかったなんて言ってない」
「そう?私は寂しかったけどな」
「う、」

不貞腐れそっぽを向いた炭治郎は、なまえの言葉にどきりと胸が鳴り言葉に詰まる。顔に熱が集中するのが分かった。なんせ付き合ってから一日しかなまえと恋人の時間を共にしていない為、彼女の口からこういった甘い言葉が出てくるのは予想外だった。顔が赤いまま固まる炭治郎を見てくすくす笑うなまえの声が聞こえてやっと、やられた、と思った。なまえは昔から、炭治郎をからかって彼のペースを崩すのが好きなのだ。ハッとして見やれば楽しそうに笑っている。その笑顔が炭治郎の、彼女を好きな理由の1つであるのも昔から変わらない。

「炭治郎、顔真っ赤」
「う、うるさい。いきなりそういうのは心臓に悪い!」
「あはは」

両の手で火照る顔を隠すような仕草をとっていると、なまえは左手に持つ紙にくるまれたなにかを胸付近まで持ち上げ抱えた。紙から覗くそれは紫陽花だ。手土産だろう。紫が基調で、まだらに黄や青が混ざっている。茎の部分が白い紙で巻かれていた。かさりと音を立てて持ち直した紫陽花の束を見て一つ笑むと、お邪魔していいかな?と形だけの言葉を述べつつなまえは靴を脱いだ。

「あ、先に部屋に行ってて。俺は茶を沸かしてくる」
「それはどうも」

なまえが炭治郎の横を通り過ぎ、廊下を歩いていく。嗅覚がぴくりと反応した。

付き合う前からなまえは炭治郎の家に何度も遊びに来ているから、部屋と言われるだけで何処の部屋なのかは分かっているようだ。廊下を歩きつきあたり右の炭治郎の部屋に消えていった。その背中が見えなくなるまで見送りつつ、すれ違う際に香ったなまえの香りが3か月前と異なっていることに気付き炭治郎は知っている顔を思い出していた。煉獄さんだ。煉獄さんと同じ香りがする。

「……」

胸がきゅうっと痛くなった。なまえが煉獄と同じ匂いになるのは、同じ屋敷にて生活しているのだから当たり前の事。なのに。なんだか。なまえが他の誰かに取られたような、自分の知らない遠くへ行ってしまったような、寂しい感覚に襲われた。それにさっき、なまえが何ともない顔をして煉獄さんを杏寿郎呼びしたのにも、もやっとしていた。煉獄屋敷には煉獄という名を持つ人が3人居るのだからこれもまた当然の事である。これが、嫉妬というやつだった。醜い感情だと分かっていながらも、炭治郎はもやもやとした胸の内を晴らすことなくなまえが待つ自身の部屋に茶が乗ったお盆を運ぶ。お待たせ、とほわほわと湯気の浮かぶ湯飲みを、紫陽花を花瓶に活けるなまえの横に置いた。


「綺麗な紫陽花だね。禰豆子もきっと喜ぶと思う」
「でしょ。煉獄屋敷、咲く紫陽花の色がすっごく綺麗なの。だから炭治郎にも見せたくて少し摘ませてもらったんだよ」

言われて炭治郎はまたしても胸がモヤモヤし始める。先程から煉獄さんの名ばかりが出てくるじゃないか、と思う胸の内を悟られないように、言葉を続けた。

「今度会ったら煉獄さんにも礼を言わなくちゃ」
「うん、そうして。杏寿郎さんも炭治郎に会いたがってたよ」

炭治郎の内の思いなど知る由もなく、なまえはいつもの笑みで紫陽花の花弁を優しく撫でつける。そこで視線だけをちらりと炭治郎に移し、そういえば、と思い出したように言った。彼女の口元はまだ笑っている。

「紫陽花の花言葉、炭治郎は知ってる?」
「え?うーん…聞いたことないなあ。花言葉は妹の花子が好きでよく聞かされていたけど」
「あー。小さい子にはまだ早いかもね」
「っていうと?」
「紫陽花の花言葉は浮気、移り気。なんだって」
「は、」

なまえの言葉に炭治郎は息を飲んだ。まるで自身の胸のつっかかりの答えを、なまえがくれたようなタイミングだったからだ。眉間に皺を寄せ彼女を見やると楽しそうに笑っている。なまえからしてみれば、これは悪戯やからかいの類なのだ。でももう、無理だ。空気がピンと張ったことになまえも笑みを絶やし驚いているような表情になった。不安で気持ちに余裕の無くなった炭治郎はなまえと距離を詰める。

「なんで、そんなこと言うんだよ」
「え、じ…冗談だよ」
「俺だって、寂しかった。なまえと会いたかった。」
「う、うん」
「折角3か月ぶりに会えたんだから、他の男の話は、今はどうだっていいんだ」
「ん?何の事?…ちょ、」


どさりとなまえの両腕を掴み覆いかぶさるように押し倒した。なんで俺だけこんなに必死なんだろう。玄関先で、久しぶりに会えた瞬間だって、もっと嬉しそうに飛びついてきてほしかったくらいだ。ついでに思えば置手紙を置いて去ったことや文をくれなかった事にも不満がある。終いには煉獄さんと同じ匂いをつけて帰ってきて。なんなんだなまえは。なんで俺は。いつから。男らしくない、なよなよした思考をするようになったんだ。全部なまえのせいだ。見下ろせば彼女の白い頬が淡い紅色に染まって、口がパクパク開いている。何か言いたげだが、もう聞いてやらない。

「ばかなまえ」

口を塞ぐように口付ける。捕まえていたなまえの手が、ゆっくりと炭治郎の指に絡まってきた。やはり、全て彼女の方が上手なのかもしれない、と自身の激しく脈打つ鼓動を感じながら炭治郎は思った。








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