「…達者でな」
「おう。お前もな」
「ああ」


その、一度も振り返りもしない背中を見送ったのはいつだったか。遠い遠い昔のことのように感じられる。

今生の別れかも知れないというのに、気の利いた文句ひとつも出てきやしなかった。
自分で言うのも蹟だが、口下手で不器用でぶっきらぼうで意地っ張り。そんな自分を呪わなかったことが無いと言えば完全に嘘になる。
かといって素直な気持ちを吐き出してたら、なんて出来もしない「もしも」を浮かべてる自分。
あの背中に向かって待って、だの、行かないで、だの叫ぶか。文字通り、後ろ髪を引っ張るみたいにして背中にしがみつくか、奴の服の裾をぎゅうと握りしめるか。

できるわけがないだろう。そんなみっともない、女々しい真似が。








「俺、行くわ」


さらりと悪びれもせずに笑ってた、あの男。
人の気持ちも知らないで、なんて阿呆のようなこと言うつもりは毛ほども無い。が、あまりにそれは突然すぎて、引き止めるなんて選択肢が頭に昇るよりも先に奴を見送ることになってしまった。


「ま、俺がいなくとも元気でやってくれ。な」
「ああ」


奴は気まぐれで掴み所も無く、何考えてるか分からない。これまでも幾度となく居なくなってはひょっこり帰ってきてた。
事前の連絡も無しに突然家を空けるなんかしょっちゅう。いきなり帰ってきたと思ったら、見慣れない奇妙な骨董品やら食べ物やらを取り出して「コレ、お土産」だとか馬鹿なこと抜かしているような奴で。

そんな奴が居なくなる前に一言二言、しかも直接向き合って言うなんて。
奴にも自分にも苛々するしムカつくし認めたくなんかは無いが、だが、

不安になった。


「いつ…行くんだ?」
「今日。っつーか、今」


やっとのことで聞けた問いの返事はいつものようにあっさりしてて、何故だかすごく恥ずかしくなった。
今?じゃあ今ここでお前を見送らないといけないと、そういうことか。

俺がもう少し、俺が思う「馬鹿」な奴だったなら。と思った。
この男のそばにいると情けなくて消えてしまいたくなる。何度も何度も自分がみっともなくて、言いようの無い感情を抱いては破棄捨てて。


怖くて聞けなかった。
「いつ帰ってくるのか」なんて。


その口からもう帰って来ないなんて言われたら。多分奴が見てる前だというのに、その、醜態を晒してしまうだろう。
一縷の望みというか、最後の砦というか。
帰って来ないなんて言わせたくないし聞きたくないから、


「…達者でな」


精一杯の「馬鹿」に近づいてみた結果がこれ。
気遣いの言葉にしては一切の飾り気も無し。平常運転と言えば聞こえは良いが、格好悪すぎる。

だが、声は震えてない。顔もマフラーで隠れてる。大丈夫。
本心を顔に出さないように。悟られないように。ばれてしまわないように。気づかれてしまわないように。


「おう。お前もな」


言ってニヤッと笑ったあいつも、いつもと全く変わらない様子。


「ああ」


俺の返事を聞き終えるか聞き終わらないかのところで、奴は背を向けて歩き出した。一度も振り向きもせずにすたすたと。

馬鹿野郎。馬鹿野郎。


遠ざかっていく奴の背中。手が届かない距離まで離れた途端、頬に涙が伝ってそのままマフラーに吸われていった。
足を動かせば追えるくせに、奴の背中が見えなくなるまでその場から動くことができなかった。






それが大体1年前。
本当の本当にあいつは帰ってきてない。
連絡も無いし、こちらから連絡なんかしていない。どんな話題で、どんな風に連絡すればいいというのだ。そんなこともいまだに分からないまま。
メールや電話はいつも向こうから。俺はそれにやはり飾り気も無い言葉や文面を返す。そんな関係だったから、1年も奴とは連絡を取れず終い。

今更悔いたところで、もう遅いのだけど。


「…馬鹿野郎」


あの日から口癖になった雑言をひとりごちて、暮れていく秋空の窓を背に、何かを振り切るように相棒のギターを掻き鳴らした。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -