自室の万年床で寝転びながら埃とヤニで薄汚れた壁の時計をふと見ると、そろそろ餌の時間だと気づく。
『飼い主』に当たるのは自分なので、気づこうがそうでなかろうが、ねだられるまでは与えてやらないのだが。

このスタンスは、何かを飼う上ではとても重要なことではないだろうか。いつもいつも欲しがられる前に甲斐甲斐しく欲求を満たしてやっては面白くもなんともない。それは、飼う飼われるの関係などではない。
こちらが思い思いに愛玩し、その代わりにあちらから依存されるような関係がいい。それが飼うもの飼われるものの間柄として、最も自然で健全な状態だ。



更に残念なことに、この家で飼っているものは大変に珍しい、読んで字の如く珍獣なのである。
何とそれは口を聞き、確かな意思の疎通ができる。そればかりか、誰がどう見ても人間の男のような容姿をしている。


「ねーねー」
「何だ」
「ケーさーん…。オレ、腹減っちゃった」


そらきた。
いつもいつもこの時間には腹が減るらしく、あれは餌をねだってくる。

あれ、の。

あれの眩しい金色の目と髪に、健康的によく焼けた小麦色の肌。人間だと錯覚してしまうほどに、そんじょそこらの人間以上に人らしい姿。
しかしそれは違う。見た目は人と同じと言っても、決定的に違うのだ。


「ちょーだい?」


体を揺すられたので、奴を見上げる。
甘えるような口調と、飼い主に餌をねだる被支配者の顔つきが目に飛び込んでくる。しかしその口元に光っているのは、いやに大きく鋭い犬歯。
そして、飼われるものでありながら、飼うものを喰い殺さんとするかのようにぎらつく獣のような瞳。
無意識にかわざとか量りかねる。が、空腹なのは嘘偽り無いということだけは見てとれる。


「『待て』。」
「えーっ?!オレ犬じゃないし!ってか待てないし!」
「できないのか? 俺は『待て』もできない能無しはいらねえんだがな」
「う…でも…う、ううぅぅー………」
「できるよな? 『待て』だ」
「はぁ〜い……」


落胆しながらも健気に言い付けを守る従順なあれの為に餌を用意してやらねば。恨めしそうな視線を送りながら布団に座り込むあれを残し、立ち上がる。

滅多に使うことは無かったのだが、奴を飼い始めてからは日の目を見ることになった愛用のナイフを取り出す。
そこそこに小さく、あまり上等なものではないが切れ味は申し分ない。


「っ…」


物欲しそうに見上げてくる奴の視線に後押しされ、刃先で左手の人差し指の先を撫でる。数センチばかりを、浅くも深くもなく。
当然のように血液が溢れてくる。ピリピリとした痛みが指先に走る。


これが、これこそが、奴の欲しがる餌。一瞬にして奴の目の色が変わるのが分かる。


「あ…」
「そのまま座ってろ」


ゆっくりと近づきつつ、わざわざ見せつけるようにその鼻先で血だらけの指をひらつかせる。
奴は我慢の限界なのか、身を乗り出して喉をこくりと鳴らし、だらしなく口を半開きにさせている。震える舌を覗かせ、今か今かと『待て』を続けている。


「舐めろ」


滴った血の雫が奴の口に落ちたのを合図に、『待て』を解いてやる。
舐めやすい高さまで指を下げてやると、すかさず濡れた舌が絡みついてきた。
息を荒げながら、夢中で。


「…噛むなよ?」


餌にありつけた悦びで興奮しているこの生き物に、一応警告しておかねばならない。
躾はしているが、こいつはあまり頭が良いわけではない。馬鹿というには利口すぎるが、愚かというか軽率というのか。


「…んっ……おい、ひぃ…」


舐め回すだけに飽き足らず、しゃぶりついて啜りながら餌を貰い受けている。口の中はやたらと熱く、火傷しそうな錯覚が頭を過る。
傷口に舌を這わせ、決して歯を立てぬよう丁寧に血液を吸いとるさまは、奴の表情も手伝って、口淫のように嫌らしい。


「ん………んん……」


するりと指を引き抜く。血は止まっている。

この瞬間は、なんとも言えない独特の感情が湧き上がる。ペットと戯れている安らぎ、突然こちらが殺されるのではないかという緊張感、主導権を握っていることからくる征服感、にも関わらず奴に食い物にされている屈辱、その全てと、その他にも色々。



人の形をしただけの、化け物。
人のふりをしながら夜の街に紛れ、獲物を見つけては言葉巧みに誘い出し、その血を貪る。
空想上に於いてはありふれた、吸血鬼という生き物。まさかそれが現実に存在していて、しかもそれと接触してしまった上に、奇妙な主従関係まで築いてしまうとは夢にも思っていなかったが。


「ケーさん、」


この関係は続く。そしていつの日にか破綻する。
結末はまだ見えないが、飼うもの飼われるもののどちらも生き物である以上は。


「もっと、頂戴」


この奇妙な関係は続く。今日か明日か、何年後か。その日は必ずやってくる。そのいつの日にか、終わりを告げる。


こちらかあれか、どちらかがくたばるその日まで。






***

吸血鬼パロで1番最初に書いてたやつ。
ガラケーのほうに忘れてきてたからサルベージするの大変だった。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -