さよならも言わず、ごめんなさい。
私は彼の所に行きます。
騎士さん、今までありがとう。



本当は気づいていたの。
彼が迎えに来てなどくれないこと。私が彼のもとへ行かないといけないこと。
でもね、怖かったのよ。
初めは死が怖かったけれど、今となってはそんなこと何でもない。

いつからかしら。優しい貴方を悲しませてしまうのが、とても怖かったの。

それはお情けだとか、憐れみだとか、そんな安いものじゃない。
こんな私を支えてくれた貴方も、そんな感情で私の側に居てくれたわけじゃないでしょう?
私はそれを知っている。私はそれを知っているの。



だからこそ私は行かなくてはいけないの。
貴方の優しさに甘えてばかりでは、駄目。


何より…何よりも、これ以上貴方と一緒に居たら、彼を忘れてしまいそうなの。
貴方が私の手を引いたなら、私は貴方に着いて行ってしまいそう。貴方に奪われてしまいそうだから。

だから、私は―――――















彼女は朝日が嫌いだと言っていた。


彼女が既に生きてはいないと証明するその灰色がかった青い肌は日の光に弱く、焼け爛れて骨が覗くほどに皮膚を熔かしてしまうのだそうだ。

だから彼女は、晴れた日中はこの廃墟と化した教会で過ごし、夕方遠くから決まった時間に聴こえてくるぼやけた鐘の音に耳を澄まし、夜は外へ出て星を数えたり花を摘んだりして、空が白む前に此処に戻り、今日も『彼』が来なかったと歎く。



雨の日はドレスが汚れてしまうからと言って外へは出ず、見えない星の代わりに雨粒を数えたりしていた。
曇りの日は恐る恐る、といった様子で昼間から外へ出て、小鳥の囀りに合わせて歌を歌ったり、昼間にしか開かない花を摘んできてはブーケをこしらえたりしていた。
花の咲かない、鳥達もいない冬が来ると、小高い丘の上まで昇って景色を見渡しては、物悲しい冬の歌を歌う。
雪が降れば教会の中からそれを眺め、この雪が解ける頃には彼が来てくれるかしらと独り言のように尋ねてきた。






ある春の昼下がり、いつものように教会の中で目を覚ますと彼女が居なくなっていた。
瓦礫の隙間から差し込む陽光に、今日は晴れているのに、と慌てて教会を飛び出すと、遠くの方に白い影が揺れていた。見紛うはずもない、彼女のあの煤けてしまったドレスの色だ。
着慣れていたはずの鎧をこれほど重たいと感じたことはない。その白い影へと向かって走りながら、妙な息苦しさを覚えていた。


「デボラ…殿………」


彼女は、息絶えていた。
元より「生きていた」という証明の無いひとだった。しかし、芝生の上に蹲ったまま動かない彼女を見てしまったとき、彼女は遠くへ逝ってしまったのだと直感した。

抱き起こそうとしたが、はっとなり体が動かなくなる。息が詰まり、心臓が痛いほどに騒ぐ。
ベールに包まれて見えなかった彼女の体。春風にふわりと布地がめくられて覗いたのはあの青い肌ではなく、干からびてこじんまりとした人骨であった。

彼女の死体が縋るようにして抱きしめているのは、彼女の待ち続けた『彼』の墓標だった。
彼女は、本当は何もかも知っていたのだ。
『彼』がもう帰らぬ人であることも、『彼』の隣にある空っぽの墓の意味も、そこに刻まれている名前のことも。
知っていながら、彼女は知らないふりをしていた。気づかないふりをして、来るはずのない迎えを待ち続けていた。


「何故、ですか」


それじゃあ騎士さん。また明日ね。
夜明け前、彼女はそう言って眠りについた。
何も変わらない、何も起きることのない静かで穏やかな、彼女の望んではいない日々がまた始まると思っていた。
当たり前のようにまた、彼女に会えると思っていた。


「何故ですか!デボラ殿!!」


彼女の望む明日は、来ない。
彼女の望まない毎日を彼女と過ごすうちに、明日なんて永久に来なければいいと密かに願った。
それと同時に、彼女にとっての最高の幸せである明日を喜ぶことのできない自分を見つけてしまい、醜い自己嫌悪に駆られた。
彼女を明日へと見送る勇気も無ければ、彼女をこの日々から連れ出す為のエゴを押し通すこともできず、心地好く息苦しいこの距離から近づくことも遠ざかることもできなかった。


「デボラ、殿……っ…!」


堪えきれず、物言わぬ彼女が崩れてしまわないようにそっと抱きしめる。甲冑を纏っているせいで、その感覚は何も伝わってこない。
思えばこうして彼女に触れたのは初めてかも知れない。こんな風に自分の都合だけを押し通して、彼女に触れるのは。



だがそれももう遅い。遅すぎるほどに。

いつからか自分は、彼女に恋い焦がれていた。何度も彼女を連れ去ってしまいたいと思った。けれど彼女には待っている人がいる、それは自分ではない、彼女が自分を見てくれることはない、諦めろと必死で自分に言い聞かせた。

想いを告げることすらも許されないからこそ、彼女の側で彼女を守りたかった。
守るという行為さえも自己満足な建前に過ぎなかった。うまく言い逃れていたものだ。ただただ彼女の隣に居たいという、身勝手な己の屁理屈だというのに。
それでも彼女は、隣で笑ってくれていた。



世界で最も愛しい人が目の前から失われたというのに、この場所を除いて世界は何も変わってはいなかった。
ただ一人、まるでこの世の終わりであるかのように嘆きに沈もうと、柔らかい太陽の光と、雲の無い青空と、緑色に芽吹く春の風はそ知らぬ顔で包み込んでくる。
空がガラガラと崩れ落ちてくることもなければ、大地が割れて地獄の門が口を開けるわけでもない。
何も変わらない、いつも通りの世界があるだけ。


「――――――…………!!!!」


ただ只管、彼女達の墓の前で慟哭することしかできなかった。彼女の亡骸を強く強く抱きしめながら、声も涙も尽き果てるまで。






***

ナイトもデボラも好きすぎるんだぜ。






人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -