「卒業おめでとうございます、立花先輩」

わいわいと賑わう中で投げられた言葉に、仙蔵は礼を返しながらも思わず笑い声を漏らす。他の委員会では笑顔で今までの思い出を語り合ったり泣きながら別れを惜しんだりしているというのに、目の前の藤色を纏う後輩は普段通りの澄まし顔なのだ。彼の後ろにいる委員会の後輩達はぐずぐずと泣いていたが(自分のために泣いてくれているのだ、自分の後輩ながら可愛らしい)、一番共に居る時間が長かったであろう○介は淡々とした口調で、先程の言葉を口にしたのである。
桃色の花弁が舞う忍術学園は、卒業生の門出を祝っている最中だった。水色の井桁模様から送り出される松葉色までが、門の周辺でひしめき合っている。こんな状況でいつも通りの飄々とした面を崩さない次期作法委員会の委員長(代理)を、仙蔵はからかってやりたくなった。

「私は今日でこの学園を去るんだ、○介は別れを惜しんではくれないのか?」

それにきょとんとこちらを見上げてきた○介は、次には態とらしく溜息を吐く。(それを見た藤内が、涙を拭いながらも慌てて「綾部先輩!」と小声で窘めた)

「最後の日まで立花先輩はそういうこと言うー」
「最後の日だから言うんじゃないか。このご時世だ、もうお前達と会うこともないかもしれない」

「な?」と笑えば、○介はこてり、と首を傾げる。

「おやまあ。それでも、立花先輩はこれを今生の別れにするつもりはないのでしょう?」

さも当然、というようにそう言った○介は、「立花先輩が簡単に死ぬお人には思えませんし」と言葉を付け足した。相変わらず一言多い奴だ。しかし、確かに彼の言葉は的のど真ん中を得ている。

「──そうだな、私も早々くたばるつもりはない。暇があれば学園にも顔を見せよう。お前達が卒業したら、何処かで酒を飲みながらそれまでのことを語らうのもいいな」

だからもう泣くな、と二つの水色と一つの萌黄色を撫でてやると、泣き声が一層大きくなって腰にぶつかるように抱き付かれた。ぎゅうぎゅう、と締め付けてくるそれに、仙蔵が苦笑いを浮かべる。それを眺める○介は心なしかその表情を和らげて、口を開いた。

「ね?私が泣く必要なんて、ないじゃないですか」




走って、走って、走って──その目から、逃げた。
「昔」と同じだった。髪は流石に結ってはいなかったが、あのさらりとした髪も、切れ目の瞳も、その声も、何もかもがあの頃自分が慕っていた「立花仙蔵」と同じだったのだ。突然すぎる再会に○子も仙蔵も硬直していたが、こちらの方が正気に返るのが幾分か早かった。咄嗟にその腕を振り払い、渚や茅野の声までも無視して一人その場から逃げ出したのである。
観光地らしく、細々とした店が視線の端を幾つも過ぎていく。清水寺の本堂から石階段を降って、坂を転げ落ちるように駆けた。行き先なんか決めていなかったし、あの場から、仙蔵の前から逃げられるのであればどこへ向かおうが構わないとばかりに、○子はがむしゃらに走り続ける。
立花仙蔵もこの世界で生きていた。「昔」から生まれ変わって新たに生きていた、○子と同じように。普通なら、再び巡り会えたことを喜び、彼と分かち合うのだろう。けれど、それは自分には「許されない」ことなのだ。
呼吸が苦しくなる。息継ぎもままならない程全力で走っていたようだった。思わず噎せてよろめけば、不意に何かにぶつかる。ぶつかってしまった対象を把握して──こういう時は全てが不運に繋がるものだと、○子は改めて思った。

「おいおい、痛ってぇな、危ねぇだろうがよォ」
「あーこれ慰謝料モンじゃね?思いっきしぶつかられて怪我しちゃったんだからさぁ」
「だよなぁ、お嬢ちゃん、ちょっとこっち来てくんねぇかなァ?」

ぶつかった箇所であろう腕を抑えながらニヤニヤと此方を見やる二人の男に、○子は息を乱しながらデジャヴを感じていた。つい昨日、こんな奴らに絡まれた気がする。男の一人に手首を捕まれ、何か言い返そうと、呼吸を整えるのに必死な口を開こうとした。ひゅうひゅう、と耳障りな息だけが喉から抜けていく。

「あれれ、お嬢ちゃん調子悪いの?」
「そりゃ大変だ、俺達の車で休んでいきゃいいよ」

「何もしねぇからよ」と思ってもいないことを言ってくる男を睨みながら、○子は辺りを窺った。どうやら走り回ったせいでいつの間にか裏道の方に出てしまっていたらしく、人の姿は見受けられない。ぐい、と無理矢理腕を引かれ、抵抗しようと身体を捩る。しかし、整わない呼吸のせいで上手く力が回らなかった。

「……っ、げほっ、うっ、」
「ほらほら、あっちでゆっくり休もうぜェ?」
「ついでに楽しいことも俺達としようなー」

「へぇ?楽しいことって一体何する気なのーお兄さん達?」

ふいに投げられた声に男達が顔を向ける。そこには輝かしい笑顔のカルマと、息を弾ませた渚が立っていた。「何で、」と口にしようとした○子の喉が、また嫌な音を立てる。男達は怪訝そうに、カルマを見やった。

「そいつ、うちのクラスメイトなんだよねぇ」

ごきり、と密かに拳を鳴らしたカルマに、渚は静かに彼から離れる。自分の役目は○子を保護することだ。カルマ君なら心配ないな、と今までの彼の喧嘩戦歴を思い浮かべながら相手の男達の末路を想像した。そして何より、カルマは今──猛烈に怒っているのだ。


150608 綾部の時間・2時間目




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