「アキ」

 休み時間の教室で、数人のクラスメイトと雑談に興じていたアキは、自分の名前を呼んだ声に「ん?」と視線を動かした。なんだか、わずかに扉付近が騒がしい気がする。

「アキ、はよぅ来んしゃい」

 騒動の中心には、片割れの姿があった。扉の枠に気怠げにもたれかかり、手招くよう、軽く手首を振っている。
 アキはクラスメイトにひと言入れ、席を立つ。雅治の前まで行くと、何人かの女子生徒が自分たちに注目しているのがわかった。

「どうした? 雅治」

 初めのうちは女子生徒の視線の意味がわからなかったアキだが、どうやら自分と片割れは、好意を抱かれやすい性質(タチ)らしいとアキは経験から悟った。それでもクラスメイトの彼女たちは表面上、普通に接してくれていたが、やはりアキと雅治、二人並ぶと嫌でも目を惹いてしまうらしい。
 こればかりは、諦めるしかないのだろう。

「お前さんとこ、次の時間国語じゃなかったよな?」
「次? 次は社会だけど」
「社会はええから、国語の教科書貸して」
「……お前、それ貸してもらう奴の態度じゃないだろ」

 とん、と雅治の肩を小突き、アキは自分の席へ取って返す。
 なんだかんだ言いつつ、アキが自分に手を貸すことを雅治は知っている。自分だって片割れが困っていれば、からかい混じりにでも、結局は手を貸してしまうのだから。
 教科書を手に戻ってきたアキが「はい」と雅治に教科書を差し出す。

「サンキュな」
「けど、めずらしいな。マサが忘れるって」
「まぁ忘れたんじゃのうて、持っとるんは持っとるが、使いもんにならんってのが正解じゃな」
「? どういうことだ?」
「昨日、ブン太と勉強しとったからか、ただの“国語”の教科書が“現国”の教科書に進化しとった」

 つまり、ふたりの教科書が入れ替わっていたようだ。引き上げる時にでも雅治がブン太の教科書を、反対にブン太が雅治のを、互いに自分のだと間違えて持っていったのだろう。今頃、現国の授業があるなら向こうの高校でもブン太が困っているだろう。
 予鈴に促され隣の自クラスへ戻っていく雅治と別れ、アキも自分の席へ戻っていく。


 + + +


 着席の合図で椅子に座った雅治は、早速もれた欠伸に口を押さえた。
 いつもなら早々に頬杖をつき、教師の目があろうが遠慮なく目蓋を下ろす雅治だが、さすがに今日だけはアキから教科書を借りた手前、堂々と居眠りをするのは気が引けた。
 国語教師の声を耳に入れながら、雅治は片手でぱらぱらと教科書をめくっていく。まっさらな自分の教科書と違い、借りたそれには、そこここにアキの字で書き込みがしてある。
 ここで父親は息子に対して悲しみを抱いた、と傍線と一緒に書かれた注釈や、なんで逃げた? とアキ自身の感想らしき短い言葉。
 自分では思いつかない言葉の数々に、雅治は面白そうに口許をゆるめた。双子でこうも感じ方が違うものか。
 雅治はアキが綴った一節を指でなぞってみた。そうすれば、少しはこれを書いた時のアキの心境に近づけるかと思ったが、雅治には物語の登場人物の気持ちさえ掴めていない。

(紙の上より、生身の人間を相手にする方が簡単じゃな)

 それこそ、感じることは違っても、片割れのことは手に取るようにわかる。
 めんどくさそうに、時に冷たいように見えて、アキも雅治も、互いが特別だと思っている。他の兄弟たちと違い、双子ゆえか、アキと雅治の間には強い結びつきが存在している。なにも言わずとも自分のことを理解してくれる相手がいることは、ひどく心地がいい。

(……いかん、やっぱ眠い)

 微睡みかけた手でページをめくった雅治は、そこにも書き込まれていたアキの言葉を流し読み、そのうちのひとつに目を止めた。
 物語は父親を疎み続けた息子が、とうとう父親を騙して離れていくという、山場を迎えている。なかなかにシリアスな場面の、そんなページに、アキは自分の思ったことを書いていた。

『どこの家庭も、嘘つきがいると苦労する』

 明らかにここだけ、物語に対する感想ではない。
 というかどう見ても、これは特定の人物を皮肉った言葉でしかない。

(アキの野郎……)

 眠気はすっかり吹っ飛んだ。
 雅治はペンケースからサインペンを取り出すと、やや乱暴にキャップを外し、教科書にペン先を当てた。


 + + +


「ほい、ありがとさん」

 さっきの休み時間と同じく、アキの教室に訪れた雅治から、アキは国語の教科書を受け取った。

「ああ……」

 なんとなく、片割れの機嫌がいいように見え、アキは首を傾げる。国語の授業中に、なにかいいことでもあったのか。
 苦手ではないにしろ、そこまで国語が得意ってわけじゃ……とアキが考えている間に、次の授業は移動教室だからと、雅治は早足に戻っていった。

「…………」

 アキはしばらくその場で教科書を見つめていたが、いつまでも出入り口を塞いでいるのも邪魔だと、踵を返した。
 自分の席に着き、なんとなく教科書のページをめくりいじっていたアキは、いちページだけ、上部の角が折れていることに気づいた。

(もう少し丁寧に扱えよ……)

 小さくため息をつき、アキは角の折られたページを開いた。
 そのページには、自分が書きこんだ文字の他に、自分の字より大きく書かれた、サインペンの筆跡があった。

『騙される方にも非はある』

 アキは無言で教科書を閉じた。

「マサの野郎……」



※この物語は実在の物とはいっさい関係ありません。


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