枕もとに置いた携帯から目覚ましとして設定しておいたメロディが鳴り、アキは手探りで顔の横辺りをたたく。
 まだ寝惚けている手は緩慢にシーツを一、二度たたき、ようやく触れた硬さをアキは握り込んだ。目を瞑ったまま折り畳み式のそれを開き、大体の位置で電源ボタンを押す。耳に痛い電子音が鳴り止んだ。

「……眠ぃ」

 いまだ重い頭を無理矢理持ち上げて上半身を起こし、目をこする。もれた欠伸に口を押さえ、アキはベッドの柵を掴んだ。屈んだ姿勢で柵を乗り越え、梯子を伝って二段ベッドの上から床へ足をつける。
 腕を上にあげ背筋を伸ばし、はっきりとしてきた頭を振る。

(さてと……)

 アキは下のベッドを覗き込んだ。毎朝と同じように、アキが立てた音など気にも留めず、頭まで布団をかぶり起きる気配などない片割れの姿。ひょこり、とわずかに見える銀色の髪が、呼吸に合わせて上下している。
 布団の上からたたいて肩を見つけ、アキはぐらぐらとその身体を揺する。

「マサ、起きろ。朝だぞ」

 ぐらぐらぐらぐら。
 反応はない。

「マサー、雅治ー。兄さんに怒られるぞー」

 ぐらぐらぐらぐら。
 反応はない。

「……はあ。俺は起こしたからな、弦一兄の雷が落ちる前に来いよ」

 しつこく起こそうとしても、あまり意味がないと経験でわかっているアキは、早々に手を止めた。やや乱暴に銀色の頭を撫で、あっさりとベッドを離れ部屋を出ていく。
 洗面所を経てリビングへ行くと、いつもと変わらない朝の顔触れが揃っていた。

「おはよう、兄さんたち」
「おはようアキ」
「おはよう」
「おはようございます、アキくん」

 ソファに腰掛け紅茶を味わっていた精市が微笑みながら、目を通している朝刊から顔を上げた蓮二が、紅茶のお代わりを手ずから注いでいた比呂士が、それぞれアキへ挨拶を返す。
 朝食係であるアキも家族内では早起きな方だが、彼らの起床時間はそれよりも更に早い。
 ちなみに、家族の中で誰より一番に目覚める弦一郎は、現在庭の一画で日課の鍛練中だ。
 リビングと続きになっているダイニングを通り、キッチンに入ったアキは早速と朝食の用意に掛かる。食事に関しては煩い人間が何名かいるのでそれなりに気を遣う。

「まいった。赤也の奴、やっぱ起きねぇよ」

 サラダ用の野菜を切り始めたところでリビングのドアが開き、ひとつ上のジャッカルがため息をつきながら入ってきた。なにかと手の掛かる末っ子と同室の彼は、その面倒見の良さから末っ子のことをほぼ一任されている。
 アキ自身、片割れに手を焼くこともしばしばあり、ジャッカルとは互いによき相談役であり、よき理解者でもあった。

「お前はいつも早いな、アキ」

 キッチンへやってきたジャッカルが、腕まくりをしつつ苦笑を浮かべる。

「おはよジャッカル。俺もさっき起きたばっかだって」
「怒鳴られでもしない限り、起きねぇよりはマシだって話だ。今日はなに作るんだ?」
「卵が期限やばいから、適当になんか作っちゃって」
「了解」

 アキとジャッカル、二人がキッチンに並んでいるのがこの家の朝の風景だ。
 その内に鍛練を終え、シャワーで汗を流してきた弦一郎がリビングに現れる。
 フライパンで油が跳ねる音と、穏やかに談笑する声以外聞こえないリビングがわずかに騒がしくなるのは、ダイニングテーブルに皿を並べる直前の頃。

「はよー。ん〜、うまそーな匂いっ」

 いつも絶妙のタイミングでやってくるブン太と入れ替わるように、それまで黙していた弦一郎がソファから立ち上がる。
 なんとなく、アキとジャッカルは、リビングのドアをくぐる背中から目を逸らしてしまう。
 唯一、精市だけがその背を「いってらっしゃい」と優雅に微笑んで見送った。
 ぱたん、とドアが閉まり、誰からともなく息をつく。

「あーあ、赤也の奴も懲りねぇな」
「昨夜はまたゲームをして夜更かしをしていたようだからな」
「注意してやれよ、ジャッカル」
「俺かよ。あいつ、俺たちが寝た後に始めてるんだよ。というか、気づいたなら、蓮二兄さんが注意すればよかったんじゃないのか?」
「ああ。だが、どうやらかなり進めていたところでセーブもさせず電源を切ったのが、かえってあいつに火をつけることとなってしまったようだ」
「いや、冷静に分析してる場合かって」

 つっこみの真似をするブン太の横で、今度ははっきりと比呂士がため息をつく。

「雅治くんも、たまには自分の力で起き出してほしいものですね」
「むしろマサは一回、弦一兄の拳固を受ければいいよ」
「はは。荒んでるね、アキ」
「心配して必死に起こそうとしてた、あの頃の俺を労わってほしい」

 その当時を思い出し、深く項垂れるアキの肩を、ジャッカルが励ましの意を込めてたたく。
 今でこそ相手の要領の良さを嫌というほど知っているアキだが、まだ純粋に彼を心配していた時期がアキにもあった。が、蘇った記憶にはもはや自嘲しか浮かばない。青かったな、自分。
 気を取り直し、朝食の席を調えていると、家の奥から――この家は平屋だ――弦一郎の怒声が響き渡った。始まった、と全員が思った。
 第一波が余韻を残す中に、間髪入れず第二波が唸りを上げる。

「専用の目覚ましがあってよかったな、赤也は」

 ははっ、と精市が爽やかに笑う。
 いろんな意味でここの年長者たちは怖い、とアキが思っていると、カチャリとリビングのドアノブが回り、いまだ廊下中に響いている声なんてまったく聞こえていない顔で、雅治が入ってきた。

「おはよーさん」
「……お前、ほんとちゃっかりしてるぜぃ」
「ん? なんのことかのぅ」
「赤也をもう少し可愛がってやれってことだよ」

 アキはため息をついた。
 毎朝怒鳴り声で起こされ、その隙にもうひとりの寝坊したはずの人間はこっそりとリビングに逃げ込み、同じく受けるはずだった罰を逃れているのだ。自業自得とはいえ、同情してしまう。

「なんじゃ? 赤也ならしょっちゅう可愛がってやっとるじゃろ」
「それ、意味が違うだろ?」
「勝てもせん勝負に張ってくる奴が可愛くて可愛くてのぅ」
「だから違うってーの」
「む? 雅治はここにいたのか」

 その声に全員が振り向くと、ドアのところに弦一郎が立っていた。すっかりと縮こまり、赤くなった目を潤ませている末っ子の姿も後ろにある。

「おお。ちっと部屋で今日の予習をしとっての、さっき来たところじゃ」
「そうか。だがこれからは時間に余裕をもった行動を心掛けろ」
「気をつけるナリ」
「それじゃあ――みんな揃ったし、朝ご飯にしよう」

 ぱん、と手を打った精市の声に全員素直に従い、ダイニングテーブルの各々の席に着いていく。
 彼らの朝は、こうして始まる。

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