「これはまだ、うちのおとんが市の病院に勤めとった時の話なんやけど――」

 電気の消えた室内で、蝋燭型のライトを前に謙也が物々しく語り出す。『病院』の単語だけで身体をびくつかせた深亜は、両耳を塞ぐ手によりいっそう力をこめて肩を竦ませる。
 いくら塞いだところで、謙也の話を遮る雑音もなく、くぐもった程度にしか抑えられないが、ないよりはましだ。
 深亜の身体が強張ったことに気づき、傍らの千歳が肩に腕を回し、耳を塞ぐ深亜の手を覆うように手を重ねてくる。あやす手つきで手を撫でる、その体温にほんのわずか、深亜の強張りがとけていく。
 普段ならば人前での過剰な接触を恥ずかしがる深亜だが、今は羞恥よりも、恐怖の方が勝っていた。
 深亜は幽霊や得体のしれない物の話に滅法弱い、自他共に認める大の怖がりだ。
 毎年恒例である、このテニス部合宿中にも幾度か怪談大会や肝試しの話を耳にしたが、その言葉が聞こえるたびに深亜は逃げ続けてきた。
 しかし、今から数十分前。
 小春から大事な話があると、レギュラーが集まっていた部屋に呼ばれた深亜は、まんまとハメられたのだった。
 唯一、千歳だけが場に加わることを渋る深亜の加勢をしてくれたが、結局は小春に押し切られ、レギュラーそれぞれが持っている話を披露する怪談の会が始まった。
 ――そして深亜は今、強引にでもあのとき逃げ出していればと、深く後悔していた。
 早く終わってほしいと願うが、謙也でようやくレギュラーの半分が話し終えたところだ。まだまだ終わりは見えない。

「で、ドアを閉めた途端ドンドンドンッ! て、外側から――」

 話に合わせ畳を拳で叩く謙也の演出に、深亜は小さく悲鳴をあげた。
 目を伏せている分、音に対して過敏になると深亜もわかっているが、だからといって目を開けていられる精神状態でもない。
 本当に、そろそろ限界だ。

「――次の日にその病室を覗いたら、女がおったベッドの上には、なっがーい髪の毛の固まりがあったそうや……」

 カチッ、と謙也が終わりの合図である、蝋燭ライトの明かりを消した。
 輪になっている数人が静かに重く息を吐き、謙也の隣に座っている小石川がライトを引き寄せる。

「ほな、次は俺やな」
「ちぃと待って健二郎」

 突如、千歳が休止を求めた。
 どうしたのだろうと、ようやく目を開いた深亜が顔を上げれば、こちらを見つめていた千歳の目とかち合った。

(え……っ?)

 千歳は苦笑交じりの笑みを浮かべ、深亜の目もとを親指でこする。

「泣くまで我慢せんでよかよ……もう深亜は無理だけん、部屋ん連れてくばい」

 千歳の言葉を聞きながら、深亜は目もとに触れてみる。触れるまでわからなかったが、確かにまだ少しあふれた涙が残っていた。
 くっついていた所為で、千歳のシャツに涙が染みたらしい。それで千歳は気づいたのだろう。
 肩に回された腕に促され、多少ふらついたものの深亜はどうにか立ち上がった。
 部屋を出ていく間際に場の空気を壊したことを深亜が謝れば、かえって全員から丁重なほど、泣かせてしまったことに詫びを入れられた。

「深亜が謝る必要なかろ?」

 ふたり分の飲み物を手に、不満気な表情でそう言った千歳の声音は、どこか拗ねているふうにも聞こえた。
 深亜は苦笑を浮かべつつ、差し出された飲み物を受け取る。自分の分に口をつけ、千歳も深亜の隣に腰を下ろした。
 廊下の端にソファとテーブルのセットで作られた小さな休憩スペースには、今は千歳と深亜のふたりだけだ。
 あんな話を聞いた直後にひとりで居られるかと心配され、深亜は手を引く千歳に逆らわずソファへ落ち着いた。深亜としても当然、ひとり平気で部屋にいられる心境ではなかったので、拒む理由は勿論ない。
 飲み物をひと口飲み、深亜はほっと息をついた。

「でも、断り切れなかったわたしも悪いから」
「……はぁ。ほんなこつ、深亜らしかって言うか……」

 脱力というように身体をこちらへ傾け、猫か犬みたいに千歳がすりついてくる。
 軽く肩を竦ませた深亜は、申し訳なさを感じながらもくすくすと控えめに笑みをこぼした。
 ふと目線を上げると、自分を見つめていた千歳の瞳とかち合った。笑みをこぼしたことにか、千歳は安堵の表情を浮かべている。
 上げられた指が深亜の前髪をいたずらに揺らし、深亜はじわじわと頬に熱が集まっていくのを感じた。
 そのまま、深亜の顔に触れる手つきは、どこまでも甘い。

「部屋にひとりでおるんが怖なったら、いつでも呼んで」
「え?」
「夜遅くても、電話でもメールでもしてよかけん」
「……ありがとう」

 頬を撫でる指がくすぐったい。
 嬉しさと気恥ずかしさが綯い交ぜになり、深亜はそっと目を伏せた。

戻る
誤字脱字、不具合等お気軽にお報せください
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -