「あ?」
後輩の財前の声に顔を上げた謙也は、遠目にもわかる長身の姿に呆れ混じりの息をついた。
つい先ほど、謙也たち四天宝寺の面々は全国大会の会場に着いたばかりだ。だというのにいつの間にか、気づいた時にはふらっと行方をくらませていた当人は、暢気にひとつのコートを見下ろしていた。
まだ試合の行われていないコート内では、一校の女子テニス部が練習がてらに打ち合いをしているようだ。真剣にテニスボールを追いかけていてもその様は、汗臭いだけの男子部とは違い、どこか華やかに見える。
――どこをほっつき歩いているかと思えば、鼻の下を伸ばして女子の姿を追っかけているとは、いいご身分ではないか。
その俊足を遺憾なく発揮し、謙也は軽く地を蹴っただけで千歳の背後まで詰め寄ると、ご自慢の脚を大きな背に叩き込んだ。的が無駄にでかい分当たりやすくて助かる。
「うおっ?」
しかし相手も並大抵の人間ではない。
千歳は前に踏み出した足で傾いた身体を支えると、目を白黒させて振り返った。
「な、なんね謙也、いきなり」
「なにしとんねやお前は」
「そっはこっちの台詞ばいっ」
月並みなつっこみやけど瞬発力は上がっとるな、と大阪色に染められつつある九州男児のレベルを冷静に評価し、財前はマイペースに謙也に追いついた。騒がしい先輩ふたりには構わず、興味のなさそうな目でコートを見やる。
「知り合いでもおるんすか?」
そしてやはり興味のなさそうな声音で、財前は千歳を振り仰ぐ。
千歳は蹴りつけられた背中をさすりながら、コートへと目を戻した。
「まあ、獅子楽の子らだけんね」
「なんや、残してきた彼女がおるんか?」
「……彼女、ね」
ふっ、と千歳は笑った。
「彼女じゃなかばってん――」
「あれ?」
不意に聞こえた声に、三人は顔を上げた。
今も、コート内で汗を流している彼女たちと同じユニフォームを着たひとりの少女が、こちらへと向かってくる。
「めっずらしかとがおったい」
「あー、ヨシノさん? 久し振りばい」
「なん? チト呼ばんと?」
「顔ば見ん来ただけだけん」
「四月から会っとらんとに、なん言うとっと」
少女は眉をひそめると、千歳たちに背を向けコートへと駆け寄っていった。
それまで黙って成り行きを見ていた謙也が、千歳に肘を入れる。
「やっぱ彼女か」
「だけん、彼女じゃなかって」
弁解をする千歳の声にかぶるよう、先ほどの少女がコートに向け声を張り上げた。
「チトー! でっかい弟が来とっとー!」
「――はっ!?」
謙也と財前は揃って千歳へ振り向いた。
それぞれ、謙也は自身の弟が、財前は弟も同然の甥っ子の姿が、脳裏に浮かぶ。
弟――これが弟っ?
「千里くんっ」
謙也たちが少なくない衝撃を受けている間に、コートから千歳たちの方へ少女がひとり走ってくる。近くまで来た彼女は、千歳と謙也たちを交互に見やり、千歳に笑いかけた。
その笑い顔に、千歳の面差しがぼんやりと重なって見えた。
「久し振りだね。お友達?」
千歳の傍らに立つ彼女は、さすがに千歳には及ばないが、中学生女子にしては背が高い。ほとんど目線の変わらない女子を目の当たりにするのは、謙也も初めてだった。
「こっちの金色が忍足謙也で、こっちの黒髪ん子が後輩の財前光くんいうと」
「金“色”ってなんやねん。誰が純金製や」
「で、千歳深亜。俺の双子の姉ちゃんばい」
「無視かっ」
「今のは微妙っすわ謙也さん」
「お前はフォローせえや」
謙也たちの日常茶飯事のやりとりに、彼女が控えめに笑う。
どことなく雰囲気の似ているふたりに謙也は、でも髪質は似らんかったんやな、と癖のない彼女の髪を見て思ったりした。
家族内で癖っ毛は千歳のみとか。
誤字脱字、不具合等お気軽にお報せください