(あやかしパロ)



 外での用事を終えた深亜が家の中へ戻ると、壁際で仰向けになっている男の姿があった。四肢を投げ出し、ぐったりとしている様は完全に熱にやられている。それでも男が陣取っているのが、家の中で一番に風通しのよい場所だとわかり、その猫らしいところに、さすがだと深亜は変に感心した。
 夏は自身の力が暴走しやすいと言った男は、ここ連日、陽が高くなる前に深亜のもとへふらりと現れることが常となった――それまでも、男が三日と開けずして深亜のもとを訪ねないことなどなかったのだが。
 雪を操る女たちが支配し、一年中消えることのない薄化粧を施した山の麓であるここは、夏でもその暑さを忘れられるほどに涼しい。深亜が居を構えている場所は、どちらかといえばまだ人里寄りだが、もっと先へ踏み込めば、涼しさは身を切るような冷たさへと変わる。
 更にその奥は――冷酷な彼女たちの領域だ。

「お加減はいかがですか?」

 男の傍らへ膝をつき深亜が声を掛けると、獣の形容をした耳がぴくりと動いた。
 目を伏せていた男は、虚ろ気味の瞳に深亜を映し、へらりと気の抜けた笑みを浮かべる。

「おー、深亜に心配されとる……嬉しかぁ……」
「…………」

 これは、重症……なのだろうか?
 深亜は男の額に手のひらを添える。冷えたその温度に、男は気持ちよさげに目を細めた。

「こぎゃん深亜に構われるんなら、ずっと夏でもよかねぇ」
「……それは困ります」

 いくら雪山の麓だといっても、夏になれば多少なりとも気温が上がる。半分とはいえ雪の妖(あやかし)の血が流れている深亜にとっても、熱は天敵だ。
 そう、熱は天敵……のはずなのだ。
 それなのに――

(どうしてわたしは、よりによってこの人を介抱しているんだろう)

 雪の半妖と、炎の妖。
 けして相容れない存在同士だったはずが、男は当たり前のように種(しゅ)の隔たりを崩し、深亜はいつしか、そんな男を拒絶することができなくなっていた。
 深亜の心を覆っていた分厚い膜は、男によってどんどんと融かされていった。
 ふぅ、と小さく息をつき、深亜は立ち上がろうと腰を浮かせた。額から離れた手に、すぐさま別の体温が絡む。
 手を捕らえる力は予想外に強く、深亜は丸くした目を男へ向けた。
 男は真っ直ぐと、深亜を見つめていた。

「どこ行くと?」
「え、あの……少し、待っていてください」

 その眼指しの思いがけない真摯さが、深亜の心臓に深く刺さった。知らず声が揺れる。
 少し、と深亜の言葉をなぞり、独り言のように呟いた男は渋々と深亜の手を離した。
 離されたそこには、まだじんわりと男の熱が残っている。深亜は無意識に、胸もとへ手を引き寄せていた。
 今度こそ立ち上がった深亜は土間に下り、流し台の横に置いた一抱えほどの大きさの箱を開けた。砕いた氷を詰めたその中心には、深亜の両手の幅くらいの箱が収められていた。蓋のないその箱は底が浅めにできており、内側は、碁盤のように等間隔に仕切られている。
 水を凍らせる程度なら、深亜にもできないことではない。
 ただ夏になると深亜の力は著しく低下し、少量の水を凍らせるのにも時間が掛かってしまう。
 男が来る前に凍らせておいた箱の中身は、敷き詰めた氷のおかげで幸いそれほど融けてはいなかった。
 深亜は大きめの器の上で箱を引っ繰り返し、底を強めに叩いた。からん、からん、と賽の目状に凍った塊が、器の中へ落ちていく。更にそれを湯呑へ移し、深亜は相変わらずぐったりとしている男の傍らへ戻った。「少し、終わったと?」男の舌足らずな言葉に深亜はつい唇をほころばせた。

「口、開けてください」

 指でつまんだ塊を男の唇に触れさせると、深亜の意図を理解した男は徐に口を開けた。深亜が押し入れた塊を口の中で転がし、男は目を細めて深亜を見上げる。

「甘か」
「砂糖を溶かしてますので」

 こくん、と男の喉が上下する。
 目顔でねだられ、深亜はもうひとつつまみ、男の口へ近づけた。
 三つ、四つ、と口で融かしていた男は、不意に腕を上げ、深亜の膝の上に置かれていたその冷えた手を掴んだ。
 え? と深亜は重なった二つの手に視線を落とす。

「深亜ん味ばい」
「……な、に」
「冷たくて甘か……深亜ん味のすったい」

 舌舐めずりのように、唇に舌を這わせる男に深亜の頭の中で警鐘に似た音が響く。
 いつの間にか、男の指が深亜の指を絡め取っていた。指の腹で手の甲の筋を撫でられ、得体の知れないなにかが背を走る。

「口ん中冷えとるけん、深亜に凍らされとるごたーね」
「っ……」

 雪の女は、気に入った男たちを捕らえ、氷のくちづけで身体の内側から男を氷づけにし、飽きるまで飾りとしておく残虐さを持っている。
 妖である男が、それを知らないはずはない。
 知っていて、その上でなお――そう口にした。

「貴方は……自分が、なにを言っているか」
「深亜になら、凍らされてもよかよ」

 深亜は息を呑んだ。
 繋がれた手から伝わる熱が、深亜をじくじくと侵蝕していく。
 男の目の奥で光った獣の本性を目の当たりにし、どうあっても逃れられないことを深亜は悟った。

「……却ってわたしの方が、貴方の炎に焼き尽くされそうです」

 嬉しそうに笑う男が、下から腕を伸ばしてくる。
 頬に触れた熱に、深亜はゆっくりと目蓋を下ろした。

(……熱、い)

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