小さく聞こえる電子音に、千歳は目で音の出所を探る。すぐに捉えたのは壁際に置かれた鞄。音は確かにそこからだ。

「深亜ー、電話鳴っとっとー」

 その言葉に反発するよう、途端に着信音が止む。
 短く流れたのは聞き覚えのあるクラシック曲――メールだろうか?

「ありがと」

 マグカップ片手に戻ってきた深亜は身を屈め、鞄から携帯を取り出す。立ったままで携帯をいじる、ワンピース型のルームウェアから伸びるすんなりとした脚に、つい千歳の目が留まる。黒のニーソックスに陽に焼けていない肌の色が映える。
 つ、と上へ目をすべらせれば、深亜はなにやら眉を寄せて画面を見ていた。
 膝を折って腰を落ち着かせ、しばらくいじっていた携帯をぱちん、と閉じると、深亜にはめずらしく荒っぽい手つきでラグに放った。
 カップに口をつけコーヒーを啜る。直後にふたたび鳴り出した着信音に「早……」と深亜のうんざりした声が重なる。
 カップを適当な場所に置き、携帯を開いてキーを押す。
 今度ははっきりと、深亜の眉間に皺が寄った。
 千歳は苦笑し、深亜の額を指先でくすぐる。

「……なに?」
「跡のつくったい」

 なに言ってるの、と迷惑そうな顔で千歳の手を払いのけ、深亜は携帯に目を戻す。
 じっと携帯を見据える表情は相変わらず険しい。
 キーの上で指を彷徨わせ、ふぅ、とため息が深亜からもれた。

「どげんしたと?」
「ん……ちょっと」

 どこか言葉を濁している様子の深亜に、千歳はなにかを感じた。
 身を乗り出し顔を覗き込もうとすれば、深亜は「大したことじゃない」とその顔を逸らす。
 閉じられた携帯を隠すように包む手を掴み、千歳は深亜の携帯を手に取った。
 あっ、と深亜の目が千歳を追いかける。

「深亜は隠しごつのでけんたい」
「……返して」
「また言い寄られとっと?」

「またってなに」と不機嫌な顔を作るが、一瞬だけ深亜に動揺が走ったのを千歳は見逃さなかった。

「だけん、深亜は隠しごつのでけん」
「なに――」

 反論の声が途切れる。
 突然のことに深亜は目を瞠り、影が差す千歳の顔を見つめるほかなかった。
 押し倒した深亜を見下ろし、千歳は手の中の携帯を深亜の眼前にかざす。

「誰ね?」
「…………」
「深亜」

 す、と深亜は視線を逃す。

「大学の、先輩……だけど、言い寄るとか……そういうんじゃなくて、ただ食事に行こうとか」
「そっば言い寄る言うったい」

 はあ、と千歳は深く息を吐く。
 何度同じような経験をし、そのたびに言い含めても、自分のことに無頓着な深亜はまるで危機感を抱こうとしない。
 一度痛い目に合えば意識も変わるかもしれないが、どこの馬の骨とも知れぬ男を深亜に近づけることなど許せるはずもない。想像ですら腹の立つ。

「深亜はそん男と食事に行きたかとや?」
「まさか。誘われても断ってる……けど」

 いまだにメールを送りつけているところから、その先輩とやらの諦めの悪さが知れる。
 携帯を通してその男に、ひいては手にしている携帯にすら怒りを通り越した感情が沸き、千歳はそれを横へ投げた。「あっ」と深亜が声を上げる。
 携帯の行方を追おうとした深亜の顎を捕らえ、噛みつくように唇へ食らいつく。

「んんっ……」

 とんっ、と肩口を深亜の拳が叩く。
 自分より大きな身体を押しのけようとする深亜の抵抗は、千歳に対しなんの効力も持たない。むしろいたずらに千歳を煽るばかりだと、深亜は知るよしもない。
 肩に触れる華奢な手を取り、床へと押しつける。
 角度を変え、さらに深くなるくちづけに深亜が小さく呻く。
 絡め取ったやわらかな舌を甘噛みすれば、深亜の身体がびくん、と跳ねた。

「ふ、あっ……」

 こぼれた唾液を舌で拭い、肌を辿り真白い首を舐める。
 震える喉に噛みつきたい衝動を抑え、代わりに赤く痕を残していく。

「っ……そこ、見える」
「“先輩に”見せつけたればよかよ」
「勝手、言わな、っぁ……」

 弱々しく首を振る深亜に構わず、千歳は深亜の首に顔をうずめいくつも痕を散らす。耳に届く乱れていく呼吸音に理性は削られ、深亜の肌を侵していくことに夢中になる。
 深めの襟ぐりから覗く鎖骨に、強めに歯を突き立てた。深亜が息を呑んだ様子が、千歳にも伝わる。赤くなったそこを指でなぞり、千歳は満足気に舌なめずりをした。
 顔を上げれば、怯えの色が浮かぶ目とかち合い、あふれそうになる笑いを抑えられない。

「深亜は全部顔に出とっと」

 頬を撫でる優しげな手つきに、怯えの色が濃くなる。

「――そぎゃん顔見せたら、すーぐ食われったい」
「せん、り……、っん」

 唇を合わせ、弾力を楽しむように下唇を噛み上唇に吸いつく。
 ちゅっ、という可愛らしい音が逆に生々しい。
 くちづけたまま、千歳は深亜の脚に触れる。じっとりと太腿を撫で上げ、腰から腹部へ這う掌が小ぶりな胸を包み、やわい素肌に指が食い込む。
 立ち上がりかけた尖りを指で摘めば、千歳の口内へ深亜の悲鳴は呑み込まれた。

「ふっ、は、ぁ……」
「無防備すぎるんも、深亜ん悪かとこばい」
「ん……そ、なの……知らな、っあ」

 尖りを擦り上げられた刺激に、深亜の背がしなる。
 ぐいっ、と千歳はワンピースの裾を掴むと深亜の胸もとをあらわにさせた。
 舌でふくらみの形をなぞり、かぷりと食む。口に含んだ尖りに舌を絡ませ、舌先で転がす。もう一方にも手が伸び、指が先をこね回す。
 空いた片手は肌をすべり下り、ショーツ越しに深亜の秘処に爪の先を弱く引っ掛ける。
 指を押し当てると、くちゅ、と濡れた感触がした。
 千歳は胸にも残した痕をひと舐めし、顔を上げ深亜を窺う。
 とろりと蕩けた双眸に満たされていくものを覚え、短く呼吸を繰り返す深亜の上気した頬に、千歳はくちづけを落とす。

「っ、んん……っ」

 いきなり中へ指を突き入れられ、深亜は思わず仰け反った。
 息を吸う間も与えられず、容赦なく攻め立てる指に悲鳴じみた嬌声が上がる。
 深亜は千歳の腕へと爪を立てていた。

「っ」
「やっ、ぅ……」
「深亜……」

 直接的な快楽に襲われ震える身体から指を引き抜き、千歳は深亜のショーツを脱がせる。
 力の入っていない脚を開かせ身体を割り入れ、自身もシャツを脱ぎ捨てる。
 カチャリ、とベルトを外す音に、深亜はいま目覚めたかのように千歳を目に映した。
 自身を映す瞳が頼りなげに揺れて見え、千歳はふっ、と表情をゆるめる。
 顔を寄せくちづけると、首の後ろに回された深亜の手が千歳の髪をくしゃりと混ぜる。
 千歳は深亜の腰を掴み、猛った自身を蜜を湛えるそこへうずめた。

「ん、っ……」

 強張る脚を押し広げ、腰を進めていく。
 濡れた柔肉を割り開いていけば、とけそうなほどの熱に包まれる。
 搾り取ろうとうごめく中に千歳は一瞬呼吸を止めた。

「っ、は……深亜」
「ふ……んぅ……」

 ふたたび唇を重ね、ゆるく腰を動かす。
 びくっ、とはねた深亜の脚に力が入り、千歳の身体を挟む。
 千歳は薄らと開かれた唇から深亜の口内へ舌を這わせ、更に腰を突き込ませる。
 口蓋を舌先でくすぐれば深亜の中が千歳を締めつける。
 ぐちぐちと奥を掻き混ぜ、縮こまる深亜の舌と自身のを絡め合う。
 不意に、深亜の手が千歳の胸を打った。

「はっ、ぁ……も、苦し……」

 千歳の口許を抑え、深亜は忙しなく胸を上下させる。
 交わりを阻む掌に千歳は一瞬眉をひそめたが、深亜の手首を取ると汗の滲むそこをぺろりと舐めた。
 親指のつけ根に吸いつき、指の股に残る汗を舐めとる。
 指の一本一本を執拗に舐める舌遣いに、深亜は耐えきれなかった息をもらした。

「せ、んり……っ」
「きもちい?」

 千歳の肩に深亜の爪が食い込む。
 それを返事と受け取り、千歳は口許をゆるませながら深亜と唇を重ねた。


 + + +


 目蓋を閉ざした深亜の前髪を撫で梳き、千歳は深亜が横たわるベッドから静かに腰を上げた。
 ラグの上に放り出されていた深亜の携帯を拾い、待ち受け画面を開く。
 思ったより強い衝撃を与えてしまったが、幸い故障している様子はない。ほっ、と千歳は息をついた。怒られる羽目にはなりたくない。
 深亜が怒った時の顔は普段以上に綺麗だと思うが、その代償は当分の間、口を利いてもらえないというなかなかに辛いものだ。半泣きになりながら許しを乞うた幼少時が懐かしい。
 ――泣きたい気分になるのは、今も変わらないと言えるが……。
 ぱちんと閉じた携帯を深亜の鞄の上に置き、千歳はキッチンへ向かう。
 コップに注いだ水を飲み干し、先にシャワーを浴びてこようかと思ったが、そのまま深亜のもとへと戻った。
 ふたたびベッドに腰掛け、深亜の髪を指で遊ばせながら、千歳は思案する。

(さて――)
「どげんしてやろうかね」


 + + +


 行き交う人間がちらちらとこちらを見やっていくが、視線を集めてしまうことに慣れている千歳は別段気にも留めず、外壁に背を預けたまま動かない。
 携帯を開き時間を確認し、そろそろかと遠目に人の出入りを窺う。目立ちすぎる長身も、こういう時は役に立つ。
 今日は予定が入っているとは言っていなかったので、講義が終われば真っ直ぐ帰路につくはずだ。途中で予定が入れば千歳の携帯にその旨が報される。
 目の前の建物――当たり前だが自身が通うところとは造りが違う、深亜が通う大学――を見つめ、そういえば近くまで来たことはあっても直接迎えに来るのはこれがはじめてかと、千歳は思い出していた。
 しかしその待ち人は一向に現れない。
 千歳は開いた携帯のリダイヤルから『深亜』の文字を押した。
 耳に当てれば、コール音はすぐに途切れる。

『もしもし――千里?』
「深亜、今どこ? もう終わったと?」
『今から帰るところだけど……なに? どうしたの?』

 深亜の後ろから、えーっ帰っちゃうの? という声が聞こえた――明らかに男の声だ。
 ぎっ、と手の中で携帯が小さく軋む。

「――迎えん来たけん」
『……え?』
「あ、おった」
『なに言って――』

 人込みの間から見えた深亜に手を振ると、深亜は言葉と共に動きを止めた。
 傍らにいる男がそんな深亜に声をかける。どうした? と聞きたくもない声が携帯を通ってくる。
 千歳は通話を終わらせ、いまだ動けずにいる深亜のもとへと向かう。

「深亜」
「……嘘でしょ」
「なんがね。ほれ、はよ帰ろ」

 額を押さえる深亜にからからと笑いながら、ひんやりとした手を取り、深亜の身体を引き寄せる。
 細い腰に腕を回し、振り返り様に男を一瞥するその目は、身を竦ませるほどに鋭い。
 固まってしまった男に白々しいまでの笑みを見せ、「さよーなら」と別れの言葉を投げつける。「失礼します」と深亜も千歳の腕に引かれながら会釈をした。
 先ほど以上に集まる視線の中を突っ切り、しばらく歩いたところで千歳はちらりと後ろを確かめる。
 やはりと言おうか、追いかけてくる度胸はないようだ。
 はぁ、と深いため息が聞こえ、千歳は深亜へと目を戻した。

「千里の所為で変に目立っちゃったじゃない……」
「こっで“先輩”も諦めったい」
「周りの目を気にしてって言ってるの」

 そっちの方が余っ程――とは思っても千歳は口に出さなかった。

「今日のことでなんて言われるか……はぁ、明日行き辛い」
「……なら、一日中いちゃいちゃしよる?」

 耳もとで囁いた言葉に、とんっ、と脇腹を小突く拳が返される。



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