一度足を踏み入れたら最後、二度と戻って来られぬと噂される、雪を操る女たちが棲まう白く覆われた山。
その誰もが恐れる山の麓に、小屋を構えひっそりとひとりの少女が暮らしているなどと、おそらく誰ひとりとして思わないだろう。
真夏でもひんやりとした空気に包まれたそこは、しかし千歳にとっては最適な場所だった。ただでさえ陽射しは強いというのに、自身の炎に内からも焼かれそうになる夏が千歳は苦手だ。
鬱蒼とした木々の間を進めば、麓に近づくにつれ空気は冷たく澄んでいく。千歳の尖った耳がぴくりと動く。拓けた先に見つけたのは件(くだん)の小屋だ。
その傍に人影を見つけ、千歳は頬を緩ませながら駆けていく。
「深亜」
「……またいらしたんですか?」
少女のもとへ顔を出すようになって幾日か経つが、いまだ快く迎え入れられたことはない。
困惑と呆れ、千歳が見る少女はいつもその感情を表に浮かべていた――最も多く見るのは無表情だが。
「深亜と仲良くなりたいけん、何度でも来ったい」
「貴方も物好きですね……」
雪の女と人間の血が混ざった少女は、山に棲まう彼女たちから迫害され、この麓まで追いやられた。
それならば山を離れ人間と暮らさないのかと問えば、人付き合いが面倒だと返される。
正直、千歳は少女が羨ましかった。
人のかたちを保っているが、人ならざるものの血が流れている千歳は人間とは違う。ぴんと立った三角の耳がその証だ。
これでは人間の中へ混ざることなどできやしない。
だから、人間の血を持ち、人間の姿を成す少女が、千歳は羨ましかった。
「……どうしたんですか?」
「ん? んにゃ……なんでもなかよ。心配してくれたと?」
「そんな必要はなかったと後悔しています」
けれどこの少女を独り占めしているような今の時間を、千歳はなかなかに気に入っていたりもする。
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