ふたりは恋人同士なのだから、抱きつこうが抱きつかれようがなんら問題はない。
ただ、それは時と場所による。
少なくとも、部活が始まる前の、これから部員が集まってくる部室内でする行為ではないはずだ。
「謙也さん? そんなとこでなに突っ立ってんすか、邪魔っすわ」
「お、あ、光……」
ややぎこちなく謙也が振り返ると、後ろには軽く眉をひそめている財前の姿があった。いつもと様子の違う先輩の態度に、財前はさらに訝る表情となる。
「なに――」言い掛けて、財前の声は遅れて謙也の存在に気づいた千歳と深亜の悲痛にも聞こえる叫びに掻き消された。
「あっ、ああの忍足くんっ」
「謙也! それなんとかして!」
「……は?」
どうにも切羽詰まっているふたりの様子に、謙也と財前の声が重なる。
ただふたりの心境には、この状態をどうにかしてほしい、と、この状態を作っている元凶をどうにかしてほしい、という微妙な差異があるのだが、今あえてそれを取り立てる必要はないだろう。
「なにしてんすか先輩ら」
「それって」
どれ、と言おうとした謙也は、壁にへばりつく“それ”らしきものを目に入れてしまい、ちょっとだけ引いた。
「うお、でか」
「……たかが蜘蛛ですやん」
子どもの掌サイズはありそうな蜘蛛をつかまえて「たかが」と言ってのける後輩が、いろんな意味で謙也たちには頼もしく見えた。
財前は、なぜか常備されている棚の上のハエ叩きを掴んだ。「いかんばい!」途端、千歳が財前の動きを止めようと叫ぶ。
「財前くん、潰したらいかんけんっ」
「はあ? ほなどうしろ言うんすか?」
「潰さずに、こん部屋から追い出してほしかと」
「……朝の蜘蛛以外は殺せってばーちゃんに言われとるんで」
「!?」
ハエ叩きを振りかぶる財前に、千歳はもはや意味の通じない、どころか意味などないだろう言葉を発しながら縋るように深亜を腕に抱き締める。
そろそろ、あらゆる方向からの刺激に深亜が耐えられなくなりそうだ。
謙也はハエ叩きが振り下ろされる前に、財前の手首を掴んだ。
「やめたれって光。お前、迷信とか信じるキャラちゃうやろ?」
「はっ、天才キャラなんて今さらすぎて、キャラづけにもなりませんわ」
「それ言うたらあかんから!」
光はまだ本気を出してないだけだから、まじで。
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