(小学生時代)



「深亜」

 こつん、とガラス戸をたたくと、顔を上げた彼女は驚いた風に目を丸くした。
 その反応に満面の笑みを浮かべ、千歳は鍵の開いていたガラス戸を開け、靴を脱いで我が物顔で部屋へと上がり込む。
 布団の上で上半身を起こしている深亜は、読んでいた本をぱたりと閉じた。

「お姉ちゃんとテニスしに行ったんじゃないの?」
「深亜が退屈だと思ったけん、戻ってきた」

 敷かれた布団の傍らに腰を下ろし、千歳は深亜の顔を覗き込む。

「調子よさそうたいね」

 にこにこと笑っている千歳に対して、深亜は曇った表情で千歳を見つめる。

「いいのに……千里だって、テニスしたいんでしょ?」
「テニスはいつでも出来るばってん、深亜には夏(いま)しか会えんけん、よかたい」

 ぱちりと、呆けたようにまばたきをし、深亜は控えめに笑みをこぼす。

「お姉ちゃんとテニス出来るのも、夏だけだよ」
「……ぼろくそにやられるだけだけん、よかたい」

 千歳の拗ねたような物言いに、今度ははじけたように深亜が笑い出す。
 父親の里帰りと家族旅行を兼ね、深亜たち姉妹がここ――熊本に住む祖父母のもとへやってくるのは、毎年お盆の時期と決まっている。
 その長いようで短い間、幼馴染み同士で過ごすことが彼らの毎日だった。
 時には外を駆け回り自然に触れ、いつからか深亜の姉を真似て千歳もラケットを持つようになり、テニスが遊びの中心となっても、幼馴染みと過ごす日々は変わらなかった。
 身体が弱い深亜はついていくだけで精一杯だったが、一緒にいるだけで嬉しかったし、姉とのテニスで清々しいまでに叩きのめされている千歳を見るのは、本人には言えないが純粋に面白かった。
 しかしここ数年で千歳はめきめきと腕を上げていたようだ。生意気な奴め、と姉が憎々しげにこぼしていたのは深亜の記憶に新しい。
 本来なら今日も、姉に挑んでいく幼馴染みの勇姿を眺めに行くはずの深亜だったのだが、昨日、暑さにやられ倒れた深亜には、今日一日安静の命が姉から下されていた。

「なん読んどっと?」
「読書感想文用の課題図書」
「あー」

 瞬時にしかめっ面をしてみせる千歳に、くすくすと深亜が笑う。

「貸そうか?」
「どーせ出さんけんいらん」
「先生に怒られるじゃない」
「全部出したこつなん、一年ときからなかよ」
「もぉ……図工の作品は楽しそうに描いてたくせに」
「あ、読書感想絵なら描けっかもしれんたい」
「そんな宿題ないよ」

 おかしさに笑みをあふれさせている深亜を見て、釣られて千歳も笑顔になる。
 本を読む時の深亜の真剣な姿に、つい千歳は見蕩れてしまうが、大人びた彼女が時に見せる、年相応の笑い顔が千歳は一番好きだ。
 そんな気持ちを隠そうともせず、表情に押し出しながら彼女を見つめていれば、当の深亜は不思議そうに首を傾げる。

「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「なんでもなかよ」
「なんでもないって……」

 変な千里、と無邪気に彼女が笑ってくれるなら、変な奴呼ばわりも悪くないと千歳は思う。

「深亜」
「ん?」
「好いとるよ」
「……急になに」

 途端に深亜は眉をひそめ、真っ直ぐと千歳を見据える。
 だが、長く傍で見てきた千歳は知っている。
 それは、深亜が照れた時にあらわとなる表情だということを。
 いささか過保護に育てられている深亜は、他者から感情をぶつけられることに慣れていない。
 ゆえにはっきりとした好意の言葉を贈られたことなど、深亜はほとんど経験がない。
 だから何気なくを装った言葉も、深亜を戸惑わせるには充分すぎた。

「さっきから、変な千里」

 眉をひそめたまま深亜が言う。
 その顔が幾分やわらいで見えるのは、千歳の気のせいではない。

「……やっぱり変」
「なんが?」
「変って言われて、嬉しそうな千里が」

 からからと千歳は笑った。
 そんな千歳に、深亜は呆れたような、仕方ないといったかすかな笑みを唇にのせる。
 不意に垣間見えた、少女の中の女性の面に、千歳の胸中は知らず騒ぎ出す。
 もっと、いろんな顔を見せてほしい――他の誰でもない、自分だけに。

「深亜、あとで散歩行かん?」
「……寝てないと、お姉ちゃんに怒られる」
「夕方くらいならよかろもん。それに、家ん中おるばっかじゃ体力もつかんて」
「それは、そうだけど……」

 そこへ、昼食の時間だと呼ぶ深亜の祖母の声が届く。

「――まずはお昼ば残さず食べきるこつからたい」
「あ、千里の分も用意してもらわなきゃ」

 先に立ち上がった千歳が、当然のように深亜へと手を差し伸べる。

「行こ、深亜」

 手に手を重ね、引かれる力に任せて深亜は立ち上がる。
 繋がれた手はそのままに、並んで廊下を歩いていく。

「食ったらじーちゃんと一局ばい」
「将棋? この前負けたばっかなのに」
「あんあと対策ばずっと考えたと」

 今日は負けんっ、と意気込む千歳に、一日二日で勝てるようにはならないだろうと、深亜は冷静に思っていた。
 祖父がそれはそれは生き生きと千歳を迎え撃つので、野暮なことは言わないが。

「千里はおじいちゃんたちにモテモテだね」
「……嬉しくなかー」

 深亜のからかうような声に、千歳はげんなりと肩を沈ませる。
 それが余計に深亜の笑いを誘った。



05初恋


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