「お兄ちゃーん、バス来ちゃうよー」

 深亜の声に急かされ、千歳は鞄を手に玄関へと向かう。
 妹たちはすでに靴を履いて準備は万端といった格好だ。
 千歳が靴を履いている間に、ミユキが玄関の引き戸を開け、深亜はそわそわと千歳を待っている。その可愛らしい様子をもうしばらく堪能していたいが、これ以上遅れるかもと心配させるのも可哀想だと、千歳はようやく腰を持ち上げた。爪先で二、三度地面を蹴り、深亜の背を押して外へ出る。
 いってらっしゃい、と台所から顔を出した母親に振り返り、

「いってきまーす」

 三人仲良く、そう応えた。
 千歳家から最寄りのバス停まで、歩いて十分は優にかかる。郊外よりもさらに中心地から離れているため民家もまばらで、私立の中学に通う千歳だけでなく、小学生の深亜たちもバス通学を余儀なくされている。中学よりは近いが、それでも三十分以上はバスに揺らされる。
 自身も経験したこととはいえ、その小さな身体にはなかなか堪えるのではないかと、千歳は並んで前を行く妹たちの背を見つめる。まして女の子なのだから、よりいっそうその身を案じてしまうのは仕方がない。
 バス停の近くまでやって来れば、こちらへ向かってくるバスが見え、妹たちが走り出す。「兄ちゃーん! はようはようっ」千歳も二人の背を追いかける。
 すでに顔馴染みの運転士に元気よく挨拶している妹たちが微笑ましく、千歳は笑いながら自身もバスへ乗り込んだ。
 早い時間ということもあり、車内には千歳たちを含め、数人の乗客しかいない。
 いつもの席へ座る妹たちを見届け、千歳も彼女たちの後ろに落ち着く。
 内緒話のように声をひそめて会話している妹たちは、人前では騒がないようにという母や兄の教えをきちんと守っているようだ。時折り聞こえる、くすくすと笑う小さな声が耳をくすぐる。
 幾度か停車と発車を繰り返していくうち、車内はそれなりに混雑してきた。
 腰の曲がったご婦人に席を譲り、妹たちの隣に立っていた千歳の脇腹に、いきなり拳が入れられる。

「でっ――なんすっとや桔平」
「通行ん邪魔ばい」

 しれっと言ってのける友人は、同じように千歳の隣で吊り革を掴んだ。
「おはようございますっ」そんな兄の友人にも、妹たちは惜しげもなく笑顔を振りまいて挨拶する。

「おう、わっどま兄ん似らんと、素直でよかたい」
「なんが言いたかや」
「もう、喧嘩せんでよお兄ちゃん」

 ひょこりと、後ろから現れた友人の妹に「杏お姉ちゃんっ」と彼女たち二人の声が少し高くなる。
 友人に似て、テニスのみならず運動面に優れ、勉強の方も申し分ない成績を修めている彼女を、妹たちは実の姉のように慕っている。
 声はひそめたままだが、先ほどよりも強い調子で喋っているのが見て取れる。
 本当に、嬉しそうな顔で話している妹たちを見ていると、こちらもつい頬が緩んでしまう。

「阿呆面んなっとっぞシスコン」
「よぉし、そん喧嘩買ったばい」

 今日も平和な一日が始まりそうだ。

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