ディスプレイに表示された相手の名前に、とくん、と深亜の心臓が軽くはねる。
ほとんど毎日電話をしているのに、それでなくとも毎日顔を合わせているというのに、いまだ深亜の心臓は慣れてくれない。
そんな自分が少し恥ずかしく、熱くなる頬を自覚しながら、深亜は携帯のキーを押した。
「はい、もしもし」
『深亜? いま平気?』
「うん、大丈夫だよ。どうしたの?」
『部屋んカーテン開けれる?』
「え?」
「カーテン?」と呟き、深亜はカーテンの引かれた部屋の窓を見やる。
こんこん、と窓ガラスが音を立てたのはその直後。
「えっ?」
『開ーけーて?』
深亜は急いで立ち上がりカーテンを開けた。
窓ガラスを隔てたすぐ向こう、笑いながらひらひらと手を振る千歳の姿に驚き、目を丸くする。
そんな深亜にいっそう笑みを深め、千歳は窓枠付近、鍵の部分を指先でたたいた。外して、と唇が動く。
「ちょ、ちょっと待ってて」
焦った手つきで携帯を閉じ、深亜はロックを外して窓を開けた。
「こんばんは」
「もぉ、千里くん……」
余りにも堂々としている千歳を深亜は軽く睨む。
誰に見られるかもわからないのに、千歳にはまったく危機感が見られない。ここが女子寮内だということを忘れていないだろうか?
その疑問を肯定するかのように、緩く微笑んだままの千歳は「深亜」と彼女へ腕を伸ばす。
「散歩行かん?」
「え……い、今から?」
「ん。桜のきれかけん、花見せんね?」
「で、も……外出時間、過ぎてるし……」
「すぐ戻れば平気たい」
おいでおいで、と優しく腕が誘いかける。
それでも踏み込むことを躊躇する深亜の名前をもう一度呼び、千歳はにこりと笑う。
「深亜、はよせんと俺、見つかってまう」
「……千里くんの馬鹿」
+ + +
カーテン越しの明かりを背に、深亜は窓枠に腰掛けていた。
その目もとは薄らと色づき、困惑気味に視線は泳いでいる。
自分で履けるから、と頑なに言ったが、千歳も譲らなかった。深亜が手にしていた靴を半ば強引に受け取り、楽しげな表情で跪いてしまう。
恭しく足に触れる千歳を意識しないようにすればするほど、その指先の熱までも感じてしまい、深亜はきつく目を閉じた。
ちゅっ、と足の甲に落とされた音に、びくんと肩がはねる。
「さて、行きましょーかお姫様」
「きゃっ」
唐突に抱き上げられ、深亜は千歳の首に抱きついた。つい小さく悲鳴がもれる。
ふっ、と笑みを含んだ吐息が耳を掠め、熱くなった顔を上げられない。
「お姫様ば攫う俺は、さしずめ悪か魔物かいね」
耳もとに囁きを落とした唇が、こめかみにくちづける。甘くとける声は毒のように深亜のすべてを侵していく。
震える指先を握り込み、深亜は辛うじて「おろして」と声を発した。
「こんままじゃいかんと?」
「……千里くん」
「はいはい、姫の仰せのままに」
どこまでも丁寧な所作で地面に下ろされ、深亜は知らず息を吐いていた。
情けなくもふらついた身体を千歳に支えられる。
するりと腰を撫でた手の熱さに、目眩が起こりそうだ。
「姫、お手をどーぞ」
「…………」
どこまでが本気で、どこまでが遊びなのか。
わからなくても、深亜はその手を取ってしまう。
絡む指に繋がれる。
一歩だけ先を行く千歳の横顔を、深亜はそっと窺い、指先に力を込めた。
たとえ、目の前の男が悪い魔物だろうと、彼にならば、攫われてもいいと思う。
23王子様
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