春風に揺れる黒髪に、千歳は指を絡める。桜の大木を見上げていた深亜は、引かれる感覚に髪を押さえながら振り向いた。なに? と目顔で問われ、満足げな顔で千歳は深亜の髪に指を通す。
「短いんも可愛かばってん、やっぱ深亜は長い方の似合っとっと」
「いきなりなに……」
深亜は呆れた声でそう言い、ふたたび桜を見上げてしまう。
さらり、さらり――夜風にさらされる黒髪も、月明かりに浮かぶ白い肌も、いつもより艶めいて見える。
舞い落ちる花弁が深亜を彩り、千歳は無言で深亜を見つめる。
――幼い頃から伸ばし続けていた髪を、中学の時に深亜はばっさりと切り落とした。
そのことに誰よりショックを受けたのは、恐らく千歳自身だろう。再会した時の彼女の髪は肩口くらいの長さだったが、髪を切った直後はそれよりもさらに短かったという。
「きれか髪なんだけん、切るんはもったいなかよ」
「……長髪フェチ」
あれから数年経ち、今の深亜は背中を覆う髪を風に遊ばせている。
流される髪のひと房を捕らえ、恭しくくちづけを落とす。
「フェチじゃなか。長か髪の深亜が好きなだけったい」
「…………」
睨むように深亜は千歳を見据えるが、その目もとがうっすらと染まっているのが夜目にもはっきりと見えた。
千歳は深亜の肩を抱き、夜気を孕んだ髪に唇を寄せる。ふわりと、花に似た甘やかな匂いが鼻先をかすめた。
「好いとるよ、深亜」
「……恥ずかしい人」
その髪に絡む花弁と同じ、深亜の耳は薄紅色に染まっている。
目を伏せる深亜の頬を指先で撫で、千歳はゆるりと微笑んだ。
ひとひらの桜が風に舞う。
さわさわとくすぐられる木々は、幾片(いくひら)もの花唇を散らしていく。
「――冷えてきたけん、そろそろ帰らんね?」
「ん……」
名残惜しげに桜を見上げる深亜の手を攫い、繋ぎ留めるように指を絡める。
軽やかな下駄の音が静寂を裂き、そして夜の中へと呑み込まれる。
半歩遅れで、深亜は千歳の足跡をたどっていく。時折り吹く強い風に乱される髪を押さえる。
指に引っかかった桜の花びらは風に飛ばされ、闇色の空へと舞い上がっていった。
誤字脱字、不具合等お気軽にお報せください