そんな校舎内の、ある一室。
その教室にあったのは、パチン、パチン、と単調なホチキスの音だけ――だった。
「なにしてるんですか?」
そんな代わり映えのしない音にまぎれて聞こえた声に、一瞬遅れでわたしは顔を上げた。開けられたドアの向こう、廊下に立っていたのは、見知った後輩の姿。
日吉くん、と呼び掛けると、彼は無遠慮に教室内には入って来ず、ドアの向こうで返答を待っていた。
「会長に言われて、次の会議で使う資料作りですよ」
「その量をひとりでですか?」
「それが雑用係の仕事ですから」
肩を竦めて少しおどけて見せると、彼はわずかに眉をひそめたようだった。気に障ってしまっただろうか。
「日吉くんはもうお帰りですか?」
「……ええ、そのつもりでした」
――『つもりでした』?
その言いまわしが引っ掛かっている間に「失礼します」と彼はあっさり教室内に足を踏み入れ、真っ直ぐとこちらへ向かってくる。
呆然と見送る中で、彼はわたしの机とくっつけて書類置き場にしていた向かいの席に、なんの躊躇いもなく腰掛けてしまった。
「……日吉くん?」
「俺も、手伝います」
これを閉じていけばいいんですか? と言いながら予備に置いてあったホチキスを手に取る彼に、慌てて腰を浮かす。
「いえ、これはわたしの仕事ですから、日吉くんの手を煩わせるわけには……」
「……なら、言い方を変えます」
はい? と困惑している内に、彼は顔を上げてわたしの目を見据え、
「“俺に、手伝わせてください”」
「……っ」
ああ、この子は――
一体、どこで覚えてきたというのか。
「……閉じる前に、ページ数の確認をお願いします」
額を片手で覆いながら、それだけ言うのが精一杯だった。
「頼まれると弱いですよね、安藤さんって」
「……そういう人の悪さは、部の先輩方に倣わなくていいです」
数人の顔がありありと浮かび、心底うんざりとした口調でそう言えば、彼はめずらしく、口許をほころばせた顔を見せてくれた。
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