隣を歩く彼の顔を、見ることができなかった。
 意識をしないようにしようとすればするほど、かえってそのことばかりが頭の中を占領してしまって、自分で自分を抑えられないもどかしさに、どんどんと責め立てられていく。
 交わす言葉も段々ぎこちなくなって、歩みも遅くなってしまう。
 彼の言葉に「うん」と短く返した直後、とうとう彼が立ち止まり、わたしの方へと振り向いた。
 少しだけ、しかめられた顔に、泣きそうになった。

「具合悪かと?」

 真っ直ぐと向けられる眼指しに、同じように返すことができなくて、俯き気味に首を横に振った。
 心配なんてしてほしくないのに、これじゃあ心配してくださいって言ってるのとおんなじだ。
 当然というか、そんなのじゃやっぱり彼は納得してくれなくて、「ちょっと休憩」とわたしの手を取って、すぐ近くの公園へと入っていく。
 誰もいない公園のベンチに座る彼に引かれ、わたしも彼の隣に座った。

「なん、悩みごつね?」
「…………」

 わたしが言葉に詰まっても、彼は絶対急かしたりしない。
 どきどきと耳の傍で音が鳴ってる。頭に心臓が移ったみたいだ。
 何度か深呼吸を繰り返して、わたしは彼の手をぎゅっと握った。

「お引っ越し、するんだって」

 握り返す彼の手の力が、強すぎて痛かった。

「……なんで?」
「お父さんの、お仕事の都合で……大阪に行くんだって」
「っ、……遠かね」
「ん……熊本から、すっごく遠い……、っ」

 ぽたり、と膝に滴が落ちた。
 熊本と大阪――まだ子どものわたしたちにはどうすることもできない距離を、改めて思い知って。
 もう二度と、彼に会えなくなってしまいそうな気がして。
 ぽたぽたと、涙が止まらなくなった。

「ずっと……千里くんと、一緒がよかった……」
「深亜……」

 すっ、と彼が立ち上がったような気配があり、俯いたわたしの視界に、彼の足が――

「泣かんで、深亜……」

 頭をやさしく包んでくれるあたたかさが、余計に悲しい気持ちを大きくさせる。
 離れたくない、と願う、わたしのちっぽけなわがままは、誰にも聞き届けられないまま――


 + + +


 ――遠く、どこかから、わたしの名前を呼ぶ声がする。

「ん……」

 感じられたのは傍にいる人の体温と、頭を撫でるような重み。

「……おはよ」
「……あ、れ……?」

 閉じていた目を開ければ、微笑む彼の姿があって。
 ――わたし……眠ってた……?
 まばたきをして辺りを見渡す。と、そこにはあの公園――ではなく、見慣れた裏山の風景が広がっていた。

「どげんしたと?」
「んん……なんでもない。――ちょっと、夢を見たの」
「夢?」
「うん。……懐かしい夢」

 一度は離れ離れになった手と手。
 けれど今、結ばれた先に、彼の温度を確かに感じている。

「ありがとう、千里くん」
「なんね、急に」
「ふふ……なんか急に、言いたくなったの」

 あれから、幾度目かの冬を越し、

「千里くん」
「うん?」
「だいすき、です」

 彼の隣で迎える、はじめての春はもうすぐそこまで――



ランドセル千歳。


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