▼ あなたに愛が届くまで5
「おぉ……」
アリシアは思わず感嘆の声をあげた。
白を基調とした洗練された建物が見える。どこかの御屋敷かと思わせるような役所だ。大きな門構えから見るにそれなりに儲かっているようだ。これもきっと血税で賄われているはずなのに大丈夫なのだろうか、なんて的外れな心配をしてしまう。派手な印象はないが、綺麗に木々が整えられた庭園を横切ると役所が見えてきた。
するとドアの前で佇んでいる男を見つけた。
金色の髪をオールバックにして、チョッキとシャツを着こなしている。年は40代くらいだろうか。だが、もっと若いのかもしれない。そういう精気が目で見えるようだった。
男は笑顔でこちらへ手を振った。
近くまで行くと彼の笑みが増す。そして彼はアリシアに手を差し出した。
「ようこそお越し下さいました。わたくし、市長のマルコと申します」
アリシアは手を握り返した。
「ご丁寧にどうも、私たちは黒の教団エクソシスト、アリシア・ ボールドウィン。彼は神田ユウです」
神田を見てマルコは目を輝かす。
「もしかしてジャパニーズです!?」
勢いに気おされながらも素気無く答えた。
「オレの生まれは日本じゃない」
マルコはガッカリしたように体を離す。
「そうですか。昔、本で黄金の国だと書いていましたので興味がありましてね」
何だか想像していた人物像と違ってアリシアは困惑する。わざわざ屋敷の外まで自ら出迎え話をするなんて、普通の市長ならなかなかお目にかかれない光景だ。もっと強欲で計算高い人物だと思っていたが、この市長は朗らかでどこか憎めない。それにリアが疑心暗鬼になっていると言ったがそんな様子もない。
リアが市長に近づき耳打ちする。
「市長、お話は中で」
リアの言葉にマルコは頷いた。
「そうですね、リアの言うとおりだ。さぁ、中へどうぞ! 美味しい紅茶とケーキを用意してありますから」
***
センスの良い調度品が置かれ、居心地の悪くない部屋に通された二人は、ソファに座ってマルコと対面していた。お茶を飲みながら周りを見渡すと何故かオルゴールがない。ここの売りであるというのにどういう事なのだろう。音が鳴るものは公務の邪魔になるのだろうか。
そして他愛のない会話をしている間もリアは部屋の隅で立っている。ケーキをご馳走になり、紅茶を一通り楽しむとついにマルコは切り出した。
「それで調査の件なのですが……」
アリシアはピクリと反応する。ようやく本題かと思い、ちらっと神田を見る。もともと我慢が得意そうじゃない神田はすでに眉間の皺が深い。マルコはにっこりと笑いながら言った。
「実はそのオルゴールを見つけないで欲しいのです」
アリシアは持っていた紅茶のカップをテーブルに乗せた。
「どういう理由か伺ってよろしいですか?」
「見ていただけたかと思いますが、私たちの街の売りはオルゴールです。それだけで街が潤っていると言っても過言ではない」
確かに街の入口から繁華街までの道のりは賑やかで栄えていた。街全体が観光地のようなものなのだろう。
マルコは大げさな手振りをして目を光らせた。
「オルゴールの街で真夜中に意識を失うほど綺麗な音色のオルゴールが流れる、面白いじゃないですか!」
つまりマルコは今まで以上に収入を得るための宣伝が欲しいのだ。それを聞いて笑みを作りながら告げる。
「でも、あなた方は先に来た黒の教団の申し入れを受け入れたはずです。それを反故にするということはどういう意味か分かりますよね?」
教団の力は全世界に根付いている。それに異を唱えるということは自殺行為なのだ。マルコは何度も頷く。
「えぇ、えぇ、わかっております。ですので、五日待ってほしいのです」
意図を測りかねてアリシアは首を傾げる。マルコは人の良い笑みで顔の前で腕を組んだ。
「実は五日後に祭りを開催するのです」
意外な回答にアリシアが硬直する。確かに街を潤すためには必要なのだろう。だが、この市長に違和感を感じ始めていた。神田はテーブルに足をのせて嘲笑する。
「はっ、祭りのために人間が死んでもいいってことかよ」
マルコは首を振る。
「いえ、その為にあなた方に力を貸して頂きたい」
つまり体のいい護衛ということだ。金もかからず、かつ市民からの不満が出ない。自分たちのことを駒のように使うと宣言しているようなものだ。アリシアは呆れて息を吐いた。
すると隣からひやりとした空気を感じてアリシアは止めようとしたが、時すでに遅く。
「……勘違いするなよ?」
眼光を鋭くした神田は激しくマルコを睨みつけていた。
「俺たちは慈善事業でここに来てんじゃねーんだよ。イノセンスの場所も把握していない、探すな、人を助けろ? おい、テメェ何様だ?」
席を立ちあがった神田にリアが歩み寄る。
「どけよ」
リアを跳ね除けようと伸ばした神田の手をリアは掴んで捻り地面に叩きつけ簡単に組み敷いた。神田も起き上ろうとするが、まったく歯が立たない。
「神田!」
慌てて立ち上がり、アリシアはイノセンスである銃を構える。
「落ち着いて、落ち着いて」
こんな状況だというのにマルコの表情は穏やかだ。むしろ無邪気に笑っているようにも見える。それが逆にぞくりとさせた。
「もちろんタダでとは言いませんよ」
マルコが指を鳴らすと部屋のドアが開き、メイドがトレイを持って入ってきた。そしてトレイの上に置かれていた分厚い紙袋をアリシアの前に置く。中身は容易に想像がつく。
アリシアは不快な表情を隠さなかった。だが、すぐに顔をほぐして紙袋を手に取った。
「……わかりました」
「おいっ!」
神田が身じろぎして、リアから逃れようとするがそれは叶わない。
神田の抗議の声も虚しく、マルコは本当に嬉しそうに笑顔になった。
「よかった。では、よろしくお願いしますね」
彼は改めてアリシアに手を差し出した。だが、アリシアはその手を取らず、紙袋をその手に持たせた。
「ですが、こちらからも条件を付けさせて頂きます」
紙袋を見て少し残念そうにしたが、マルコはすぐにニコニコとして首肯した。
「構いません。どういったことでしょう?」
アリシアは柔和に微笑みながら三つ条件がありますと一つ目の指を立てた。
「一つ、今日からイノセンスを探させて頂きます」
アリシアは二つ目の指を挙げる。
「二つ、イノセンスは祭りの後、即座に回収させて頂きます」
そして、と言って三本目の指を持ち上げる。不敵な笑みを浮かべて。
「三つ、我々は神以外には屈せず、いかなる敵も排除します。――もちろんそれが人間であってもです」
ほんの少しだけだがマルコの笑みが崩れた。だが、それも一瞬だった。
少しの間があってマルコはリアに向けて手を振った。リアは神田から離れ、部屋のドアを開けて傍で待っている。
つまり、話し合いはこれまでということだろう。アリシアは神田に歩み寄る。そして小声で囁いた。
「ちょーかっこ悪いですよ。神田」
「テッメェ!!」
即座に立ち上がる神田に噴き出しながら背中を叩く。
「無事ですね! じゃあ、さっさと行きますよ」
神田は凶悪な表情で舌打ちして大股に歩いて部屋から出ていく。それについてアリシアもドアをくぐろうとして立ち止まる。
アリシアは振り返ってマルコを見ながら微笑んだ。
「あなた方に神のご加護がありますように」
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