▼ あなたに愛が届くまで2
ガタン、ゴトンと音を立てながら鉄道が揺れる。
揺れが一定なので眠気が襲ってきそうだが、今はまるでそんな気がしない。原因はわかっている。目の前で眉間に皺を寄せながら座っている男のせいだ。
絹のように流れる黒髪を一つにまとめ、色めく女の子が彼を見たら一目で恋に落ちてしまうかもしれない。だが当の本人はそのような気はまるでなく、いつも不機嫌そうな表情をしている。遠巻きにされているのも彼の放つオーラのせいだ。なまじ綺麗な顔立ちをしているせいか黙っていると迫力がある。彼は教団を出る前に貰った資料を見ていた。
ちなみに教団を出てから今まで会話は一切ない。
息が詰まりそうな空間だとアリシアは何度目かの溜息を吐いた。
だが、自分から話しかける勇気はない。口を開けば罵倒しかしてこなかったので、関わり方がわからないのだ。この数時間気分が悪くて仕方ない。
――なんでこんな奴とコムイは組ませたんでしょう?
本当に謎ばかりだ。
前までずっと一緒に任務に出ていたアールではなぜだめなのか。連携もうまく取れていたつもりだし、任務だってちゃんとこなしていた。それに教団内では一番仲が良い。
教団に入ってからアールとは兄妹のように育ってきたので、アリシアは彼のことを本当に兄のように思っているのだ。
だが、そのことをコムイは甘えだと言った。
――変わりなさいってことなんですかね
もっとエクソシストとして成長しなさいということなのだろうか。確かにアリシアは弱い。射撃の腕は良いが、いかんせん武器の性能が低すぎるのだ。
アリシアのイノセンスであるサルガタナスは装備型の銃だ。用途に合わせて銃の形式を変えることができる。普段は一丁だが、二丁拳銃や、ライフルなどに変形できる。
だが、問題なのは武器の威力だ。
レベル1であるAKUMAなら装甲を貫通するまでは出来ないが、何発か撃てば行動不能にできる。だが、AKUMAの心臓部に届かなければ意味がない。
だから、探索部隊に陰で使えないと言われる。
武器を加工したのは師匠であるクロス元帥で、彼は元化学者でもあるから加工する腕に問題はないはずだ。まぁ、あの師匠だから本当にちゃんと作ったのかは定かではないが。
だが、それ以前に能力が、適合率が低すぎるのだ。コムイたちと数えきれないくらいシンクロ率を上げる実験をしたがまるで変わらない。理由がなんなのかもわからない。
しかも、面倒なのが弾の問題だ。希少銀を混ぜ込んで作った弾丸でないと威力が出ないのだ。あまり手に入るものではないのでそれだけ弾の数が少ない。今回も持ってきている弾は二百程度だ。
アリシアは深く溜息を吐いた。
不安。不安しか今はない。それを振り払える要素もない。だが、行くしかないのだ。
アリシアは神の使徒だから。
まずは、これからの相方との関係の修復からだ。気まずい空気を取り払うように深く息を吸い込み、吐く。
そしてアリシアは意を決して話しかけた。
「神田」
神田は聞こえなかったのか、資料のページをめくっている。
「神田」
なぜかまったく反応がない。
「カ・ン・ダ聞こえてますかー?」
わざと目の前で手を振ってみせる。
すると神田の眉間に皺が寄った。
「うるせぇ、黙って資料でも見てろ」
話しかけてもこの素っ気ない反応。完全に拒絶されている。アリシアはギリィと歯ぎしりする。
「じゃあ、資料の内容を見て話し合いましょう」
神田は資料に目を向けたまま鼻で笑ってくる。
「読めば全部わかんだろうが」
アリシアの怒りのボルテージが一気に上がる。だが、落ち着かなければ、相手の思うつぼだ。
「あの、今回は探索部隊が一緒に行動できないってわかってますよね?」
神田がようやく顔を上げてこちらを見た。
「だから何だよ」
「私たち二人で調べて、探索して、もしかしたら戦闘をしないといけないんですよ?」
神田はじっと見つめてくるだけでなにも反応がない。
「パートナーになったからからには少しは協力してやっていきましょう」
この関係がいつまで続くかわからないが、もしかすると長く強制されるかもしれない。考えるだけで身震いしてしまいそうだが、表面上、顔には出さない。
そして、アリシアは神田に向けて手を差し出した。
長い間、沈黙が下りる。
神田はアリシアの手をじっと見つめる。だが、すぐに興味を失くしたかのように資料に目を通し始めた。要するに協力する気がまるでないのだ。
宙ぶらりんになった手を関節の音が鳴るほど握り締める。なんて奴だとも思うが、神田にとってそれが当たり前のことなのだろうとアリシアは思い込むことにした。そういう出方をするならばこっちにも考えがある。
アリシアは資料を手に取った。
「今回の任務ですが、眠りのオルゴールと仮称されていますね」
アリシアも資料をめくり始める。眉を寄せる神田を無視してアリシアは話し続ける。
「発見者は売れないライター。まぁ、これはどうでもいいとして問題は次です。」
「おい」
「夜中のある時間だけ街中の人が眠りについて記憶がないというのが今回のキーポイントになると思います」
「お前の見解なんて聞いてねぇよ、黙れ」
痺れを切らしたのか神田がこちらを睨んでくる。アリシアは怯むことなくにっこりと笑って神田に応酬する。
「おや、ジャパニーズは黙って話を聞くこともできないんですか? 流石の教養のなさです」
「テメェ……」
「続けますよー。しかも、みなさんオルゴールの音が聞こえてくると意識がなくなるそうです。探索部隊の方もそうなったと検証済みです」
誰もが眠りについてしまう、というのがやっかいでそれ以上のことは資料には書いていない。あとはその街がオルゴール作りの有名な街で職人が多く住んでいると書かれているだけだ。それ以外にはあまり特記する事項がないのだろう。
「つまり、その鳴っているオルゴールがイノセンスの可能性ありと我々は判断したわけです」
「だから、オレたちはオルゴールの在処を見つけるだけだろうが」
うるさいとは言わず話に乗ってきた神田にアリシアは内心ほくそ笑みながら頷く。
「今夜はある程度、位置と範囲を絞りましょう。小さな街とはいえ、二人で探すには辛いですからね」
「ただオルゴール見つけるだけだろうが」
アリシアは肩を竦めて、あからさまに溜息を吐く。
「資料ちゃんと読みましたか? オルゴールが鳴っている時間ってのは皆が眠りにつくまでしかわかってないのですから、最初にしか鳴ってない可能性もあるわけです」
そして、とアリシアは続ける。
「皆が起きる時間はほぼ一緒、二時間後です。仮にずっとオルゴールが鳴っていたとしても短い時間だと思いませんか?」
これ以上ない笑みを作り、アリシアは神田を見た。神田は苦い顔をして舌打ちをする。
「で? お前はどこに目ぇつけてんだよ」
アリシアは資料から街の地図を取り出して指をさす。
「街は主に住居が南側に面しています。中間が繁華街、オルゴールを売られているところもここですね。そして北側がオルゴールの工房が多くあるようです。――私たちが今回張り込むのはここですね」
アリシアは工房側の通りを指した。それに神田は小馬鹿にしたように笑う。
「安直だな」
アリシアは苦笑する。
「仕方ないんです。なにしろ情報が少ないので、可能性の低いところから探すのが一番なんですよ」
神田がピクリと眉を上げた。
「可能性が低いってどういうことだ」
汽笛が聞こえてきて社内にアナウンスが流れる。目的の街にもうすぐ着くようだ。
アリシアは資料を鞄にしまい始める。
「おい!」
神田の咎める声も無視してアリシアは早々に荷物をまとめ終える。小さなバックを肩に下げて、笑顔で一等室のドアに手をかけた。
「さぁ、手始めに手配してある宿に行きましょう?」
神田を待つことなくアリシアは進んでいく。残された神田は口惜しげに舌打ちして、荷物を担ぎ上げ部屋を出た。誰もいなくなった部屋にはガタン、ゴトンと鉄道が動く音しか聞こえなくなった。
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