灰男小説 | ナノ


▼ 権力者たちの空22

 アリシアたちがやってきたのは金庫が安置してある集会所だった。アリシアは思わず顔をしかめた。これから遺産がどうだの賠償請求だの口うるさく言われるのだと思うと気が滅入る。リンクも同様であまりいい表情をしていない。神田は我関せずといった感じで無表情だ。アリシアはネイサンに問いかける。
「本当にいいんですね?」
 ネイサンは深く頷いた。決意は固いらしい。
 アリシアは集会所の扉を開ける。そしてすぐに両家の当主が見えた。一人は嬉々として、もう一人は忌々しそうにネイサンを見ている。
 ミケルはすぐにネイサンに駆け寄って抱きしめた。
「流石私の息子だ! よくやったネイサン!」
 どうやらネイサンがカギを見つけたことは知っているらしい。
 その言葉を聞いたウォルフは憎々し気に言う。
「まったく分家は恥を知らんのか? どんな手を使ったのかはわからんが、どうせろくなことではない。ラルフだってお前がAKUMAとやらにしたんではなかろうな?」
 ミケルはウォルフの言葉が聞こえただろうがまるで無視した。
 抱きしめられていたネイサンが離れる。うつむいたままネイサンはぽつりと言う。
「父さま、母様の葬儀のことですが――」
 ミケルは首を振る。
「今はいい! あれもお前が見つけてくれて喜んでいるはずだ。さあ、鍵を」
 そう言って手を差し伸べてきた。
 アリシアは醜悪すぎる当主たちに吐き気を覚えた。目先の欲に捕らわれて大切なことをまるで分っていない。ネイサンは父親をはっきりと見て言い放った。
「これは僕のものです。父さまも僕が言わなければ譲渡されることはありません」
 先ほどまでにっこりとしていたミケルの表情が固まる。まさか拒否されると思わなかったのだろう。穏やかな笑みを張り付けてネイサンに触れようとしたが、ネイサンは拒否した。
「当主は僕です。父さまにも権利はありません」
 べろりと面の皮が剥がれるような音が聞こえた気がした。ミケルは冷徹な表情でネイサンを見下ろし口を開いた。
「お前はまだ子供だ。社交界も、商談も、何も知らない。それで当主が務まるとでも?」
 アリシアが割って入る。
「それは黒の教団にお任せください。私たちがサポートしていきますから」
 ミケル親はすっと表情を無くした。ウォルフは後ろから怒鳴りつけてくる。
「そうやって我らの資産を奪うつもりか
 アリシアは笑顔を張り付けて言ってのけた。
「逆ですよ。今までより資産が増やせるはずですよ?」
 ミケルがぎろりとにらみつける。
「どういうことだ」
「簡単です。資産を食い物にしていたお二人を排除して、ネイサンくんは我々が最高の教育機関に預けるのですから」
 アリシアの言葉に目を見開く。アリシアは続けた。
「まずラルフくんの父であるあなたは資産で女遊びワインや嗜好品麻、薬もですね、様々なものを使い切っているだから遊ぶ金欲しさだったんですね。呆れます。そしてネイサンくんの父であるあなたは脱税して事業に数々失敗して散々ですね。あなたも資産に手を出していた。とても任せる気もありません。ラルフくんはしかるべきところにお二方は行くべきだと考えているのです」
 ウォルフは口から唾が飛ぶほど怒鳴り散らす。対してミケルは青ざめてネイサンに縋りつく。
「ネイサン考え直すんだ。私が様々な所に献金したのは足場固め、つまり必要なことだったんだわかるだろう? すぐに返してみせる。だからどうか……!」
 ネイサンはゆっくりと離れて首を振った。すると絶望したかのように崩れ落ちた。
 アリシアがぱんと手を叩く。
「さあ、本題へ行きましょう。ネイサンくん金庫に鍵を……」
 こくりとネイサンは頷いて奥にある金庫へ近づいた。そして鍵穴に鍵を差し込む。
 ガチャリと音を立てて、金庫は開いた。
 ネイサンがのぞき込むと固まった。
 アリシアが近づきネイサンと同じように覗くとふっと笑った。
 『宝物』をもってみなに見せる。それは写真だった。
 一つはウォルフが生まれた時の写真。裏には愛しの我が子の誕生と達筆に書かれている。ミケルのものも同じようなものだった。表の写真ではケリーはにこりともしていない。だが、写真はまだまだある。
 誕生日、学校の入学祝、卒業、成人、結婚、孫の誕生。節目節目の写真が出てきては裏に一言メッセージが書かれてある。とても豆に書かれていて、愛していないと出来ないことだった。それを見てウォルフはぽつりと言った。
「ママはすぐに写真を撮る人だった。大人になったら色々写真を撮られるからと言って……まさか、こんな……」
 言葉が出てこなくなり、ウォルフは崩れ落ちた。ミケルは歯を食いしばる。
「クソババア、何かあればすぐ殴る人だったのに。優しい言葉なんかかけられたこともなかったのに」
 ミケルが一つの写真を見てぽとりと涙を零した。その写真はミケルが泣きながら自転車に乗ろうとしている様だった。言葉はこの子は要領がいいからすぐに乗れるようになる。愛しくて優しい我が子と書かれていた。
 先ほどの雰囲気が嘘のように静まり返える。ネイサンだけは嬉しそうに写真を見て微笑んでいる。ラルフとネイサンがケリーと映っている写真をなぞって裏返した。裏には大切な孫たち、強く生きなさいと書いてあった。ネイサンはある程度見終わったらアリシアたちに向かって微笑んだ。
「本当にありがとうございました。僕らはこれで前を向いて歩いて行けます」
 アリシアは柔らかく笑った。神田はそっぽを向いて、リンクは無表情で頷いただけだった。彼らにもう言葉はいらない。確かにケリーの言葉が届いたはずだから。
 
 ***
 
 穏やかな風が吹いていた。
 墓地の空気は澄み切っていて丘に上にあるからか日当たりがいい。
 そこでティキは煙草に火をつけて盛大に息を吸って吐いた。白煙は昇っていき、すぐに消える。彼女も煙草が好きだった。
 ここに眠る彼女が安らかに逝けるように、墓標はここあるがきっと空から街を見おろして深く頷くのだろう。ケリー・グロッサとはそういう人だった。今はもういない、大事な友達だった。
「終わったよ。ばあさま」
 ティキの言葉に返事はない。さあと草花を揺らし風が流れるだけだ。それでもティキは笑う。ケリーが笑ったように思ったからだ。彼女は寡黙で酒を飲むときでさえほとんどしゃべらなかった。けれど深く街を愛し、人を愛し、家族を愛した。それは家族には伝わっていなかったけれど、それでも良かったのだろう。
「家督は思った通りネイサンが継いで、父親たちには灸をすえたらしい」
 ケリーがどこまでティキの事情を知っていたのかはわからないが、それでも彼女の態度は変わらなかった。器が大きくて、寛容だったのだ。殺されることをわかっていてもただ酒を共に飲んで、騒ぐこともなく共に過ごした。
 ふっとティキは笑う。
「で? オレの話を聞いてどうすんのお嬢さん?」
 背後から草を踏む音が聞こえてきた。アリシアはティキの言葉に対して特になんのリアクションをしなかった。花束をケリーの墓標の前に置く。ティキは鼻白む。
「ばあさまに特に思い入れなんてないでしょう?」
「ないですけど、この人のおかげで色々解かることがありましたから」
「ふうん」
 ティキは幾分かがっかりしていた。面白いと思った少女は簡単につまらない行動をする。けれど少しからかいたくなってアリシアに笑いかける。
「そんな余裕な態度でいいの? オレ、キミを今さらうことも出来るんだけど?」
「あなたはここではしませんよ」
「なんで?」
「あなたはケリーさんを慈しむ為にここに来たから」
 ティキは目を見開いた。そしてくすりと笑う。彼女にはお見通しらしい。
 煙草をふかして、ティキは空を見た。
 綺麗な空を白煙で汚して、自然と掻き消える。きっとケリーもそんな空が好きだったのだ。ふとアリシアが言葉を零した。
「あなたニアさんを殺してなかったんですね」
「どうしてそう思う?」
「死体からは心臓が食い破られてもいませんでしたし、毒物も検出されませんでした。――ごめんなさい」
 突然の謝罪にティキは煙草をぽとりと落とした。恨まれることはしていても謝られることはしていない。なんとも言えない感情が込み上げてきてティキは笑みを深くした。
「やっぱキミ面白いね。オレと一緒に来ない?」
「嫌です」
 ぴしゃりと言われた言葉にティキはふっと笑った。前言撤回。やはり少女は面白い。
 ティキは落とした煙草を踏みつぶし完全に消した。
「また会うこともあるから気が変わったら来てよ」
「弾ぶち込んで欲しいんですか? だったら今すぐしますよ?」
「遠慮しとく、じゃあねお嬢さん」
 そう言ってティキはその場から離れた。
 穏やかな日差しを受けながら、風を感じながら小高い丘からティキは去り行く。もうここには来ないだろう。だってケリーはここにはいない。それにもっと面白い人間を見つけたから。ここはもうさよならだ。


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